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Sentimental Graffiti Short Story #10
続・帰るところ
グツグツグツグツ
お鍋が盛大に湯気を吹き上げてる。
ちょっと蓋を取って、お玉にスープをすくって、味見をしてみる。
うん、いい味出てる。
「姉ちゃん、腹減ったぞぉ」
「判ってるわよ。もうちょっとだから、待ってなさい」
純に言うと、あたしは鍋の蓋を閉めた。
今日はお父さんとお母さんは、組合の忘年会とやらで帰ってこない。というわけで、純とあたしの夕御飯をあたしが作ってるんだ。
って言っても、普段もお父さんもお母さんも忙しくて、あたしが夕御飯を作ることが多いから、それは別に問題じゃないんだけど。
ピーッ
あ、ご飯が炊けたみたい。
と。
ピンポーン
チャイムが鳴った。
「あん、もうこの忙しいのに! 純、ちょっと出て!」
「ええ〜? 俺も忙しいんだけどなぁ。もうちょっとでフシギバナをゲットできるんだぜ」
「いいから、出なさい!」
「へいへい」
……まったく、どんどん生意気になるんだから。
純が玄関に向かうパタパタという足音を聞きながら、あたしは煮ていた里芋に菜箸を刺してみた。よし、煮えてる煮えてるっと。
と、玄関の方からごそごそという音が聞こえてきた。お母さん、予定よりも早く帰ってきたのかな?
あたしはエプロンで手を拭きながら、台所から出た。
「……あ」
そこにいたのは……。
「やぁ、久しぶり。元気だった?」
「……お帰りなさい」
あたしは、そう言うと、思わずこぼれてきた涙を慌てて袖で拭いた。
「それにしても、どうして?」
「いや、純くんに「黙って上がって来なよ」って言われちゃってさぁ」
!
あたしが視線を向けると、彼の後ろで純がVサインを出してる。
計ったなぁ、純!
と。
ブシューーッ
あたしの後ろでお鍋が盛大に蒸気を吹き上げた。
「ありゃりゃ。ごめん、あたし料理してる途中だから。こたつにでも入ってて」
「そうするよ。お邪魔さま」
そう笑って、彼は居間の方に行った。
あたしは火を弱くして、鍋の蓋を開けた。
そっか。帰ってきてくれたんだ。
さて、一人分増えたなぁ。どうしよっかなぁ♪
「ねぇ、こんな時間に来たって事は、今日は泊まってくんでしょ?」
「あはは。お願いできれば。流石に青森で真冬に野宿は厳しいんで」
居間から彼の声が聞こえてきた。
「もう、しょうがないな。でも、ちょうどよかった。今日はお父さんもお母さんもいないから、ちょっと不用心で心配だったんだ」
「姉ちゃん、声が嬉しそうだぜ〜」
純……。あとでおこずかい10%減額、決定。
「こら、純。オトナをからかうんじゃありません」
「どこがオトナなんだかぁ。胸はないくせにぃ」
バキィ
あたしの手の中で、菜箸が折れた。
……おこずかい全額カット。
「やだ、もう純ったらぁ。あははははは」
「妙子、声がうつろになってるぞ」
「う、うるさいわね! 胸があるのがいいんなら遠くに行っちゃえ」
「確かに長崎や福岡は遠いけど……」
「……どうしてそこで長崎や福岡なのよ」
「……」
なぜそこで黙るのよぉ?
「さ、どうぞ。急に来るから、ありあわせのものになっちゃったけど」
こたつの上に作った夕御飯を並べると、あたしは彼にご飯をよそってあげて、手渡した。
「サンキュ。いやぁ、いつも悪いねぇ」
「それは言わない約束でしょ?」
「うんうん、このノリ。判ってるねぇ、妙子くん」
「伊達に幼なじみしてないわよ。千枚漬け食べる?」
「おう、こういう古き良き日本の食卓っていいよなぁ。惜しむらしくは、これがちゃぶ台じゃない事かなぁ?」
「何言ってるのよ、もう。お代わりは?」
「そんなに一気に食えるか。ん、この里芋、いい味出してるじゃないか」
「そう? えへ、煮付けには、ちょっとは自信あるからなぁ」
そこで、はっと気付くと、純が頬杖してじぃっとあたし達を交互に見ていた。
「な、なによ、純」
「んにゃ」
それだけ言ってにやにや笑う純。もう、こいつはぁ。
あたしが純をじろっと睨んでいると、不意に彼に尋ねられた。
「そういえば、妙子。明日は暇?」
「え?」
言われて考えてみる。そういえば明日は友達と……。
「いや、暇がないんならいいけど」
「ううん、暇よ」
心の中で友達に手を合わせながら、笑顔で答えると、彼はうなずいた。
「それじゃ、ちょっと付き合ってくれる?」
「え? つ、付き合うって、そんな……」
かぁっと頬が火照って、慌てて両手で押さえる。
「これこれ、妙子さんや。そういう意味じゃないってば」
笑って言う彼。それはそれでちょっと……って、何を考えてるのあたしってば!
「姉ちゃん、お代わり」
「自分でよそいなさい」
「……けち」
……眠れない。
あたしは、何度目かの寝返りを打ってから、眠るのをあきらめて目を開けた。
近ごろ、あいつが来るといつもこう。ドキドキして眠れなくなっちゃう。
まいっちゃったなぁ。ほんとに。
枕に頭を押しつけたまま、勉強机を見る。
フォトスタンドに入ってる写真。その中で笑ってるあいつとあたし。
これから、あたし達ってどうなるんだろ?
ずっとこのままなのかな? それとも……。
……やめよう。
とりあえず、いまは彼はいてくれる。それでいいじゃない。
あたしは、枕に顔を埋めた。
ジャーーッ
冷たい水で顔を洗って、タオルで拭くと、あたしは腕をまくり上げる。
居間からは、テレビニュースの音が聞こえてくる。彼がこたつで丸くなってるんだ。
「ねぇ、お弁当作る?」
「ん〜。どうしようか?」
確かに、この寒さで、外でお弁当広げても凍っちゃうからねぇ。
でも、お弁当は女の甲斐性ってお母さんも言ってたし。
「帰りは昼過ぎになるんでしょ? それだったら、やっぱり作るね」
「そうだね。そうしてもらえると、昼飯代も浮くし」
「な〜んか、けちくさいよ」
あたしが笑って言うと、彼も苦笑してる。
「まぁね、交通費だってけっこうかかるし、節約できるところは節約しないと」
そうだった。彼は東京から来てくれてるんだ……。
「……ごめんね」
「なんだよ、急に」
「……ううん。それじゃ、お弁当作るね」
まだ起きてこない純(日曜は10時まで寝てるんだよね、この極道小学生は)に置き手紙を残して、あたし達は家を出た。
「さて、どっちだったっけ?」
家を出たところで、彼は左右を見た。
「え?」
「妙子は何も言わないでくれよ」
「う、うん」
あたしにそう言うと、彼は歩きだした。妙にゆっくり、左右を確かめるように見回しながら。
まっすぐ行って、2件目の煙草屋の角を右に曲がって……。
あ、もしかして……。
『あ〜、またボタン! ちゃんととめてないとだめでしょ!』
『いいじゃないかぁ』
『よくないってば。ほら、ちょっと動かないでよ……。よし』
『まったく、それじゃ行くよ!』
『あ! ちょっと待ってよ!!』
「……着いたなぁ。やっぱ、結構覚えてるもんだ」
15分後。あたし達は小学校の前に来ていた。
あたし達が通った小学校。
「……懐かしいなぁ。結局、あなたは卒業しなかったのよね」
「僕は小学校は卒業してないんだ」
「え?」
「ま、色々あってね。卒業まぎわまで名古屋にいたんだけど、卒業式をする前に転校しちゃって」
「そうだったんだ……」
あたしが何げなく校門に手を掛けると、門は少し動いた。
「あ、開くのかな?」
あたし達は顔を見合わせた。そして、彼は意を決したみたいに門を押した。
門はゆっくりと開いた。
いろんな遊具は、半分は雪に埋もれてる。
そんな中を、あたし達は歩いていた。
青く塗られた雲梯の前で、彼は足を止めた。
「雲梯かぁ」
「そう言えば、誰かさんは、昔これがちゃんと出来なくて泣いてたよねぇ」
「やかましい。その頃から僕は頭脳労働者だったんだよ」
「そのわりには……」
「人の古傷をえぐるんじゃない」
「はいはい」
あたしが笑って答えると、彼は雲梯にぶら下がった。
「こんなに低かったんだ」
一番低いところだと、ぶら下がる前に足がついちゃうんだ。こうしてみると、背が高くなったんだなって実感出来るな。
「いよっと」
「あ、こら」
彼は雲梯の上に座ると、校庭を見回した。
「危ないよ。降りてきなさいって」
「大丈夫だって。それにしても、懐かしいな……」
「……うん」
落っこちそうにないのを見て、あたしも雲梯に背中をもたれさせて、寄りかかった。
「昼休みによくこの辺りで鬼ごっこしてたよなぁ」
「そうそう」
「んで、妙子が鬼になると、いっつも僕が追いかけられて」
「そ、そうだったっけ?」
「そうだよ」
「うーんと。きっと一番捕まえやすかったのよ」
あたしは雲梯に座ってる彼を見上げた。
彼は、じっとあたしを見おろしていた。視線がぶつかって、あたしは目をそらした。
「な、なに見てるのよ」
「いや、別に。それより、校舎には入れないかな?」
「それは無理でしょ? でも、どうして?」
「……いよっと」
声を掛けて雲梯から飛び降りると、彼は苦笑した。
「ちょっと寒いかなって」
「もう。鍛え方が足りないんだぞっ」
「反省してますって」
「それじゃ、暖かくなる運動しよっか?」
「え? それってもしかして……」
あたしは身をかがめると、雪をすくった。ぎゅっと固めて、投げつける。
「えい!」
ベシャ
命中! っと。
「うわっぷ。やりやがったなぁ!」
「寒いときには雪合戦! これで決まりよ!」
もう一つ雪玉を作りながら、あたしはにっと笑った。
「……忘れてたよ。“雪投げの妙子”と恐れられてたんだよなぁ」
「何よ、そのあだ名は」
「スキ有り! くらえトルネード!!」
バシャァ
「ひゃぁ、冷たぁい! やったなぁ、このこのこのっ、乱れ投げっ!」
「わわわっ。いつの間にそんなに雪玉作ってるんだお前はっ!」
「へっへー。むしり取った衣笠よ」
「……それを言うなら、昔取った杵柄だ」
「ツッコミありがとう!」
バフッ
「ぺっぺっぺっ。この、顔ばかり狙いやがって。怒りの反撃ぃ!!」
「きゃぁきゃぁ!」
10分ほどして。
「はぁはぁはぁ」
雪の中に倒れてる彼の顔を覗き込む。
「ねぇ、生きてる」
「あぁ、なんとかな……」
「もう、体力無いんだから」
「体力の問題じゃないよ。こっちは寒冷地仕様になってないだけだ。よいしょっと」
声を掛けて起きあがると、彼は笑った。
「でも、まぁ暖まったけど、お腹空いたね」
「それじゃ、お弁当にしようか。でも、どこで食べる?」
「体育館の軒先でも借りるかな」
「そだね。あそこだと風も入らないし」
あたし達はうなずいた。
「ううっ」
お弁当のサラダを食べながら、思わず涙するあたし。
サラダは見事にシャーベットになってた。やっぱり雪合戦の間、お弁当は雪に埋めてたのが失敗だったなぁ。
「ま、これはこれで珍味かも……しかしおにぎり固い」
「ごめんねぇ」
おにぎりをかじる彼に頭を下げると、彼は笑ってあたしの頭を撫でてくれた。
「いいって。それより、お弁当食べたら、僕そろそろ帰るよ」
「え? もう!? ……そうだよね。東京は遠いもんね……」
あたしも東京に行けたらなぁ……。
心の中で呟く。でも、無理なのが判ってるから。
「うん。それじゃ、駅まで送るよ」
あたしはそう言った。
青森駅。
「それじゃ、元気でね。頑張ってね。手紙書くね。たまに逢えるよね」
「おいおい、妙子。なんだか今から転校していくみたいじゃないか」
「だって……」
あたしは俯いた。
そのあたしの頭に、彼はポンと手を乗せた。
「また帰るよ」
「!」
あたしは顔を上げた。そして大きくうなずいた。
「うん。また、帰ってきてね!」
《終わり》
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