喫茶店『Mute』へ  目次に戻る  末尾へ

Sentimental Graffiti Short Story #6
帰るところ

 ひゅぉぉぉ〜〜
 雪混じりの冷たい風が、崖っぷちに立つあたし達に向かって吹きつけてくる。
「津軽海峡、か……」
 隣で呟くあなたに、私は微かに微笑む。
「そうよ。どう?」
 しばらく間をおいて、あなたはゆっくりと答えた。
「重い、……いや、なんて言ったらいいのか……」
「……やめましょ。人の言葉なんて、不完全なものだもの」
 また、沈黙。
 そして……。

「……なぁ、妙子。そろそろ、僕、限界なんだけど……」
「……実は……私も……」
「それじゃ、せぇのぉ!」
 ズダダダダダダッ
 声を合わせて、あたし達は崖っぷちから駆け戻った。風が来ないところまで駆け戻って、ほっと一息つく。
「ふぅわぁ〜、死ぬかと思った」
「そう思うんなら、こんな馬鹿なことさせないでよ。あ〜あ」
 あたしは、雪まみれになったコートを手ではたいてみた。やだ、凍っちゃってるじゃないの。
「ちぇ、実際にかっこ付けられるのって、たかだか3分しかないじゃないか。まるでウルトラマンだな」
「あのねぇ。あたしを連れて竜飛岬まで来たのは、ウルトラマンするためだったわけ?」
 んもう。真面目な顔で「行きたいところがあるんだ」なんて言うから、一緒に来てあげたのに。
「だって、こんなこと頼めるのって、妙子だけなんだから、仕方ないだろ? げ、俺のコートも凍ってる」
「……ホントにばか」
 あたしは、改めて目の前で凍ったコートをはたいてる幼なじみどのを見直した。
 昔っから、こういう馬鹿なことには熱中するんだから。
「さて、あなたの用事は終わったんでしょ?」
「え? ま、まぁ」
「それじゃ、今度は私の用事に付き合ってもらうわね」
 バスに電車を乗り継いで、やっとこさ家に帰ってきた。ちなみに所要時間3時間半。つくづく付き合いいいわ、あたしって。
 玄関で、ちょうど出てきた純とバッタリ会った。
「あ、姉ちゃん。今帰り?」
「うん。純はどこかに行くの?」
「ちょっと友達ん家まで。貸してるゲームを取りに行くだけだから、すぐ戻るよ」
 そこまで言ったところで、あたしの後ろにいる彼に気が付いて、挨拶する。
「や、兄ちゃん。また来たの?」
「ああ、久しぶり、純」
「みやげは?」
「こ、こら、純!」
「ごめんごめん。僕も貧乏でね。その代わりに、また旅の話でもしてあげるよ」
 そう言って純の肩を叩く彼。
「それじゃ、また泊まっていくの?」
「世話になるねぇ」
 すっかりなごんで笑いあってる二人。で、あたしの振り上げたこの手はどこに降ろせばいいのよ。
「おっといけねぇ。んじゃ、行って来るよ」
「行ってらっしゃい」
 そのままバタバタと走っていく純を見送って、彼はあたしの方に向き直った。
「……妙子、なにしてるの?」
「え? あ、あはは」
 あたしは手を降ろすと、玄関を開けた。
「さ、入った入った」
「お邪魔……ただいま」
 あたしが睨んだもんだから、慌てて言いなおす彼。
 でも、ここはキミの家なんだぞ。
「お帰りなさい」
 あたしは笑って言ったの。
 トントントントン
「それじゃ、先週まで九州に行ってたんだ」
「うん。だから余計に寒さが身にしみるよ」
 こたつに入ってみかんを剥きながら答える彼。
 あたしは、切った大根をお味噌汁の中に入れてから振り返った。
「でも、前から思ってたんだけど、どうしてそう全国各地を駆けめぐってるわけ?」
 いつ電話してもいないしさぁ……とは、心の中で。だって、隣にお母さんもいるし。
「まぁ、色々とあってさ」
 ……何か怪しい。
 あたしの直感がそう告げているぞ。
「あのさ……」
「妙子。久しぶりに逢えて嬉しいのは判るけど、煮物はちゃんと見てなさい」
「おっ、お母さん!」
 かぁっと赤くなってお母さんを睨むと、お母さんは「ふんふ〜ん」なんて鼻歌歌いながらハンバーグ焼いてる。
 もう、どうしてお母さんといい、純といい、すぐあたしをからかうのよぉ。
 と。
 がらがらがらっ
「ただいまぁ。ねぇちゃん、腹減ったぞぉ〜」
 純が台所に駆け込んできた。
「こら! 帰ってきたら、まず手を洗うっ!」
「へぇ〜い」
 腰に手を当てて睨んで、純をUターンさせると、あたしはお味噌汁に向き直った。お玉で味見して……うん、いい出来。
「兄ちゃんが帰ってきたら、姉ぇちゃん、料理張り切るんだぜ」
「そうなのか?」
 こたつの方で、純と話してる声が聞こえてきた。くぅ〜、純のやつぅ、あとでお仕置きしてやるぅ。
「いやぁ、悪いですねぇ。いつも食事を呼ばれに来てるみたいで」
「遠慮なんてするもんじゃないわよ。さぁ、どうぞ」
 お母さんが言って、彼はこくりとうなずくと、手を合わせた。
「それじゃ、遠慮なく頂きます」
「ま、なんだな、あの頃はまだ子供だって思ってたのに、こんなに大きくなってなぁ。俺も歳取るわけだ。一杯どうだ?」
 配達から帰ってきたばっかりのお父さんが、ビールの栓を抜きながらコップを勧めた。
「え? でも……」
「遠慮すんなって。母さんも言ってる通り、俺達はお前さんのことは実の子供と思ってるんだからよ」
「そうですか? それじゃ……」
「ダメだってば! お父さんも、高校生にビール飲ませるんじゃないの!!」
 あたしが彼からコップを取り上げながらお父さんを睨むと、お父さんはいきなり泣き真似を始めた。
「ううっ。妙子、おめぇは俺の楽しみを取りあげようってのかよぉ。男にとってな、息子と酒を酌み交わしながらしみじみ語るのは夢なんだぞぉ」
「それは純が大きくなってからやればいいでしょ! ホントに、もう。キミもキミだぞっ!」
「だけどさぁ……」
「ダメです!」
 あたしがキッパリと言うと、自分のコップを空けたお父さんが、彼にコソコソと囁いてる。
「妙子は頑固だからなぁ。尻に敷かれるんじゃねぇぞ」
「……没収」
 あたしはお父さんからビール瓶を取りあげた。
「ああっ、俺の楽しみがぁ〜」
「お父さんなんて知りませんっ! ほらキミも、お酒なんて飲んでないで、ちゃんと味わって食べてよね!」
 ……最後の部分が、一番の本音なんだ。だって、あたしがキミのために作ったんだぞ。
「食べてるって。……うん、特にこの味噌汁。これ飲むと、帰ってきたなぁって感じがするんだよなぁ」
「ホント!? あは、いっぱいあるからどんどん食べてね!」
 そんな感じでなごやかな(?)夕食が終わって、あたし達はこたつを囲んで彼の旅の話を聞いてた。
 酒屋なんてやってるから、あたし達は滅多に旅行なんて行かないから、彼の話はとっても珍しいんだよね。
「……で、長崎には市電が走ってるんですけど」
「市電って、チンチン電車?」
「ええ。確か日本でももうほとんどないんですよね。それに乗ってグラバー亭に行ってみたら、えらく時間がかかっちゃって、薄暗くなった頃に着いてみたら、これがなんと休館日」
「まぁ」
「泊まる宿もないし、しょうがないから大浦の天主堂に行きまして、庭を借りてテント張って、そこで寝てたんですけど……」
 でも、なんだかもの足りない。
 なんでかな? 自分でもよくわかんないんだけど……。
 あたしは立ち上がった。みんなが一斉にあたしを見る。
「妙子?」
「あたし、ちょっと部屋に戻ってる。学校の宿題もあるし。ごめん」
 あたしはそのまま、自分の部屋に戻っていった。
 後ろからお母さんの声が聞こえてくる。
「ごめんねぇ。妙子ったら、最近情緒不安定なのよねぇ」
 ……情緒不安定、か。
 キィッ
 勉強机の前に座ると、椅子がきしんだ音を立てた。
 とりあえず教科書とノートを広げたけど、さりとて勉強なんてやるつもりないし。
 ふぅ。
 あたしは、机の片隅に立ってるフォトスタンドに視線を向けた。そして人指し指でちょんとつつくと、小さな声で言った。
「人の気も知らないで。この……ばか……」
 ……胸の奥がきゅんとする。
 なんだか、自分でもどうしていいのかよくわからない。そんな思いに、最近振り回されてるあたし。
 あたしは、自分の顔を両手で挟んだ。そして、机の脇にある姿見を見た。
 あたしが写ってる。
 ……っくしゅん
 くしゃみをして、あたしはぶるっと震えた。よく考えてみたら、ストーブも点けてなかった。
 我ながら重傷だなぁ。
 あたしはストーブのスイッチを入れて、タンスからバスタオルを出した。部屋が暖まるまで、お風呂に入って来ることにしたの。
 チャプン
「……ふぅ」
 湯舟に身を沈めて、ため息を一つ。
 まぁ、あまりクヨクヨ考えても仕方ないよね。
 と、脱衣場の方で声が聞こえた。
「あれ? 電気が点いてる」
「!?」
 あいつの声!?
 あたし、反射的に自分の身体を抱くようにして、湯舟の中に沈み込んだ。
 バシャァッ
 お湯が波打って、湯舟から溢れる。
「妙子?」
「う、うん……」
「あ、入ってたんだ。ごめん。誰も入ってないと思ったからさ。んじゃ、俺、後で入るよ」
 そう言って歩いて行こうとする。
「待って!」
「え?」
 あたしの方が、自分でも驚いてた。どうして、声を掛けたんだろ?
「……どうしたの?」
「ごめんなさい。……何でもない」
「そう?」
 パタパタパタ
 廊下を歩いていく足音が、遠ざかってく。
 それがなんだかすごく寂しく聞こえた。
 あたしは、お湯をすくって顔をざぶざぶと洗った。
 どうしたの、安達妙子? ホントに、なんか変だぞ。
 ……。
 ごろんと寝返りを打って、時計を見る。
 午前1時。
 何で眠れないんだろ? いつもならとっくに寝てる時間なのに。
 耳を澄ませば、微かに風の音が聞こえるくらいで、特に吹雪でもないよね。
 ……やっぱり、あいつのせいかな?
 あたしは起きあがった。布団から出る。
 ぶるるっ。やっぱり寒い。
 脇にあるどてらを着込むと、あたしは廊下に出た。階段を上がって2階につく。
 あいつの部屋からは、まだ明かりが漏れてた。まだ起きてたんだ。
 あたしはふすまをノックした。
「ん? 誰?」
「あたし。入ってもいい?」
「妙子?」
 足音が近づいてくると、ふすまが開いてあいつが顔を出した。
「どうしたの? こんな夜更けに」
「何となく眠れなくて。あなたこそ、まだ起きてたの?」
「時刻表のチェックをしてたから。そろそろ寝ようかなとは思ってたんだけど……」
「そうなんだ……。くしゅん」
 あたしがくしゃみをすると、あいつは慌ててふすまを開いた。
「ともかく入れよ。風邪引くよ」
 私は彼の部屋に入った。ストーブと布団しかない。ま、当たり前だけど。
 でも、ここがずっと前からあいつの部屋なんだよね。
「ま、まぁ、立ってるのもなんだから、座ってよ」
「う、うん」
 あたし達は畳に座った。
 ……。
 なんだか間が持たなくて、あたしはもじもじしてた。あいつも同じみたいで、手にした時刻表を閉じたり開いたりしてる。
 なんだか、すごくもどかしい。
「あ、あの」
 あたしは口を開こうとして、そこで口ごもった。何を言えば、いいの? それが判らなくて。
「私……」
 不意にパタンと時刻表を閉じて、あいつはあたしに視線を向けた。
「妙子、どうしたの? なんだか変だよ」
「……うん」
 あたしはうなずいた。変なのは、わかってる。わかってるけど、どうしようもないの。
 どうしたら、この変な気分が晴れるんだろう?
「……妙子」
 不意に、あいつは真面目な顔で言った。
「え?」
「僕は、ここに帰ってきていいのかな?」
 不思議だった。
 その一言を聞いただけで、いままでもやもやしてたものが、すぅっと晴れた、そんな感じがしたの。
「……うん」
 あたしは、大きくうなずいた。
「いつでも、帰ってきていいよ。あたし……ずっと待ってるから」
「……ありがとう」
 そう言ってうなずくと、彼は微笑んだ。
 翌朝。
 玄関で靴を履くと、あいつは立ち上がった。
「それじゃ、これで」
「あ、待って。はい、お弁当。途中で食べて」
 あたしは、お弁当を渡すと、あいつをぎゅっと抱きしめた。
「た、妙子?」
 あたしは、あいつの耳元で囁いた。
「約束、だからね。ここが、あなたの帰ってくるところなんだから」

《終わり》

 メニューに戻る  目次に戻る  先頭へ