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Sentimental Graffiti Short Story #2
わかなちゃんとでぇと

「きょうと〜、きょうと〜」
 僕は、寝台特急をおりると、鞄を片手にあたりを見回した。
 みーんみーんみーん
 朝もまだ早いっていうのに、気の早い蝉がもう鳴き始めてる。
 そう、夏休みなんだ。

「あなたに、あいたい」
 そんな手紙が僕の家のポストに入っていたのは、今年の春だった。
 差出人も、宛先もない、ただ僕の名前だけ書かれた封筒に入っていた手紙。
 普通なら悪戯かなにかだって思うだろう。でも、なぜかその手紙を読んだときには、僕はそうは思わなかった。
 便箋につづられた文字が、僕に何かを訴えてたんだ。
 だから、僕は差出人じゃないかって思った女の子のところに行くことにした。
 札幌から長崎まで、全国を回って、僕はみんなに聞いて回った。
 電話で済むんじゃないかな。どうして僕はこんなことしてるんだろう? そうも思った。
 でも、やっぱり直接逢いたかった。その娘だけじゃなくて、その時僕がいたその場所ににも。
 今は結局、そうしてよかったと思ってる。うまく言えないけど、小さな頃の思い出を、無くしてた何かを穫り返したような、そんな気分だ。
 でも、結局手紙の差出人は、見つからなかった。
 もちろん、みんなに聞いたんだけど、みんな首を振った。私じゃないよって。
 だけど、その後でみんなもう一言付け加えてくれたんだ。
「また、逢える?」って。
 だから、僕は……。
 京都の夏は、暑い。
 街が盆地の中にあるから、熱がこもっちゃうせいだ。
 僕は駅から出て、河原町に向かって歩きながら、何度もハンカチで汗をぬぐっていた。
 京都は札幌と同じで、道が碁盤の目のようになってるから、道に迷うことはない。
 もちろん、正確に言えば、札幌が京都を手本にしたんだけど。
「それにしても、暑いよなぁ」
 鴨川にかかってる橋の欄干にもたれて、僕は目を閉じた。
 夏休みに入ったばかり、しかも平日ってこともあって、観光客の数も少ない。だから、ざわめきもあまり聞こえてこない。
 サラサラサラサラ
 鴨川のせせらぎの音が、耳に聞こえてくる。
 僕は、この京都に住んでいる娘のことを思い出していた。
 綾崎若菜。その娘の名前だ。
 真っ直ぐ伸ばした長い黒髪の持ち主で、楚々とした大人しい娘だ。
 大人しいけど、芯はしっかりしているし、いつも落ちついてるし、物腰はやわらかいし。そう、大和撫子って言葉がぴったり来るんだよなぁ。
 今回、京都に来たのは、もちろん彼女に会いに来たんだけど、でも、約束もしてないんだ。
 彼女の家はとっても厳しい。特に彼女のお爺さんは、「男女7つにして席を同じうせず」って人だし、昔同級生だった頃に色々と悪さ(と僕は思ってないんだけどね)してるから、僕が訊ねていこうものなら、けんもほろろに追いだされちゃうに決まってる。
 電話で呼び出すかなぁ。でも、考えてみると、若菜にも自分の予定があるだろうし……。
 これが夏穂やるりかなら遠慮せずに訊ねて行けるんだけどなぁ。
「若菜、今頃何してるんだろうなぁ?」
 僕は、鴨川の流れに向かって呟いた。
「そうですね。今はあなたの後ろにおりますわ」
「そうなんだ……。って、ええっ!?」
 思わず振り返ると、若菜がそこにいた。クスクス笑ってる。
「わわわかなっ……さん?」
「はい、なんでしょう?」
 笑顔で答える若菜。
「い、いつからそこに?」
「先ほどからです。たまたまここを通りかかりましたら、見覚えのある背中を見かけまして、もしやと思いまして……。でも、ご、ごめんなさい……」
 そう言って、またクスクス笑う若菜。
 しばらくしてから、彼女は顔をあげた。
「それで、今日はいかがなさったんですか?」
「いや、君に逢いに来たんだけど……」
 僕がそう言うと、若菜はぽっと頬を赤らめてうつむいた。
「まぁ……、そんな……」
 みーんみーんみーん
 鴨川の水面に、蝉の声が響く。
 ……間が持たない。
 僕は強引に話を進めることにした。
「えっとね、今日は予定あるの?」
「えっ? き、今日ですか? 今日は……」
 ちょっと暗い顔でうつむく若菜。あ、やっぱり予定があるんだ。
 まぁ、しょうがないよなぁ。急に来たのは僕の方だし、若菜には若菜の生活ってものがあるんだし。
 と、不意に若菜が顔をあげた。その顔には笑みが浮かんでる。
「はい、よろしいですよ」
 あれ? いいのかな?
「いいの?」
「はい、かまいません」
「それじゃぁ、今日は一日、つきあってくれるかな?」
「は、はい!」
 うなずいて、若菜はにっこりと微笑んだ。
 そんなわけで、僕と若菜は今日一日一緒に過ごせる事になったわけだが、考えてみると、別に何処に行こうという目的も何にもなかったのである。
「あの……どうかなさいましたか?」
 困ってしまって、腕を組んだまま橋の上を右往左往し始めた僕に、若菜が声をかけた。
「あ? いや、なんでもないよ。あははは」
 組んでいた腕を解いて笑ってみせると、若菜も笑顔になって、ついでに恐れていた質問をしてきた。
「そうですか? それでは、どちらに参りましょうか?」
「……あう」
 どうしようもない。
 僕は頭を掻いて、正直に言うことにした。
「実は……何処に行くか、決めてないんだ」
「まぁ」
 一瞬驚いたように目を丸くして僕を見る若菜。
「どうして?」
「うん……」
 ちょっと迷ったけど、正直に言ったんだから、最後まで正直に言おうと思った。
「ここに来たのは……京都に来たのは、どこに行こうって思って来たんじゃなくて、若菜に逢いたいと思って来たから……。だから、もう僕の目的は終わってるんだ」
「えっ? あ、はい……」
 若菜は、顔を赤らめて、また俯いた。
 僕は欄干にもたれかかった。正直、すごく恥ずかしかったから、だからその照れ隠しもあって、視線を逸らして、鴨川の方を眺めながら言ったんだ。
「君のほうが、ここじゃいろんな所をよく知ってると思うんだ。だから、君にいろいろと案内して欲しいんだけど……だめかな?」
 そう言って、視線を戻すと、若菜はにっこりと微笑んだ。
「いえ、はい。喜んで、ご案内させていただきます」
 ブロロローーッ
 バスが走り去ると、バス停には僕たちだけが残された。
 冷房されていたバスから出ると、また汗が噴きだしてくる。
「それにしても、暑いんだねぇ」
「そうでしょうか? わたくし、京都から出たことがあまりありませんので……」
 苦笑する若菜。
「夏とは、こういうものだと……」
「場所によって、全然違うよ」
 僕も苦笑した。そして、ドキリとする。
 若菜の胸元に、汗が一筋流れ落ちていく。それが妙に……。
 えーい! よりによってお寺の境内で、僕は何を考えてるんだ!?
 こういうときは、そうそう。六根清浄、六根清浄……。
 僕は反射的に目を閉じて、心の中で呪文のようにくり返した。
「あの、どうしたんですか?」
「え、あ、い、いやなんでもないよあははは」
「?」
 きょとんとした顔で、僕の顔を覗き込む若菜。
「さ、次行こう、次!」
 僕は、さっさと歩きだした。

 慈照寺を出たところで、若菜が訊ねた。
「あの、お昼ご飯にしませんか?」
 言われて時計を見てみると、もう12時を回ってた。
「そうだね。そろそろいい頃かな? 君が案内してくれるの?」
「はい。任せて下さい」
 ニコッと笑って、若菜は歩きだした。
「お寺?」
 門に立って、僕は訊ねた。
「はい。お爺様の縁のお寺なんです」
 若菜は答えると、ためらいもせずに門の中に入っていく。
 僕は慌ててその後を追いかけた。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
「あ、こんにちわ」
 境内で庭を掃いていたお坊さんを見かけて、若菜が挨拶をすると、そのお坊さんは手を止めて若菜を見た。
「おや、これは綾崎の嬢ちゃんじゃないかね。ご老人も一緒かね?」
「あ、いえ。今日は、その……」
 そう言いながら、僕の方に視線を走らせる若菜。
 お坊さんも僕の方を見たので、僕は慌てて一礼した。
 そのお坊さんは、僕たちを見比べて破顔した。
「そうかそうか、綾崎の嬢ちゃんがのう」
「そ、そんなんじゃ……。小学校の時の同級生なんです」
 ……なんだかちょっとがっかり。
「ほっほっほっ。善哉善哉。ご老人には内緒にしておきましょうかのう」
「ありがとうございます」
 ホッとした顔で深々と頭を下げる若菜。
 お坊さんは、もう一度僕たちを見た。
「それで、こんな寺に何をしに来たのかな?」
「実は……」
 若菜はお坊さんに近づくと、何やら囁いている。
「?」
 僕がお坊さんと若菜を見てると、お坊さんは笑ってうなずいた。
「よろしゅうおます。ここは嬢ちゃんのためにも一肌脱ぎましょ」
「そんなのじゃないですよ、もう」
 若菜が照れてる。なんだか可愛いよね、ああゆう若菜って。
 僕たちは部屋に通された。
「ここでしばらくお待ち下さい」
「は、はい」
 トン、と襖が閉められて、僕と若菜は部屋に二人で残された。
「ええっと、どうしたらいいのかな?」
 何となく落ちつかない僕を見て、若菜は微笑んだ。
「座って待ちましょう」
「そ、そうだね」
 僕は言われて腰を下ろした。
 ……。
 若菜は、じっと僕の顔を見て微笑んでる。
 何となく、間が持たない。
「あ、あの……、遅いね」
「まぁ、まだ5分もたっていませんよ」
 若菜はそう言うと、すっと立ち上がった。そのまま、入ってきた襖とは反対側の障子の脇で正座して、その障子を開ける。
 そこからは、庭が見渡せた。僕にはよく判らないけど、きっと趣味がいいんだろうなぁ。
 若菜は振り返ると、僕に言った。
「それでは、お話などしませんか?」
「お話、ですか?」
 何故か敬語の僕。なんだか若菜の言葉遣いが移っちゃったみたいだ。
「はい。わたくし、京都から出たことがほとんどありませんから……。あなたは、あちこちに行っていらっしゃるのでしょう?」
「まぁ、ね……」
 先週札幌に行って来たばかり、とは言えない僕だった。そこはかとなく後ろめたい。そういえば先々週は長崎と福岡に行ってたしなぁ。
「でも、僕の話なんて聞いても面白いかどうか……」
 そう言ったけど、若菜は
「あなたのお話なら……」
 って。
「……で、ラーメン食べてたら飛行機に乗り遅れちゃったんだ」
 結局、札幌の話をしている僕。もちろん、ほのかの話はしないように気をつけてはいるんだけど……。
「まぁ、それでどうなさったんですか?」
「うん。仕方ないから、ほ……じゃない。知り合いに連絡して、夜行の切符を取ってもらったんだ」
「そんなに急に取れるものなんですか?」
「普通は無理なんだけどね。その知り合い……小学校の時の同級生なんだけど、お父さんが大学教授なんだ。そのコネを使って、ちょっとね」
「そうだったんですか。まぁ、無事に帰ってこられて何よりでしたねぇ」
 ぽんと手を打って笑う若菜。僕はほっとする。
 何だかんだ言っても、笑顔を見せてくれるっていうのは嬉しいもの。
 と、襖が開いて、さっきのお坊さんがお膳を持って入ってくる。
「お待たせしました。どうぞ」
「それでは、ごゆっくり」
 そう言って、お坊さんは襖を閉めた。
 僕たちの前には、美味しそうな料理が並んでいる。
「これは?」
「はい。京懐石ですよ」
「かいせき?」
 あいにく、料理にはちょっとうとい。前にたこ焼きと明石焼きの違いを知らなくて、夏穂に思いっ切りしかられたこともあるし。
「はい。懐(ふところ)の石と書いて、懐石です」
「懐の石の料理なの?」
「いわれはちょっと長いですけど……」
 若菜はそう言って説明してくれた。
「元々はお茶の時に出される軽いお料理のことを指すんですよ」
「お茶のときに石を出したの?」
「もう。違います。禅僧の修行の一つに、お昼の後は食事をとらない、というものがありまして、寒い夜の修行のときに、暖めた石を抱いて餓えと寒さをしのぐ、というのが本来の“懐石”なんです。ここから、“懐石”=“ちょっとの間餓えをしのぐ”という意味に変わっていったんです」
「そっか。懐石料理っていうのは、ちょっとの間餓えをしのぐための料理なんだ。……にしては、結構ボリュームあるんじゃないのかな?」
 僕はお膳に盛られた料理を見て言った。
「ええ。先ほど申しましたとおり、懐石料理は、元々はお茶のための料理なんです」
「お茶のための?」
「はい。お茶の中でも、特に濃茶は、空腹時に飲むと濃すぎておいしく頂けません。ですから、そのためにお腹に入れておく料理が、本来の懐石料理なんですよ」
 そう言ってから、若菜は「あら」と苦笑した。
「すみません、わたくしばかりおしゃべりしてしまって。お料理が冷めてしまいますね」
「そっか。僕のほうこそ、説明させたりしてごめん。料理はおいしく食べたいものね」
「そうですよね。わたくしは……」
「え?」
「い、いえ、なんでも。さぁ、食べましょう」
 ちょっと頬を赤くして、若菜はお箸を取った。僕も若菜の真似をしてお箸をとる。
 懐石料理はとっても美味しかった。正直に言って量はちょっと足りないかな、とも思ったけど、それは言っても仕方ないし。
 そんなわけで、僕たちはお寺を出たんだけど……。
「やっぱり、暑いなぁ」
「そうですね」
 僕たちは、ちょうど祇園の裏道を並んで歩いていた。格子戸が並ぶ通りを歩いてると、なんだかタイムスリップしたみたいな気分になる。
 と。
 チリリーン
 涼しい音が聞こえてきた。そっちを見ると、風鈴を売ってる店みたいで、軒先から店の中までいっぱい風鈴が吊ってある。
「わぁ、風鈴だ。ちょっと寄ってみない?」
「はい」
 若菜はニコッと笑ってうなずいた。
 僕らはその店に入っていった。
「うちは一見さんお断りです」
「そ、そうなんですか?」
 中から出てきたおばさんに、けんもほろろに言われてしまって、僕は肩をすくめた。
「それじゃ、仕方ありませんね。行こうか?」
「はい……」
 若菜も残念そうにうなずいた。
 と、
「こんにちわ」
 涼しげな声がした。今まで渋面だったおばさんが、そっちを見て表情を和らげる。
「あら、絹奴はん」
「風鈴、取りに来ましたえ」
「ちょっと待っててや。ええっと、鍵屋さんのは……っと」
 おばさんが奥に入っていった間、僕はその人に目を向けた。
 きれいな人だなぁ。芸者さんなのかなぁ?
 と、その人が僕たちに視線を向けた。慌てておじぎをする僕に、その人は微笑んで軽く頭を下げてくれた。
「こんにちわ」
「あ、はい」
「見たとこ、学生はんらしゅおすなぁ。どちらから来られはりましたん?」
「え? あ、僕は東京からです」
「東京どすか? そりゃ遠いところから。観光どすか?」
「いえ、昔の同級生に会いに来たんです」
 僕が答えると、その人は若菜の方に視線を向けて目を丸くした。
「まぁ。よう見ると若菜はんやない?」
「え?」
 キョトンとする若菜。
 その人は、ちょっと拗ねたような口振りで言った。
「いややわぁ。毎年遊んであげてるのに、忘れはりましたん?」
「えっと、えっと……」
 若菜は額に手を当てて少し考えてから、顔をあげた。
「もしかして、鍵屋の美鈴さん?」
「今年からは絹奴どす。あんじょうご贔屓にな。それにしても、若菜はんがいつも言ってはった旦さんって、このぼんぼんやったんやなぁ」
「美鈴さん!」
 おろ? 若菜が慌てて口を塞いでる。どうしたんだろ?
 そこにおばさんが戻ってきた。
「お待たせ……って、何してはりますん?」
「あ、何でもありません」
 女の人を離して赤面する若菜。
 その人はクスクス笑うと、おばさんに言った。
「頼みがあるんやけど」
 チリリーン
「よかったね、売ってもらえて」
「ええ」
 僕たちは、夕暮れの鴨川べりを歩いていた。
 結局、あの人の口添えで、僕らは風鈴を売ってもらうことが出来た。僕の風鈴は背中のリュックに入ってるけど、若菜はそれを手からぶら下げて歩いている。
「やっぱりいい音がします」
 ガラスの風鈴を目の高さにかかげて、若菜は微笑んだ。
「このまま時が止まればいいのに……」
「え?」
 そういえば、若菜、まだ帰らなくてもいいんだろうか?
 僕は立ち止まった。
「あのさ、若菜。そろそろ帰らなくちゃいけないんじゃ……?」
「……」
 若菜は、僕の数歩先で立ち止まると、鴨川の水面を見つめた。
 サラサラサラ
 水の流れる音が、僕の耳にこだまする。
「わたくしは……」
 若菜はかすかに何かを呟いた。水の音にかき消されてしまうくらいかすかに。
「え?」
「……いいえ、なんでもありません」
 そう言うと、若菜は顔をあげ、僕に向き直った。
「それでは、今日はこれで……失礼いたします」
「うん」
 僕がうなずくと、若菜は寂しそうに微笑んだ。
「また、来て下さいますか?」
「うん……。必ず来るよ」
「はい。若菜は……あなたをお待ちしております」
 そう言って、若菜は深々と頭を下げた。
 カタンコトン、カタンコトン
 夜行は、レールの上を走り続けていた。
 僕は、B寝台の上のベッドで寝返りを打った。
 別れ際の若菜の顔が、思い浮かぶ。

「お待ちしております……」

 いつまで、僕はこんな旅を続けていくつもりなんだろう?
 いつか、この旅に終わるときが来るんだろうか?
 枕に顔を埋めてそれを消して、僕は眠りにつこうとする。
 単調な電車の音が、繰り返し僕を責めてるような気がした。

《終わり》

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