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Sentimental Graffiti Short Story #2
でてないけどわかなちゃん
若菜と別れてから、しばらくの時間が過ぎた。
今は、もう冬だ……。
「……変だよ」
「え?」
妙子は、僕の顔を覗き込んだ。
その日は、僕は青森に遊びに来ていた。
秋に京都に行ってから、しばらくの間、旅に出る気になれずに家にいたんだけど、このまま閉じこもっててもダメだな、と自分でも思っていた。
そんなとき、妙子から「遊びに来ない?」と電話がかかってきた。ちょうど冬休みに入ったこともあって、僕は久しぶりに青森に行くことにした。
前に逢ったときと同じように、妙子は笑顔で僕を迎えてくれた。
だけど、再会してから30分もたたないうちに、彼女は僕にそう言った。
「何か変?」
僕は、聞き返した。
妙子は俯いた。
サク、サク、サク
雪を踏みしめて歩く、その足音だけがしばらく続く。
「……やっぱり、変」
独り言のように呟く妙子に、僕は聞き返した。
「だから、何が変なの?」
「いつものあなたじゃない」
立ち止まると、妙子は僕に尋ねた。
「ね、何かあったの?」
「……別に」
「嘘。……それとも、あたしには話せないこと?」
「……」
今度は僕が黙る番だった。
ちらちらと、雪が降ってきた。僕と妙子の上に、少しずつ落ちてくる。
「……ごめんなさい」
妙子は、そう言うと、僕から視線を逸らして、雪の上に向ける。
「お節介、だよね。あたし……」
「妙子……」
「……ごめんね」
そう言うと、妙子は顔を上げて笑顔を見せた。
「さ、帰ろ!」
「う、うん」
「ほらほら、早く!」
不意に、妙子は僕の腕を掴んだ。そのまま引っ張って歩きだす。
「わ、た、妙子?」
「今日も、暖かいお味噌汁、作ってあげるね!」
妙子はそう言うと、不意に目をこすった。そして続ける。
「だからさ、元気になって……ね」
「……」
翌日、僕は札幌に来ていた。
別にどこに行っても良かったんだ。これ以上、妙子と一緒にいるのが耐えられなかったから……。
大通公園を歩きながら、僕は別れ際の妙子の顔を思い出していた。
その顔が、なぜか、別の娘の顔にだぶる。
そう、それは……。
「あれ? もしかして?」
不意に、僕の考えは、中断された。
僕が振り返ると、そこにいたのは、ほのかだった。驚いた顔が、すぐに柔らかな笑顔に変わる。
「やっぱり! いつ札幌に来たの?」
「ほのか……。久しぶり。さっき着いたばっかりなんだ」
「そうなんだ。あ、今日は、暇なの?」
「うん」
うなずくと、ほのかはポンと両手を合わせて喜んだ。
「それじゃ、一緒に遊ばない?」
「……そうだね」
僕は、うなずいた。
「……ってね、パパったら怒るんだもん。私もびっくりしちゃって」
ファーストフードの店で、向かい合わせに座って食事をしながら、僕はほのかの話を聞いていた。
フライドポテトをつまむと、ほのかはくすっと笑った。
「ほんとに、もう可笑しくって」
「……うん」
「……あ、ごめんね。私ばっかりしゃべっちゃって」
「いや、そんなことないよ」
僕は首を振ると、ストローを口にくわえた。
ほのかは、すっとそんな僕から視線を逸らして、窓の外を見ながら、小さな声で呟いた。
「……なのかな?」
「え?」
「……なんでもない。あ、そうだ。スケートに行かない?」
「今から?」
「うん。善は急げって言うじゃない。ね?」
「あ、うん。いいけど……」
「それじゃ、行きましょう!」
ほのかは立ち上がった。
「ほ、ほのかぁぁ」
僕は手すりに掴まったまま、情けない声を上げていた。
シャーーッ
ほのかは、向こうの方から滑ってくると、そんな僕を見てくすくす笑った。
「意外だなぁ。スケート出来ないなんて」
「スキーなら、少しは出来るんだけどね。スケートってやる機会がなかったから……」
「でも、あなたならすぐに出来るようになるよ。ほら、私が教えてあげるから」
ほのかは僕の手を引っ張った。
「わ、わわっ! あんまり引っ張らないで!」
「んもう、臆病だなぁ。ほらっ!」
「うわぁっ」
ドシィン
いきなり引っ張られて、僕はその場に転んだ。
「こ、こらぁ、ほのか!」
「あはは、ごめんなさぁい」
ペロッと舌を出すと、ほのかは手を伸ばして僕を引っ張り起こそうとした。
「え? きゃっ!」
ドシン
思ったよりも僕が重かったのか、ほのかまでバランスを崩して倒れかかった。慌てて、倒れたままそれを受けとめる僕。
ちょうど僕とほのかは氷の上で抱き合うような形になった。
「きゃ、ご、ごめんなさい」
ほのかはあたふたと立ち上がった。顔が真っ赤になっている。
僕も、やっとのことで立ち上がると、微笑んだ。
「しょうがないよ。ごめん、ほのか」
「え? ……あ、うん」
一瞬、ほのかは怪訝そうに僕を見ていたけど、不意に寂しそうな顔をした。
「ほのか?」
「なんでもない。さ、滑ろ!」
「だから、滑れないんだってば!」
そう言う僕をそのままに、ほのかはリンクをすぅーっと滑って行ってしまった。
「……ほのか?」
僕は、膝をガクガクさせながら、その場でほのかを見送っていた。
夕方。僕とほのかは、札幌駅のコンコースにいた。
「ごめんね、今日は。無理に引っぱり回しちゃって」
「いや、楽しかったよ」
僕がそう言うと、ほのかは首を振った。
「無理しなくてもいいよ」
「え?」
「今日のあなた、全然楽しそうじゃなかった」
「そ、そんなこと……」
慌てて否定しようとする僕。だけど、ほのかは黙って僕をじっと見つめた。
「私ね、すぐにわかったよ。あなたがいつもと違うってこと」
「……」
「だから、私……。でも、ダメだったね」
寂しそうに笑うほのか。
「ダメだったって?」
「私じゃ……ダメだったってこと」
そう言うと、ほのかは俯いた。小さな声で、でもはっきりと、呟く。
「私、やっぱり馬が好きだな。だって、馬は嘘つかないもの。自分の心を偽ったりしないんだもの」
「……」
何て答えていいのか判らなくて、僕は黙っていた。
不意に、ほのかは顔を上げた。
「私、あなたはここにいるべきじゃないと思う。悔しいけど……もっと他にいるべき場所があると……、思う」
「ほのか……」
「行って。そこに。あなたがいるべき場所に。でないと、でないと私……、あなたまで信じられなくなっちゃいそう……」
ほのかは、くるっと僕に背中を向けた。その肩が、微かに震えている。
「……さ、さよならっ」
それだけ言うと、ほのかは駆け出した。
「ほの……」
呼び止めようと手を伸ばし掛けて、僕はその手を止めた。
今のほのかを呼び止める資格は、僕にはない……。
でも、……僕の行くべき場所って、どこなんだ、ほのか?
夜行に乗って、翌朝家に帰ると、留守電が入っていた。
再生ボタンを押すと、ピーッという音に続いて、声が聞こえてきた。
『こうして電話するのも久しぶりだね。……やっぱり、慣れないね、こういうのって』
優?
『急に、どうしてるかなと思って電話したんだ。別に用事があるってわけじゃないんだけど……。最近は、家にいるから……』
それで、留守電は終わっていた。
そうだ。優なら、相談に乗ってくれるかも知れない。
僕は、メモ帳を見ながら、電話番号をプッシュした。
3日後。
広島駅の北出口から出てきた僕は、左右を見回した。
ここで待ち合わせてた筈なんだけど……。
「やぁ、こっちだよ」
後ろから声を掛けられて、振り返ると、そこに優がいた。
「元気にしてた?」
「うん。そっちは?」
「私は……いつもどおりだよ」
優は、ふっと微笑んだ。
僕と優は、太田川の河川敷を並んで歩いていた。
「それで、相談したい事って?」
「うん……」
何て切りだしたらいいのかな?
ちょっと考えてから、僕は優に尋ねた。
「率直に言って、僕は、前の僕と違ってるかな?」
「え?」
流石にきょとんとして、優は聞き返した。
「どういうこと?」
「うん……。実は……」
僕は話し始めた。妙子に言われたこと、ほのかに言われたことを。
「……ってわけなんだ」
「……」
僕の話を黙って聞いていた優は、肩をすくめた。
「君は、判ってないんだね?」
「え?」
「その安達さんも、沢渡さんも、気が付いちゃったんだね。君自身が気付いていないことに」
「……あの、優?」
不意に、優は立ち止まった。そして、僕をじっと見つめる。
「気が付いちゃったんだよ。二人とも。君の心の中に、自分よりも大きな存在がいるってことに」
「自分よりも大きな存在?」
優は、つっと僕から目をそらした。そして、コートのポケットに手を突っ込むと、川面に浮かんで風に揺られている鳥を見つめた。
「……自分じゃ、どうやってもその存在を埋めることはできない。その存在のかわりにはなれない。それに気が付いちゃったら、身を引くしかないじゃないか……」
「……その存在って……?」
「それは、自分で考えるんだね。……自分で気付かないといけないよ。安達さんのためにも、沢渡さんのためにも……。そして、私のためにも」
僕に視線を向けて、優は言った。それから、肩をすくめて、空を見上げる。
「でも、本当は自分でもわかってるんじゃないかな? それから目を逸らそうとしてるだけじゃないのかな?」
「……優」
「なんてね。随分偉そうだね、私も……」
優は、ゆっくりと川べりを歩きだした。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
優の言ったことに気を取られていた僕は、おいて行かれそうになって、慌てて優を追いかけた。
結局、優が言いたいことがわからないまま、僕は彼女と別れて東京に戻ってきた。
その夜、僕はベッドに寝ころんで、天井を見上げながら、優の言ったことを反すうしていた。
「……自分で気付かないといけないよ……」
何に気付かないといけないんだろう?
「でも、本当は自分でもわかってるんじゃないかな?」
僕には何にもわかってないのに。
「それから目を逸らそうとしてるだけじゃないのかな?」
何から、目を逸らそうとしてるって言うんだ?
僕は、もやもやとした気分のまま、目を閉じた。
その夜、久しぶりに夢を見た。
僕は、ガラスをドンドンと叩きながら、何かを叫んでいた。
何を叫んでいたのか、自分でも判らなかった。
ガラスの向こうにいたのは、長い黒髪の少女だった。
それは、小学生の頃の若菜。その隣には、あの若菜とお見合いをしていた若い男がいた。
若菜は、何度も僕の方を振り返りながら、その男に手を引っ張られて行く。
僕は、叫んでいた。何度も、何度も。
「行かないで!」
「……!!」
飛び起きると、僕は辺りを見回した。
どうやら電気をつけたまま、眠ってしまっていたらしい。僕は頭を振って、時計を見た。
午前11時。
冬休みに入っているとは言っても、随分寝過ごしたもんだ。
身体を起こして、大きく伸びをすると、僕は窓を開けた。
冷たい空気が、さっと入ってくる。
今日もいい天気みたいだ……。
《終わり》
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