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Sentimental Graffiti Short Story #17
妙子ちむにー

 ガチャン
「ふぅ」
 ビールケースを積み上げて、僕は汗を拭った。それから声をかける。
「おじさん、ここに置いておけばいいの?」
「ああ。それから、こっちのケースをトラックに積んでくれ」
「わかった、おじさん」
 僕が答えると、脇で見ていたおばさんが苦笑する。
「おじさん、じゃないでしょ?」
「あ、そうか」
 僕が頭を掻くと、おじさんの方も苦笑した。
「よせやい。今さらお前さんに『お義父さん』なんて呼ばれると、体が痒くなるぜ」
 と、奥から声が聞こえてきた。
「お父さん、お母さん、あなたぁ、お茶が入りましたよぉ。ひと休みしましょ」
「……」
 僕とおじさんは何となく顔を見合わせた。

 大学を卒業した僕は、その足で妙子の実家、つまりここ、安達酒店に向かった。もちろん、妙子の両親に結婚の許しをもらいに行ったんだ。
 もちろん、僕の両親も妙子の両親も、僕が妙子と付き合ってることは知ってる。でも、結婚となると話は別だ。
 でも、4年間離れて過ごして、僕と妙子の気持ちは一つだった。
 これ以上離れていたくない。
 これからはずっと一緒にいたい。
 それだけだった。
 だから、僕は卒業すると同時に安達酒店にやって来たのだった。
「卒業おめでとう」
「おめでとさん。まぁ、一杯飲めや」
「あ、はい」
 僕はおじさんにビールを注いでもらった。
 妙子が乾杯の音頭をとる。
「そ、それじゃ、乾杯しましょ、乾杯」
 妙子の顔が妙に引きつっているのは、もちろんこの後の事があるからなんだけど。
「乾杯!」
 カチャン
 コップが触れあった。
 ゴクゴクとビールを飲んだけど、味がさっぱりわからない。僕も緊張してるんだ。
 おじさんも、おばさんも、僕と妙子の様子から、何かを察したんだろう。いつもみたいに軽口を叩くこともなく、黙々としている。純だけが、妙な雰囲気に、テーブルの上の料理に箸を付けたものかどうか迷っている様子が妙に可笑しかった。
 いつの間にか僕の後ろに来ていた妙子が、ビールを飲んでいた僕の肩をつついた。
「え?」
「あっちゃん……」
 振り返って妙子の必死な顔を見て、僕はうなずいた。それから、握っていたコップのビールを飲み干して、いままで胡座をかいていたのを、正座に組み直した。
「おじさん、おばさん、聞いて欲しいことがあります」
「お、おう」
 おじさんが2、3度頷くと、僕たちのほうに向き直る。おばさんも、その横に正座した。
 純が僕たちを見回して、おそるおそる訊ねた。
「俺、あっちに行ってた方がいい?」
「ううん、純もいて」
 妙子の言葉に、頷いて座りなおす純。
 僕はそれを確認してから、おじさんに言った。
「おじさん、妙子と結婚させて下さい」
「……」
 黙っているおじさんの脇を、おばさんが肘でつついた。
「ほら、あんた」
「あ、ううー、えー、まぁなんだ、二人とも、まだまだ若いじゃないか。まだ22だろ?」
「ええ。でも……」
「それに、まだおまえさん就職も決まってないんだろう?」
「それは……」
 僕は肩を落とした。平成不況って言われてるだけあって、就職が出来なかったんだ。
 と、妙子が後ろから僕の肩に手を乗せて、言った。
「違うの、お父さん! あっちゃんはあたしのために……」
「そうじゃないって。就職できなかったのは僕だから」
「聞いて! あっちゃんは、本当は東京で就職が内定してたの。でも、あたしが青森を離れたくないって言ったら、それを全部断っちゃって……」
「本当なのか、それは?」
 おじさんに聞かれて、僕は答えに詰まった。
 確かに妙子の言う通りだけど、それを言うのはなんとなく気恥ずかしかった。
 それに、将来の事を考えたら、本当に妙子の事を思ってるなら、ちゃんと就職するべきじゃなかったかな、と考えたのも事実だし。
 だけど。
 僕は、僕の肩に乗せられたままの妙子の手の上に、自分の手を重ねた。
「あっちゃん……」
 妙子の手が震えていた。
 僕は、言った。
「ええ。僕は4年間、いえ、この家を出てからずっと妙子と離れ離れになってたんです。これ以上離れていたくなかったんです」
「おまえ……」
 おじさんは絶句した。
 僕は妙子の手をぎゅっと握った。
「僕は妙子と結婚します」
 今まで黙って聞いていたおばさんが、おじさんの肩を叩いた。
「あなた」
「な、なんだ?」
「もう、この人ったら照れてるんだから」
 笑ってから、おばさんは僕に向き直った。
「あのね、あなたが就職できなかったって聞いてね、この人ったら、“これで、安達酒店の跡を継いでくれるかな”なんて言ってたのよ」
「ば、馬鹿。あれは、その、酔った弾みでだな……」
「お父さん、それホント?」
「やったぜ、兄ちゃんが酒屋を継いでくれるなら俺助かるなぁ」
 純もうんうんとうなずく。
 おじさんは苦りきった表情で、自分の家族を見回すが、まさしく四面楚歌。
 僕は、じっとおじさんを見つめて、もう一度言った。
「結婚します」
「えー、まぁうちで働くってのは構わんが、一足飛びに結婚ってのはな、その、やっぱり早過ぎるぞ」
 そう言って腕を組むと、おじさんはもう一度言った。
「うん、早過ぎる。そうは思わんか、なぁ?」
「そうかしら? まぁ、あなたがそう言うんなら……」
「お、お母さん」
 思わず声をあげかけた妙子を制して、おばさんは言った。
「試用期間ってことで、住み込みで働いてもらうってことでどうかしら?」
「す、住み込み?」
 ちょっと考えて、僕は頭を下げた。
「御世話になります」
「む……」
 腕を組んだまま固まるおじさん。
 こうして、大勢は決した。
 それから、早いものでもう1ヶ月になるんだ。
 最初はしぶってたおじさんだけど、妙子が始終僕とベタベタしてるうちに、何も言わなくなってしまった。慣れって怖ろしい。
 まぁ、おばさんが僕のことをお客さんの奥さんたちに「うちの妙子の旦那」として紹介してしまい、それで定着しちゃったってのも大きいんだろう。
 というわけで、僕と妙子はなし崩しに新婚夫婦状態になっていた。
 今も、僕の隣に寄り添ってかいがいしくお茶を淹れている妙子を見てると、なんだか幸せっていいなぁって気分になる。
 と、妙子が顔を上げた。
「どうしたの? じっと見たりして……」
「うん。お茶を淹れる妙子って、なんかいいなぁって思って」
 僕が言うと、妙子はぽっと赤くなってもじもじした。
「やだぁ、もう。おだてても何にも出ないんだからぁ」
「おだててるんじゃないって。僕はホントのことしか言わないんだから」
「嘘ぉ」
「嘘じゃないって」
「嘘ぉ」
「嘘じゃないって」
「うぉっほぉん」
 おじさんが盛大に咳払いして、妙子はあわてて湯のみをおじさんの前に出した。
「ごめんなさい、お父さん。はい、お茶」
 ちなみに、お茶はすっかり冷めてたりする。
 おばさんは苦笑した。
「お父さん、妙子にお茶を淹れてもらうのはあきらめなさいって」
「な、何を言ってる? 子供にお茶を入れてもらって何が悪い?」
「もう、ほんとにお父さんは子供なんだから。ごめんなさいね」
「いえ、そんな」
「あ、そうだ! あっちゃんの好きな羊羹買ってきたんだ! ちょっと待っててね」
 そう言って、ぱたぱたと台所に走って行く妙子の後ろ姿を見送ってから、おじさんは腰を上げた。
「さて、仕事の続きだ」
「あ、僕も……」
「妙子が羊羹を用意してくれるんだ。食べてから来いよ」
 そう言って、店の方に出て行くおじさんの肩に哀愁が漂っていた。
「それじゃ、ごゆっくり」
 笑いながらそう言って、おばさんも店の方に行ってしまった。僕が一人、お茶の間に残される。
 うーん。やっぱり悪いよなぁ。僕も行こう。
「お・ま・た・せ、あなた。はい、羊羹よ」
 腰を上げかけたところに、妙子が戻ってきた。
「う、うん」
「ほら、座って座って。はい、あーん」
 ごめん、おじさん。僕は羊羹を食べるよ。
「あーん」
 ぱく
「美味しい?」
「うん、美味しいよ」
「よかったぁ」
 妙子は手を叩いて喜んだ。
「さて、仕事しなくっちゃ」
「え? もう? んもう、お父さんったら、あっちゃんに仕事押し付けてぇ。文句言ってくる!」
 立ち上がろうとした妙子を慌てて止める。
「違うってば」
「それじゃ、ちゃんと食べて」
「はいはい。あーん」
 僕はもう一度口を開けた。
 ぱく
 むしゃむしゃ
「うん、美味しいよ」
「よかったぁ。もう一つ食べる?」
「う、うん……」
 結局、僕は羊羹を丸々一棹食べる羽目になった。
 一日の最後の仕事、配達を手伝って、僕はおじさんとトラックに乗って町の中を走り回った。
 小さな町だけど、結構色々と覚えることもあるしね。
 それも終わって、僕とおじさんは、軽くなったトラックで戻るところだ。
 すっかり辺りは暗くなって、街灯が道を照らしている。
 僕は、思いきってたずねてみた。
「おじさん……」
「なんだ?」
 ラジオから、野球放送が流れてくる。
「その……、すみません」
「何がだ?」
「何がって……。妙子のことで……。最近、妙子がおじさんやおばさんのことをないがしろにしてるみたいで……」
 僕は言い淀んだ。
 おじさんは、ハンドルを切りながら言った。
「しょうがないだろう。判っちゃいるんだけどなぁ」
「すみません」
「お前さんが謝る事はないさ」
 そう言って、しばらく沈黙する。
 それから、おじさんは前を見たまま口を開いた。
「ただな……」
「ただ?」
「お前に頼みがあるんだ。あんまり妙子を甘やかさないでくれよな」
「……」
 少し考えて、僕は了解した。
 妙子を叱る役は、もうおじさんやおばさんじゃなくて、僕なんだ。
「それじゃ、これからはビシビシやらせてもらいますよ」
「ああ……。頼むよ」
 それっきり、後は何も話をすることなく、トラックは家についた。
 トラックを車庫に入れるおじさんより一足先に玄関のドアを開けると、台所からエプロン姿の妙子が飛び出してきた。
「お帰りなさい、あなた! ご飯にします? それともお風呂?」
 僕は微笑えんだ。
「そうだね。ご飯にしよっか」
「はぁい。もうご飯はできてますから、手を洗ってきてね」
 そういうと、妙子は身を翻した。エプロンの裾がヒラリと空を舞う。
 その後姿を見送りながら、僕は、彼女に厳しくするのは明日からにしよう、と思った。
 ま、概ね、僕らは平和だ。

《終わり》

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