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Sentimental Graffiti Short Story #17
妙子ちむさん

「こちらのお部屋になります」
 仲居さんに案内されて、僕達はその部屋のドアを開けた。8畳間くらいの部屋で、大きめなテーブルには、ポットと急須、それから煎餅を乗せた木の皿が置いてあった。さらに奥にはテレビもある。
 部屋の突き当たりには板張りになっていて、大きな窓があって、そこから外が見えるようになっている。
 築何年なんだろう? 多分、民家を改装したその民宿は、ひなびた風情があって、とても落ちつく感じがした。
「それでは、ごゆっくり。夕食は5時から9時の間に。露天風呂は5時から1時まで、となっておりますので」
「はぁ、どうも」
「お世話になります」
 要領を得ない返事をした僕の後ろから、妙子が頭を下げた。仲居さんは頭を下げ返して、廊下をすたすたと歩いていった。
 僕は、先に部屋に入ると、鞄を置いて畳にごろっと横になった。
「ふぅーっ、疲れたぁ」
「ちょっと、すぐにごろっと横にならないでよね」
 文句を言いながら、僕の上を跨ぎ越して、妙子は部屋の奥に入った。……スカートじゃないんだよなぁ、惜しい。
「ちょっと、変な目で見ないでよね」
「見てません」
「どうだか」
 そう言いながら妙子は、部屋の隅に自分の鞄を置くと、僕の鞄も拾い上げてその隣に置いた。それから、窓に近寄ると、カラカラと開ける。
「うわぁ、いい眺め!」
 歓声を上げる妙子の背中を見ながら、僕は身体を起こした。それだけでも、窓の向こうに紅や黄色に彩られた山並みを見ることが出来る。
 妙子は、息を大きく吸い込んで、振り返る。
「空気も美味しいし、来てよかった」
「それはよろしゅうございました」
 ふざけて答えると、妙子はくすっと笑った。
「……ばか」

 夕御飯の時間まではまだまだあるし、それに外もまだ明るいというわけで、僕と妙子は、外をそぞろ歩いていた。
「……なんだか、信じられないな」
「え?」
「あなたと、こうして歩いていること」
 たたっと2、3歩先に行くと、妙子は手を後ろに組んで振り返った。
「そうだね」
 僕は、頭を掻くと、鮮やかに彩られた山の方に視線を向けた。
「僕も、想像してなかった」
「……後悔、してる?」
 ちょっと心細そうな顔をする妙子。
「後悔? うん、ちょっとしてるかな」
「えっ?」
 僕は、妙子を後ろから抱き寄せた。
「きゃっ」
 可愛い悲鳴を上げる妙子の耳元で囁く。
「妙子と離ればなれになってたことは、後悔してるよ」
「……んもう。脅かさないでよぉ」
 ほっとしたように力を抜いて、身体を僕に預ける妙子。
「あれ? またちょっと大きくなってない?」
「ばっ、ばかっ! 離しなさいよっ、エッチなんだから、もう!」
 ばたばたもがく妙子。その髪の香りが、やっぱり妙子も女の子だなと実感させてくれてそれはそれでよろしい。僕はナチュラル派なので、コロンとか化粧品の匂いってどうも好きになれないのだ。ナチュラル派って言っても縛って奴隷にしたりする趣味はないって判る人だけ判ってくれ。
「あ、またなんだか変なこと考えてるでしょう?」
 うーん。やっぱり幼なじみだけあって筒抜けらしい。とはいえ、僕には妙子の考えてることはいまいちよく判らない。これは不公平じゃないか?
 ともかく、それ以上怒られる前に、僕は妙子を解放した。
「そろそろ帰ろうか? 暗くなるとやだし」
「そうね。こんな路上で襲われたくないし」
「路上でなければいいの?」
「時と場合くらい選ばせて」
「……けち」

「ふぅ、食った食った」
「美味しかったね」
 食事を済ませて、俺達は部屋に戻ってきた。
 妙子は、なんだか頻りに感心している。
「何か隠し味でも使ってたのかな? ま、素材がいいっていうのが一番なんだろうけど……」
「まぁまぁ、妙子さんや。研究熱心なのはいいけど、たまには素直に味わえばいいじゃない」
「だけど……。うん、そうだね」
 そう言って、妙子はぺろっと舌を出した。
「さて、ひとっ風呂浴びるかな。妙子はどうするの?」
「あ、それじゃあたしも行くから、ちょっと待ってて」
「待ってって、何か準備でもするの?」
 訊ねた僕に、妙子はむっとして言い返した。
「女の子は色々と準備があるの」
「へいへい。それじゃテレビでも見てますかね」
 そう言って、僕はテレビを付けた。
 一昔前なら、半分砂嵐な辺りがなかなか山奥を感じさせてくれたものなんだろうけど、衛星放送は偉大だった。ちゃんと綺麗に写る。ま、ニュースとスポーツと映画しかないのは御愛嬌というものだろう。
 と、と。おっ、こ、これはっ!!
「お待たせ。それじゃ行きましょうか」
 ……妙子、タイミング悪すぎ。

「混浴じゃないのかぁ……」
「当たり前でしょっ!」
 妙子は「女」って書いてあるのれんの前で、腰に手を当てた。
「馬鹿なこと言ってるんじゃないの」
「……ちょっとは期待してた?」
「うん……。って、そんなわけないでしょっ! もう!」
 一瞬頷きかけて、真っ赤になって怒る妙子。
「ほんとかなぁ〜?」
「ばかっ!」
 そう言い捨てて、妙子は女風呂の方に入って行ってしまった。
 へっくしゅん。
 おっと、いけない。僕も早く暖まろうっと。

 大方の期待を裏切って、中で女風呂と繋がってることもなかったので、僕はさっさと上がって部屋に戻っていた。
 テレビなんか見ていると、不意にドアが開いて、妙子が戻ってきた。
「ひっどいなぁ。さっさと行っちゃうなんて」
「ひっどいなぁ。僕に湯冷めしてろっていうのね」
 真似して言い返すと、妙子は苦笑した。
「それもそっか。ま、今回は許してあげる」
「次回からは待ってろって?」
 僕も笑いながら言い返した。
 それから、妙な沈黙が流れた。
 何か言わないと。
「か、髪……」
「えっ!?」
「髪、下ろしてるんだ」
「あ、うん。洗ったから……」
 ちょっと赤くなって、妙子はまだ濡れている髪に手を触れた。
「変、かな?」
「いや、別に……」
 また、沈黙。
 妙子をちらっと見ると、畳みに正座して、浴衣の裾を指でくるくる巻いたりしている。随分落ちつかない様子だ。
 ……僕も落ちついてないんだけど。
「あ、あの……」
「あのさ……」
 声が被った。思わず顔を見合わせて、それから、また黙り込む。
 ちらっと部屋の奥を見ると、既にのべてある布団が二組。僕らがお風呂に入っている間に、宿の人が敷いてくれたらしいんだけど。
 チッチッチッチッ
 時計の秒針が進む音が、妙に耳につく。午後10時過ぎ。
「ま、まだ寝るには早い時間だよな」
「そ、そうよねっ」
 ぱっと明るい表情になる妙子。
「そうだ! トランプ持ってきたんだ。やろ、トランプ!」

「これで、あがりっと」
「あ、またぁ?」
 ぷっと膨れる妙子。僕は笑って、手札をさらした。
「はい。文句ある?」
「うーん。どうして勝てないのかなぁ?」
 腕組みして首を傾げる妙子。
 縛っていない髪が、さらっと流れて、思わず僕はドキッとした。
 時計を見る。11時47分。
「……妙子」
「何?」
 布団の上に広がったトランプを集めて、シャッフルを始めた妙子に、僕は声を掛けた。
「そろそろ……」
「え? あ、うん」
 妙子は、トランプをまとめると、箱に入れた。それから、その箱を鞄にしまうと、向き直った。
「ね……、私、どうすればいいの?」
「さて?」
 僕は頭を掻いた。
「なにせビギナーなもので」
「……なんだ」
 妙子は、少し笑った。
「よかった」
「何が?」
「だって、経験豊富、なんて言われたら嫌だもん」
 そう言ってから、うなじまで真っ赤になって顔を伏せる妙子。
「私以外の女の子と、なんて……嫌だもん」
「妙子だけだよ」
「本当に?」
 顔を上げると、妙子は僕をじっと見て、それからコクンとうなずいた。
「そうだよね。うん」
 なんか信用してくれたらしい。

 翌朝。
 寒くなって目が覚めると、妙子が毛布にくるまって眠っていた。……僕は全裸だ。
 ……この状況を鑑みるに、妙子が二人で被っていたはずの毛布を独占して、僕が放り出されたということなのだろう。
 うーん。二人で寝るのはちょっと考えた方がいいかもしれない。真冬の青森でこれをやられた日には、凍死してしまう。
 カーテン越しに、光が射してきている。外はもう明るいようだ。
 僕は、体を起こすと、窓まで歩いていくと、カーテンを開けた。今日もいい天気だ。
 ちなみに、僕はまだ全裸だ。

 あとで起きた妙子に悲鳴と枕をぶつけられて、僕はとりあえずパンツをはいた。
「はいたよ」
「んもう、びっくりしたんだぞ」
 真っ赤になって、妙子はぷいっと横を向く。
 初々しくてなかなかよろしい。これが夫婦になって10年もすると、何とも感じなくなるらしいから、倦怠期とは怖ろしいもんだ。
「またまた。夕べはあんなにいい声あげてたのに」
「なっ!」
「ちなみに、ちゃんと録音してました」
「う、うそっ!!」
 僕はMDプレイヤーを鞄から出して、言った。
「一生の記念だもの」
「ちょ、ちょっと、冗談でしょ?」
 うろたえる妙子に、思わず僕は笑いだしていた。
「冗談だよ、冗談。これ、再生専用だもの」
「……」
 あ、やばい。
「さって、朝風呂に入ってくるかなぁ」
 僕は、タオルを片手にそそくさと部屋を飛び出した。後ろから妙子の怒鳴り声が聞こえてくる。
「馬鹿ぁ、死んじゃえっ!!」
 昨日は、「死んじゃう」って言ってたくせに、と言い返すと泥沼化するので、僕はそのまま風呂に入りに行くのだった。

 風呂から上がって、筆舌に尽くしがたい苦労の末に、なんとか妙子と仲直りしてから、僕は彼女とさし向かいで朝ご飯を食べていた。
「うん、美味い美味い」
「もう、ご飯ばっかり食べないの。ちゃんとおかずも一緒に食べなくちゃ」
「いいじゃないか。胃の中に入れば、順番なんて関係ないだろ?」
「それはそうかも知れないけど……。あ、コラ! 誤魔化すんじゃないの!」
「別にそういうわけじゃないけど」
「あ、ほっぺたにご飯粒ついてるぞ」
「え? どこ?」
「もう。取ってあげるから、じっとしてなさい」
 妙子にご飯粒を取ってもらいながら、僕はこういう幸せっていうのもいいなぁ、とジーンとしていた。

《終わり》

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