夏穂と若菜は、そのままホテルの駐車場に連れて行かれた。
《続く》
そこには保冷車が止まっていた。
拳銃を持っている男が、その保冷車の後ろのドアを開けると、2人に向き直り、あくまでも慇懃無礼に言った。
「乗って頂きましょうか。ああ、御安心を。冷凍のスイッチは切ってありますから」
「……」
唇を噛んで男を睨みつける夏穂に、若菜は静かに言った。
「乗りましょう、夏穂さん」
「そやかて……」
「ここで逆らっても、意味はないでしょう」
「流石は綾崎さん、分別がおありのようだ」
「悪かったな、分別なくて!」
夏穂は怒鳴ると、足音も荒く保冷車に乗り込んだ。続いて若菜が乗り込むと、ドアが閉められ、中は真っ暗になった。
ほどなくエンジンがかかる音がし、車が動き出す。
「……若菜、教えてもらえる?」
「え?」
夏穂は、床に座りこんだまま、言った。
「何が起こってるのか」
「……わかりました。でも、私が話さなくても、きっと向こうから話してくれると思いますよ」
「……だから、なんやのん、それは?」
きっと顔を上げると、夏穂は若菜のほうに視線を向けた。……と言っても、まっ暗なので、彼女の姿は見えない。
「増田くんが何をしてたのか、それだけでも……」
「増田さんは……。麻薬の運び屋をしていました」
「なっ……」
夏穂は絶句した。
「ま、麻薬、やて……?」
「はい」
若菜の声だけが聞こえる。
「中国のシンジケートから流されて来た新種の麻薬。一般では“SEL”と呼ばれているその麻薬の運び屋をしていたんです」
「う……、嘘やろ? な、若菜……。嘘やって言ってよ……」
「残念ながら……、本当です」
むしろ淡々と、若菜は続けた。
「そして、先日、彼は殺されてしまいました。勿論、新聞で言われているような、暴力団の抗争で死んだんじゃありません。彼は、秘密を知って、消されたんです」
「秘密?」
「ええ。その秘密とは、組織の全てを収めたマイクロフィルム。それをふとした事で手に入れた彼は、それで組織を強請ろうとして、逆に消された……」
「そんな……」
夏穂は、目の前がぐるぐる回っているような気がした。
「なんで、そんなことに……」
「しかし、問題のマイクロフィルムはどこに行ったのか判らないまま。その組織は、それを取り戻すために躍起になっている」
「……若菜」
夏穂は、若菜のほうに視線を向けた。
「なんであんたがそんな事を知ってるんや?」
「……増田さんに頼まれたんです。あなたを守ってくれ、と」
「うちを……?」
「ええ。あれは……、そう、今から考えると、彼が殺されるほんの数時間前でした……」
若菜は、目を閉じた。
「お嬢さま、お電話でございます」
その声に、若菜は目を開けた。時計を見る。
午前1時。
若菜は寝床から立ちあがると、襖を開けた。
そこには、お手伝いさんが恐縮して立っている。
「もうお嬢さまはお休みになっておりますと申し上げたのですが、どうしても緊急だからと。申し訳ありません」
「どなたからですか?」
「はい、増田さまとおっしゃっておられます」
「増田さん? わかりました。すぐに参ります」
若菜はそう答えると、夜着を羽織った。
受話器を耳に当てて、若菜はそっと声をかけた。
「お待たせいたしました。若菜でございます」
『夜遅くごめん。俺だよ』
「ご無沙汰しております。して、如何なさいました?」
『頼みがあるんだ。若菜、キミにしか頼めない事なんだ』
「はぁ?」
『夏穂を、守ってくれ』
「夏穂……、森井さんですか?」
『ああ。キミになら出来るだろ?』
「一体どういう事なんですか?」
『詳しい事を話してる暇がないんだ。俺の最後の頼みだ、聞いてくれないか?』
「ですが、詳しい事もわかりませんのに……」
『ちっ、もう来やがった。それじゃ、頼む!』
「え? ちょ、ちょっと待って……」
若菜が叫んだときには、既にもう電話は切られていた。
チン
「……増田さん」
受話器を置きながら、若菜は呟いていた。それから、受話器を上げると、別のところに電話をし始めていた。
「知り合いに調べてもらって、事実がわかったときには、増田さんはもう……。それで、せめて森井さんはお守りしようと思っておりましたが、このようなことになってしまいました。すみません」
若菜は頭を下げた。
「……どうしてあいつ、そんなアホなことしてたんや?」
夏穂は呟いた。
「それは判りません……。どうして彼が麻薬の運び屋などという法に触れるようなことをしていたのかは…」
「……あの阿呆……」
キィッ
ちょうどその時、車が止まった。そして、保冷車の扉が開かれた。
さぁっと明るい光が差し込んできて、一瞬目がくらむ。
「さぁ、到着です」
その声に、夏穂は目を細めて辺りを見まわした。
いつの間にか、周囲は山になっている。そして、正面には山荘が見えた。
「こちらへどうぞ」
そう言って、先に立って歩いていく男。
夏穂と若菜は、その後を追った。さらにその後ろから、3人の男達が歩いてくる。
豪華な調度品が並ぶ応接室らしい部屋に、2人は通された。4人の男達が、2人を見張っているのか、壁際に立っている。
それからしばらくして、不意にドアが開いた。そして、一人の老人が2人の黒い服を来たボディーガードに付き添われて入ってきた。
その老人は、夏穂と若菜に鋭い視線を注いで、尋ねた。
「この2人が、綾崎若菜と森井夏穂かね?」
「そや。うちが森井夏穂や」
男が答えるよりも早く、夏穂は立ちあがった。老人は目を細めた。
「なるほど、報告通り気の強そうなお嬢さんだ」
「あんたは?」
「何を無礼な……」
そう言いながら進み出ようとした男を、老人は制すると、ソファに腰かけた。そして若菜のほうに視線を向けた。
「そうすると、そっちが綾崎若菜だね?」
「そうです」
若菜は静かに一礼したが、流石に顔が強張っていた。
老人は、2人に自分の正面のソファを指した。
「まぁ、かけたまえ」
「結構や」
腕を組んで言い放つ夏穂。
「お構いなく」
と若菜。老人は特に気にした風もなく、言葉を続けた。
「そうかね。それでは、本題に入ろうかの」
「本題?」
「マイクロフィルムは、どこに隠してある? 増田から預かったんだろう?」
「知らん。知っとっても、あんたらなんかに言わへん」
夏穂はきっぱりと言った。
「貴様!」
男の一人がさっと進み出ると、夏穂の頬を殴った。
バシッ
「くっ」
「こら、止めぬか」
老人は男を制すると、夏穂に視線を向けた。
「儂は、ビジネスはスマートに行きたいと思っとる。じゃが、若い者はとかくせっかちでな。あんまり強情を張ると、その程度では済まぬかもしれんぞ」
夏穂は老人を睨みつけた。その唇から、血が一筋流れ落ちる。
「森井さん……」
「何度聞かれても、答えは変わらへん」
「そうか」
老人はそう言うと、若菜のほうに視線を向けた。
「そちらは如何かな?」
「……」
若菜は目を閉じて、少し考えていたが、不意に目を開けた。
「残念ながら、わたくしは知りません。ただ……」
「ただ?」
「森井さんも、相手が誰か知らないで、大切なものを渡す事は出来ないと思います。まず、ご自分もお名乗りになられた方がよろしいかと」
「……」
今度は老人が黙り込んだ。
若菜は微笑む。
「それとも、名乗りたくても名前がないのですか?」
「なっ」
今度は、老人は絶句した。
「無礼な!」
声を上げて、男が手を伸ばす。しかし、若菜はその手をすっと身をかがめてかわした。そしてきっぱり告げる。
「影武者を相手にするつもりはありませんわ」
「くっくっくっ」
笑い声が聞こえた。そして、今まで壁と思っていた部分がゆっくりとスライドした。
その奧に、まったく同じ顔の老人が椅子に座っていた。
「龍大人!」
男達が慌てて片膝をついて頭を下げる。
「流石は綾崎若菜、と誉めておこうかの」
椅子に座ったまま、老人は笑みを漏らした。
若菜は肩をすくめた。
「よろしいんですか? 日本に来て」
「捕まらなければ問題はなかろう? それにしても、大きくなったものだな」
「恐れ入りますわ」
若菜は微笑んだ。
「祖父と父が、よろしくと申しておりました」
「ほう?」
と、不意に周囲が騒がしくなった。頭を下げていた男達が顔を上げると同時に、部屋のドアが開き、別の男が慌てた声で叫ぶ。
「サツだ! 囲まれてる!!」
「なんだと!?」
「貴様!!」
男の一人が、懐から銃を抜くと、若菜に突き付けた。
「若菜!」
その瞬間、夏穂がその男に飛び掛った。そのままもみ合いになる。
「森井さん!」
「は、離せ!」
「やかましいわっ!」
夏穂はその男の腕に噛みついた。
「痛ててっ!」
痛みのあまり銃を取り落とす男。夏穂はその銃に飛びついた。
「森井さん!」
若菜が叫ぶ。
夏穂は、銃を座ったままの老人に向けた。
「あんたが、あんたが増田くんを……」
「やめなさい、森井さん! 撃っちゃだめ!」
「止めんといて!」
そう叫ぶと、夏穂は引き金を引いた。