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Sentimental Graffiti Short Story #2
さよならわかなちゃん
トルルルル、トルルルル
その日、バイトから帰ってきた僕を迎えたのは、電話の鳴る音だった。
「わぁ、ちょっと待って!」
叫んでどうなるものでもないとは思ったけど、そう叫びながら、僕は乱暴に靴を三和土に脱ぎ捨てると、廊下を走った。
なんとか間に合って、受話器を取る。
「もしもし!?」
「夜分遅く申しわけありません。わたくし、綾崎ともうしますが……」
その声に、僕は、はっとした。
「若菜? 僕だよ」
「あ……」
電話の向こうで息を飲む声が聞こえて、それから一瞬間があいた。
いつも帰ってくると留守電だっていうのに、珍しく間に合った。それがなんだか、僕には嬉しかった。
「どうしたの? あ、ごめんね、最近京都に行けなくって。そうだ、今度の週末は暇だから、その時にでも……」
「あの……」
僕の声を抑えるように、若菜は電話の向こうで声を出した。
「え? 何?」
気楽な調子で聞き返した僕の耳に、彼女の声が聞こえた。
「……もう、もうあなたとは逢えません」
「……は?」
思わず、僕は自分の耳を疑った。
「ちょ、ちょっと、急にどうしたの?」
「ごめんなさい。もう……」
そこで、言葉が途切れて、その代わりに、微かな嗚咽の声が聞こえてくる。
「もしもし? 若菜、泣いてるの? 一体何が……」
プツッ、ツー・ツー・ツー
そこで、電話は切れた。
……何があったんだろう?
僕は慌てて若菜の電話番号を押した。
トルルルル、トルルルル、トルルルル、トルルルル……
何度呼び出し音が鳴っても、誰もその電話には出なかった……。
パタン
部屋のドアを閉める。
あれから1時間は電話を掛けまくったけど、結局若菜は出てこなかった。手紙なんて書くのもまどろっこしいし、第一、電話でさえ出てくれないくらいだ。見ないで捨ててしまうだけかもしれない。となると、こっちから逢いに行くしかないようだ。
僕は、独りうなずくと、旅の準備を始めた。
「きょうと〜、きょうと〜」
アナウンスが告げる中、僕は京都駅に降り立った。
もう何度目になるのかな?
ちょっと考えてから、苦笑してやめた。そんなこと、数えたって意味はないんだし。
季節は、秋まっただなか。京都の町も、周りの山々の紅葉に彩られていた。
四条大橋の欄干にもたれて、鴨川の流れを見おろす。
サラサラサラ
いつ来ても、変わることなく川は流れている。当たり前って言えば当たり前なんだけど。
でも、何となく不思議な感じがしたのは、ここが京都だからだろうか?
それとも……。
僕は、顔を上げた。
若菜……。君に何があったっていうんだ……?
とにかく、彼女に逢えないことには始まらない。
まず、彼女の家に行ってみよう。
いつ来ても、綾崎邸は大きい。ま、大きさだけで言えば真奈美の家である杉原邸の方が大きいけど、高松郊外の山の中にある真奈美の家に較べて、ここは京都の真ん中なんだ。それを考えると、綾崎の家ってものがどういうものかがわかる。
普通の人なら気後れしちゃうようなところだけど、僕にとってはそうでもない。まさに勝手知ったるなんとかで、僕は綾崎邸の門の中を覗き込んだ。
「すいませ〜ん」
声をかけるが、誰も出てこない。
「誰もいないんですかぁ? 勝手に入りますよぉ〜」
そう言って、僕は通用門を押し開けて、中に入った。
庭に入ったところで、立ち止まる。
考えてみれば、若菜がここにいるって確証もないんだよなぁ。
でも、それじゃどこにいるか、って言われると、これまた心当たりなんてないし。
ええい、考えても判らないなら、行動あるのみだ。
僕は、庭を横切った。まず、弓道場から覗いてみるか。
弓道場は静謐に包まれていた。
そういえば、ここで若菜と再会したんだよなぁ。
僕は、的に近寄ると、そこから射場の方を見た。
若菜……。どうしたんだろう?
ともかく、ここにはいないようだ。他の所をあたってみるか。
弓道場から庭に出て、僕はまた考え込んだ。
あと、心当たりっていえば……。お屋敷の中かなぁ? 庭で見てないところってあったっけ?
そのとき、ふと僕は思いあたった。
蔵だ。
確か、綾崎邸の裏手には大きな蔵があったはず。
そっちを見に行ってみよう。
僕は駆け出した。
角を曲がると、白塗りの大きな蔵が見えてくる。
そして、その前にたたずんでいる、見覚えのある少女の姿も。
「若菜!!」
僕は、大声で叫んだ。
「!?」
少女は、こちらを振り返った。間違いない、若菜だ。
驚いたように、大きく目を見張っている。
「どうして……?」
そう呟くと、若菜は急に身を翻した。
「待って!」
僕は、彼女の前まで一気に駆け寄ると、その手を掴んだ。
「どうして逃げるんだよ……」
「……」
若菜は、それには答えずに、小さく呟いた。
「もう逢えないと……言ったはずです……」
「わけを聞かせてくれる? どうしてなのか、そのわけを」
「……離して、いただけないでしょうか?」
そう言いながらも、自分からは、若菜は僕の手を振り払おうとはしなかった。
「もう、逃げたりはしませんから……」
「……わかった」
僕は、若菜の手を離した。そして、静かに言った。
「せめて、理由を聞かせてくれないか?」
「……理由を聞けば、来ないで下さいますか?」
僕と同じように立ち止まったものの、俯いて僕と視線を合わせようとせず、若菜は聞き返した。
その時、僕には今日の若菜に感じた違和感の正体が分かった。
若菜は、僕と話をするときは、いつもなら僕の目を見て話をするんだ。でも、今日は一度も視線を合わせようとしない。
「……納得できる理由なら」
僕は静かに答えた。
若菜は、微かにうなずいた。
「あなたが、……嫌いになったから」
「嫌いに……?」
「……はい」
うなずくと、若菜は初めて僕をまっすぐに見つめた。
その瞳に、涙がたまっているのを、僕は初めて知った。
「……若菜……」
「ごめんなさい……」
その涙が、不意に溢れ、頬を伝って流れ落ちる。
「だから……、だからもう、来ないで下さい……」
若菜は、手で顔を覆って、その場にしゃがみ込んだ。
僕は、そんな若菜を、ただぼう然として見ていた。
嫌い……。
若菜のその言葉が、僕の頭の中をぐるぐると回っていた。
僕は、ほうっと息を吐いた。無意識のうちに握りしめていたらしい拳を、ゆっくりと開くと、地面を見つめて、呟いた。
「……それじゃ、仕方ないよね。……若菜の方が、僕を嫌いになったっていうんなら……」
言いたいことは色々とあった。
僕のどこが嫌いなの?
悪いところがあったら、直すよ。だから……。
急にそんな事言われたって……。
でも、それを、泣いている若菜に向かってくどくど言っても仕方ない。そう思った。
だから……。
「わかった。それじゃ、さよなら」
僕は、踵を返して、そこから立ち去ることにした。
さて、困ったぞ。
京都駅まで戻ってきて、僕は途方に暮れていた。
あんまり急いで京都まで来たもんだから、お金が底をついてしまったのだ。どうやっても東京に帰れない。
名古屋に寄って、るりかにお金を借りる……。ダメだ。るりかだってコンビニでバイトしてる位なんだから、僕に貸すお金があるとは思えない。
金沢に寄って、美由紀にお金を借りる……。これもダメだ。たしか美由紀は今週末は模試とか言ってたし。
横浜に寄って、明日香に……。そもそも横浜まで行けるんなら、家に帰れるって。
こりゃ、ここでバイトして、旅費を稼ぐかなぁ。
僕はそう心の中で呟くと、リュックをかつぎ上げて、歩きだした。
なぜかその時、僕の頭の中には、ヒッチハイクで帰るという手段は浮かんでこなかった。
「おう、君かね、バイトは」
「はい。今日一日ですけれど、よろしくお願いします」
京都第一ホテルで臨時清掃員の募集が出ていたので、僕はそこで働かせてもらうことにした。
「いやぁ、助かるよ。急に飛び込みの会合が入ってねぇ、人手が足りなくなったんだよ」
ホテルのマネージャーさんは、そういうと、僕に仕事を指示してくれた。
このホテルの売りの一つである日本庭園の庭掃除が、その仕事だった。紅葉が散ってしまっていて、地面が汚れているから、だそうだ。
「それじゃ、この服に着替えて。着替え終わったら、早速頼むよ」
「はい」
僕は作業服を受け取ると、部屋を出ていくマネージャーを見送った。
さて、仕事仕事っと。
シャッ、シャッ
竹ぼうきで庭を掃きながら、僕は若菜の事を考えていた。
どうして、若菜が僕のことを嫌いだって言ったのか、その訳がわからなかったから。
思いあたることといえば……。僕が他の娘にも逢いに行ってるからだろうか? だとすれば、弁解の余地はないけれど……。
と、そのとき。
「若菜さんのご趣味は何ですか?」
不意に声が聞こえて、僕は思わず振り返って、そっちを見た。
そこには、和服姿の若菜と、スーツ姿の若い男が並んで歩いていた。
「趣味、ですか? 弓道を、少々たしなんでおります」
若菜は答えた。気のせいか、声が少し固いように思えた。
とと。
そこで僕は我に返ると、慌てて柵の後ろに身を隠した。そして、そこから様子をうかがった。
「弓道ですか、いいですねぇ」
その若い男は、笑い声を上げた。
その男の少し後を歩いている若菜。
「僕は、まぁ趣味と言うほどのものでもないんですが、スキーとスキューバダイビング等を少々。毎年夏にはバリに、冬にはヨーロッパの別荘に行ってましてね」
「はぁ……」
そこで、やっと僕は合点がいった。
そうか、若菜はお見合いをしてるんだ。
そういわれてみれば、男の方は見るからに青年実業家って風だし。
僕がそんなことを考えていると、不意に男は若菜の方に振り向いた。
「そうだ。今度僕の別荘に行きませんか?」
「え?」
「そうですね、若菜さんの都合に合わせますから、ぜひいらっしゃって下さい。マッターホルンが綺麗に見えますよ」
「……」
押し黙る若菜。それを自分の都合のいいように解釈したらしく、その男はまた笑った。
「それじゃ、スケジュールの調整をしておきましょう。さて、と。ちょっと寒くなってきましたね。もうそろそろ戻りませんか?」
「……はい」
小さな声で答えると、若菜はその男の後について、戻っていった。
僕は、柵を背にして、その場に腰を下ろした。
そうか、お見合いかぁ。それで、あんなことを……。
でも、それで若菜が幸せになれるんなら、それでも仕方ないかも知れないな……。
僕はそのまま、マネージャーに見つかってこっぴどく叱られるまで、その場に座りこんでいた。
なんとか家に帰れるだけのお金をもらうと、僕は東京行きの新幹線に乗り込んだ。
ゆっくりと、新幹線は京都の街を後にして走り出す。
僕は、心の中で呟いていた。
さよなら、若菜……。幸せに……。
《終わり》
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