「止めんといて!!」
《完》
叫びながら、夏穂は引き金を引いた。
ガウゥン
派手な音が響き、反動で夏穂は引っくり返る。
そして、老人の前に、一瞬さざ波のようなものが走り、後ろの壁に穴が開いた。
若菜は唇を噛んだ。
「防弾ガラス……」
「最新式のな。拳銃の弾くらいなら、跳ね返して傷一つつかぬよ」
老人は笑った。そして、立ちあがる。
「さて、そろそろ失礼しよう。警察が来たとなると、ここも危ないのでな。ああ、そうそう。君達にも来てもらおう。まだマイクロフィルムの話を聞いてないのでね」
「何を……!」
ガシッ
老人の言葉を聞いて跳ね起きようとした夏穂の腕を、男が踏みつけた。
「やってくれたな!」
憎々しげに言うと、男は夏穂の手を踏みにじった。
「くうっ」
唇を噛んで悲鳴をこらえる夏穂。
「やめて下さい!」
若菜が駆け寄ろうとしたが、別の男が間に入った。
「動くな!」
その手にした拳銃が、若菜を狙っている。
「……」
若菜は、仕方なく動きを止めた。
男は、最後に夏穂を蹴飛ばすと、床に転がった拳銃を拾い上げた。そして夏穂に向け、老人に尋ねた。
「龍大人。しゃべれれば、いいですね?」
「そうじゃな」
「なら……」
彼は、銃口をすうっと滑らせ、夏穂の足に向けた。
「足を撃ち抜いてやる」
「!」
手を押さえていた夏穂は、ばっと顔をあげた。
と、不意に銃声が聞こえた。
老人が顔を蹙める。
「後にせい。今はここから退くことが先決じゃ」
「……ちっ」
男は顔をしかめると、拳銃を向け直した。
「立て」
「夏穂さん……」
若菜の声に、夏穂はよろよろと立ちあがった。
カンカンカンカン
靴音がこだまする地下通路を、老人とそのボディガードの黒服5人、そして若菜と夏穂は進んでいた。
若菜は、裸電球で照らされた地下通路を見回して、小さな声で呟いた。
「昔の鉱山跡ですね……」
「……」
手を押さえたまま、夏穂は黙って歩いていた。
その手にあてた白いハンカチが赤く染まっている。
若菜は、心配そうに夏穂に訊ねた。
「手、大丈夫ですか?」
「大丈夫や」
夏穂は短く答えた。そのこめかみを、汗が一筋流れ落ちる。
「……森井さん……」
「さて、ここまでくればもういいかの?」
老人が立ち止まった。そして顎をしゃくる。
男の一人が頷いて、懐からトランシーバを出した。そしてスイッチを入れる。
一拍置いて、微かな振動が伝わってきた。若菜がはっとして顔を上げる。
「まさか……」
「これで、追っては来れなくなったというわけじゃよ」
「……爆破したんですね」
若菜は呟いた。
「ケホケホケホ」
爆発のせいで、もうもうと煙が立ちこめる中、千恵は咳をしながら両手で埃を払った。
「ったく、やるならやれって言えよなぁ」
「松岡さん、大丈夫ですか?」
警官が駆け寄ってきて、訊ねた。千恵は苦笑して答えた。
「ああ。他の連中の退避は終わっとった?」
「はい。しかし、松岡さんには判っていたんですか? 奴らがここを爆破すると」
「そげんこつ……じゃない。そんなこと、当たり前でしょ。地下に鉱山跡があるっていうなら、逃げるに決まってるし、その時にアジトは爆破してくもんだって。それよりも、その鉱山の地図は、まだや?」
「ここに、あるよ」
別の声がした。同時に、風が吹いて煙が薄れ、少女の姿が現れた。
「優?」
優は、散らばった瓦礫の間を歩いてくると、千恵に地図を差し出した。
それを受け取りながら、千恵は尋ねた。
「傷は大丈夫なん? 防弾チョッキ越しでも、9ミリを5発やろ?」
「大丈夫。問題は無いよ」
そう言って微笑むと、優は山の方に視線を向けて告げた。
「それに、彼も来たし」
「あいつが? やれやれ、やっと登場かいな」
千恵は苦笑した。そして、後ろを振り返って、警官に告げた。
「それじゃ、移動するよ!」
「はっ」
警官は敬礼して駆け去っていった。
「これは、トロッコ?」
地下道を抜けたところに泊まっていたものを見て、若菜は目を丸くした。
それは、ここが鉱山だった頃に使われていたトロッコ列車であった。
「そういうこと。まさか、こんなものまで用意してるとは思ってなかったじゃろう?」
「……これほど用意がいいとは……」
若菜は唇を噛んだ。
「さ、乗れ」
銃を突き付けられ、2人はトロッコに乗せられた。老人達とは別の貨車で、さらに見張りが2人ついている。
「……」
夏穂は貨車の後ろの方にすわり込むと、手をかばうように抱きしめた。若菜は心配そうにその隣に座る。
「森井さん……」
「大丈夫……やって……」
「でも……」
「うちが、こんなところでくたばるわけ、ないって」
夏穂は、若菜に笑みを見せた。
「そや。帰りに家に来いへん? 通天閣スペシャル、焼いたるでなぁ」
「……楽しみにしておりますわ」
若菜は硬い笑みを漏らすと、列車が走る方向を見つめた。
カタンカタン
列車はゆっくりと坑道を登っていった。
「なんだって?」
千恵は、ステアリングを握ったまま、片手で無線機を掴んで叫んだ。
「どういうことなんだよ!」
『ですから、坑道の出口は峠の向こう側です! 県警からも急行させていますが、今からでは間に合わない可能性が高いと……』
「そうかもしれない」
助手席で、優は呟いた。
「車じゃ、間に合わないかも……」
「だから急いでる、だろっ!」
キキキキキ
タイヤが派手な音を立て、車体が横滑りする。
「んなろぉ!」
とっさにカウンターを当てて、バランスを取り戻すと、千恵はアクセルを踏んだ。
優が言う。
「山道で80キロは危ないと思う」
「その鉱山の出口とやらが、山の向こうなんだから、しょうがないだろ! ……だぁ〜〜っ!!」
パパパーッ
向こうから大型のダンプカーが、警笛を鳴らしながら走ってくる。
千恵はとっさにハンドルを切りながら、無線機を放り投げてサイドブレーキを引いた。
ギギギーーーッ
ギリギリでダンプカーをかわすと、サイドブレーキを戻して、再度アクセルを踏む。
優が何事もなかったかのように言葉を告ぐ。
「それから、兵庫県警から報告が入ってた。所属不明のヘリコプターがこの近くに降りたって」
「ヘリ!?」
「ヘリで一気に海上に出て、そこから船かな?」
「他人事みたいに、言うなぁ!」
ブロロロロー−−
山道を走りぬけていく青いロードスター。しかし、峠までまだしばらくかかりそうである。
トロッコ列車が停まった。
「さぁ、降りろ」
「森井さん……」
「判ってるよ」
夏穂は、貨車から飛び降りた。
坑道の出口が見える。そして、そっちから音が微かに聞こえてくる。
パタパタパタパタ
「……ヘリコプター?」
「ヘリで逃げる気ですね」
若菜は静かに尋ねた。老人は振り向きもせずに、坑道の出口に向かって歩きだした。
無言で背中を押され、夏穂と若菜もその後に続いて歩きだす。
坑道を出ると、辺りは茜色に染まっていた。
荒れ放題になっているはずの、もう使われなくなった鉱山の入り口。しかし、そこに生えていたはずの雑草は奇麗に切り払われ、空き地になったところに、大型のヘリコプターがローターを回したまま着地していた。
山の端にかかった夕日が、そのヘリの向こう側から、辺りを残照で包んでいた。
「もう、そんな時間なんだ……」
夏穂は呟いた。と、不意に背中をドンと押されて、その場につんのめって倒れる。
「くっ」
「龍大人、もうここまでくればいいだろう?」
男がいらいらしたように声を荒げて、夏穂に銃を向ける。
「撃ち抜かせてくれよ、あの足をさぁ」
「ちょ、ちょっと……」
若菜が息を飲む。老人は若菜に苦笑して見せた。
「こいつはそういう趣味があってな。腕は確かなんじゃがのう」
夏穂は振り返ってその男を睨んだ。
「この……」
「へっへっへ。そうそう、その気の強そうな顔が、悲鳴を上げて泣き叫ぶのがたまらねぇんだよ」
男はにやにや笑いながら、銃口をゆっくりと夏穂の足に向けた。
周りの男達は、「また始まったか」という表情で、肩をすくめたり、呆れたように明後日の方を見たりしている。無論、誰も止めようとはしていない。
「誰が、あんたなんかに……」
「さあ、泣け、叫べ!」
男は、銃口を足にぴたりと突きつけて、トリガーに指をかけた。
銃声が、山の間にこだました。
ねぐらに帰ろうとしていた山鳥たちが、その音に驚いて一斉に飛び立つ。
ドサッ
絶対に悲鳴をあげるもんか、と唇を噛んで目を閉じていた夏穂は、何かが落ちる音に目を開けた。
目の前に、壊れて煙を吹いている拳銃が落ちている。そして、夏穂に銃を向けていた男の手が、まっ赤に染まっている。
「あ、あ、うわぁーーーっ! 手が、オレの手がぁあぁぁ!」
一瞬置いて、男がその手を押さえて悲鳴を上げた。
周囲の男達は、一斉に銃を抜いて、周囲を見まわした。
と、今まで騒がしかったヘリの爆音が急に静かになって行った。ローターの回転がゆっくりになっていく。
そして、そのヘリから声が聞こえた。
「夏穂を泣かすのは、俺だけの特権だぜ」
その声に、夏穂はヘリに視線を向けて、口をぽかんと開けた。
「……嘘、やろ?」
「貴様っ」
男達が、一斉にヘリに銃を向ける。
ダーン、ダーン
重い銃声がひびいたかと思うと、男達は次々と手を押さえた。
そして、ヘリの操縦席から、青年が降りてくると、夏穂に手を振ってみせた。
「よっ。待たせたね、マイハニー」
「……増田……くん?」
「き、貴様、死んだのではなかったのか?」
老人が、怒りの表情を向ける。
青年は、右手の大きな銃を、ピタリと老人に向けた。
「おっと、自己紹介がまだだったねぇ。内閣調査室所属、増田卓弥捜査官です。以後お見知りおきを」
「内閣調査室!?」
老人は、思わず数歩下がった。
「馬鹿な……、貴様が、内調の……」
「いやぁ、苦労したぜ。なぁ、若菜……。おっと、室長と呼んだ方がよかったかな?」
「お好きな方を」
若菜は苦笑しながら、落ちていた銃を拾い上げた。老人が、さらに驚愕で歪んだ顔を向ける。
「室長、だと?」
「あれ? 知らなかったの?」
青年が笑いながら言った。若菜は、拾い上げた銃から次々に弾を抜き取って落としながら、答えた。
「まだどこにも公表してませんからね。私が内閣調査室長に就任したということは」
「あ、そうだっけ」
と、そこに青いロードスターが突っ込んできた。けたたましいブレーキ音とともに、車体を派手にドリフトさせながら停まる。
運転手側のドアが開いたかと思うと、千恵が銃を構えて声をかける。
「動くな! ……って、あれ? もう終わってるのか?」
反対側のドアから降りながら、優は静かに微笑んだ。
「だから言ったじゃないか。間に合わないかもしれないって」
「……あのねぇ、優。その言葉が足りない性格、何とかしろよ」
大きくため息をつくと、千恵は青年に気づいて片手を上げた。
「よっ。遅かったな」
「感動の再会なんだから、もうちょっといろいろあるだろ?」
銃を脇に提げたホルスターに収めながら苦笑する青年に、千恵は指さした。
「感動の再会なら、あっちとやっとくれ」
青年がそっちに視線を向けると、夏穂がゆっくりと歩み寄ってきたところだった。
「やぁ、夏穂」
「……この、この……」
夏穂は、怪我していない左手を思いっきり振り上げた。
「この、ど阿呆ぅ!!」
思わず目を覆う若菜と千恵。特に関心なし、というふうにじーっと見ている優。
そして。
バッシィーン
乾いた音が、山あいにこだました。
「いってぇ! 何すんだよ、おい!」
「うっさい! うちがどんなに、どんなに……」
夏穂の目から、涙があふれ出した。そのまま、青年の胸に飛び込むと、夏穂は彼の胸に顔を押し付けた。
「……ど阿呆……」
「へいへい」
苦笑しながら、彼は夏穂を抱きしめた。
と、不意に若菜が叫んだ。
「危ない!!」
「!」
老人が、杖を構えていた。
「おまえなぞに、おまえらなぞに!」
ダーン
杖……に仕込まれた銃が火を吹いた。
「夏穂!」
素速く体を入れ換えた青年の体を、銃弾が貫いた。
「……増田……くん?」
「……」
そのまま、地面に崩れ落ちる青年。
「この!」
続いて若菜に銃を向けようとした老人。だが、一瞬早く千恵の銃が火を吹いていた。もんどり打って倒れる老人。
夏穂は、慌てて青年の体を抱き起こした。
「そんなん、ありか? まだ、うち、ありがとうも言うてへんのに……。そんなん、ありなんか!?」
「……」
若菜は、沈痛な表情で2人を見つめていた。
倒れた老人を調べていた千恵が立ちあがる。
「死んどらんごた。こいつ、悪運の強いやっちゃな」
ファンファンファンファン
その頃になって、パトカーのサイレンの音がいくつも聞こえてきた……。
1ヶ月後。
大阪湾を望む墓地。そこに夏穂は来ていた。
彼女の前には、真新しい墓があった。
夏穂は、その墓の前に日本酒の入った一升瓶を置いた。そして、屈み込むと話しかける。
「あんたが好きやって言っとった“雪中梅”、持って来てやったで。にしても、ほんまに、最後まで阿呆やったな、あんた……」
真新しい墓に向かってそう言うと、夏穂は空を見上げた。
青い空が広がっている。
彼女は、その空に向かって語りかけるように言った。
「でも、そんな阿呆なあんたが、うちは好きやったで」
「散々な言い様だなぁ。このシャイでクールでダンディなナイスガイに向かって」
後ろからかけられた声に、振り向きもせずに夏穂は言葉を返した。
「ちゃうんか?」
「……ま、いいか。俺には夏穂がいるし。なぁ」
そう言いながら、後ろから夏穂を抱きしめると、青年は墓を見つめた。
「にしても、変なもんだな。自分の墓を見るってのは」
「戸籍上は死んだことになっとるんやろ?」
「その方が都合が言いからって室長に言われてね。まぁ、仕方ないだろ? そういう仕事なんだから。それに、そういう恋人も刺激的でいいだろ?」
ウィンクする青年を見て、夏穂はじと目になった。
「……一つ、聞いてええか?」
「なんだい? マイハニー」
「……祐花って誰や?」
「え? あ、えっと、それはだなぁ……」
後頭部に大粒の汗をかきながら、明後日の方を見て、不意に青年は夏穂の顎に手をかけた。
「なっ」
「愛してる……」
「そんなんに騙されるかい! ど阿呆!」
バッシィーン
派手な乾いた音が、墓地の出口まで聞こえてきた。
るりかはそれを聞いて肩をすくめ、隣にいた晶に声をかけた。
「まぁ、増田くんってどこまでいっても増田くんなんだねぇ」
「そうね」
晶は苦笑した。
「優から、彼が内閣調査室に勤めてるエージェントだって聞いた時にはさすがに驚いたけど」
「優や千恵もそうなんでしょ?」
「ええ、そうらしいわね」
「妙子と音信不通になったのも、あいつのせいだったんだもん」
るりかは、缶コーラをくいっと飲み干すと、空になった缶を手の中でくるくる回した。
「シンジケートが、あいつの係累を探って妙子に目を付けそうになったから、慌てて保護したんだって?」
「そそ。夏穂のときは時間が無さ過ぎて間に合わなかったとか言ってたけど」
るりかは、墓地の方に視線を向けた。
墓地の中では、夏穂が青年を追い掛けまわしている。
「待てぇ! ちょっと待たんかい、この阿呆ぉ!」
「落ちつけ、美穂、じゃない、夏穂! 落ちついて話し合おう!!」
「美穂ってのはどこの誰やぁっ!?」
「美穂ちゃんはだなぁ……、わ、こら、一升瓶を投げるなぁ!!」
るりかと晶は顔を見合わせて、微笑んだ。
「ま、平和でいいわね」
「そーね」
青空は、笑い声と怒声と悲鳴を飲み込んで、どこまでも広がっていた。
「納得できんぞぉ!! 最後にやらせろぉ!」
「ど阿呆ぉぉっ!! その前に、道頓堀に沈めたるわっっ!!」