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Sentimental Graffiti Short Story #3
センチメンタル・ララバイ その5

「誰が来たの? ……あら、優じゃない」
 奥から顔を出した晶は、夏穂に続いて入ってきた優に、驚いた表情を見せた。
「珍しいわね」
「そうかな?」
 優は、微かに微笑むと、カウンターに座った。そして、辺りを見回して、そっと呟いた。
「ここは、落ちつくね」
「そりゃどうも。何か焼いたげよっか?」
 「おたふく」の暖簾を掛けてから戻ってきた夏穂は、エプロンの紐を腰の後ろで手早く結びながら訊ねた。
「それじゃ、ミックス」
「オッケイ、ミックス一つね」
 小さめの丼に卵と小麦粉を入れて混ぜながら、夏穂はうなずいた。
 晶は優の隣に座ると、訊ねた。
「でも、急にどうしたの? いつもみたいに、旅の途中にたまたま?」
「うん。それに、ここに来れば……増田くんに逢えるし」
 夏穂の手が止まった。
「……優。もう、ここに来ても……。あいつはいないよ」
「え?」
 優は、怪訝そうな顔をした。
 晶が、ちらっと夏穂を見てから、優に言う。
「あいつ、死んだの」
「いつ?」
「昨日の朝、警察に行ったら……、もうあいつは死んじゃってたよ」
 気を取りなおしたように粉を混ぜ直し始めた夏穂が、必要以上に明るい口調で言った。
「ったく、何考えてるんだろうね。人に迷惑ばっかり、掛けっぱなしで……」
 ジュッ
 鉄板に、雫が落ちて弾けた。夏穂は、慌てて腕で顔を拭った。
「ごめんごめん。さぁて、焼くかぁ」

 ツー、ツー、ツー、ツー
 ピッ
「やっぱ、だめかぁ」
 るりかは、携帯電話を切ると、首を傾げた。
 妙子との電話が唐突に切れて1時間。とりあえず駅の構内にある喫茶店でねばるかたわら、何度も掛け直したが、ずっと話し中になったままなのだ。
「かといって、今から青森に行くわけにもいかないしなぁ」
 財布の中身をちらっと見て、がくっと肩を落とす、アルバイト少女るりか。もともと半分フリーター状態の彼女は、それほどお金持ちじゃあない。
「しゃぁない。とりあえず夏穂に連絡入れるかな」
 そう呟くと、るりかは目の前にあるアイスコーヒーを一気に飲み干した。それから眉をしかめてこめかみを押さえる。
「くぅーー。きーんときたぁ」

「そうなんだ……。ありがと。うん。……うん。オッケイ、今度来たら、美味しいお好み焼きを焼いてあげるからね。じゃ」
 チン
 夏穂が電話を切ると、晶が訊ねた。
「るりかから?」
「うん。増田くんの家、引っ越しちゃってたって。行く先は不明だけど、妙子が知ってるらしいんだ」
「妙子? 青森の?」
「そ。でもね……」
 夏穂は、腕を組んだ。
「なんだか変なんだって。るりかが言うには、妙子に電話して、そのことを話してたら、急に電話が切れちゃって、それから何度掛けても繋がらないって」
「……とりあえず、こっちからも妙子に電話、かけてみたら?」
 晶の言葉にうなずくと、夏穂は電話番号を回した。そして、受話器を耳にあてる。
 ツー、ツー、ツー、ツー
 無機質な音だけが聞こえてくる。
「やっぱり、かかんないなぁ……」
 そう言って、夏穂は受話器を戻した。それから振り返る。
「とにかくさぁ、あたし、増田くんが大阪でなにしてたのか調べようと思うんだけど」
「それがいいわね」
 晶はうなずいた。
 と、壁に寄りかかって腕組みをしていた優が、不意に口を開いた。
「あまり深入りしない方が、いいと思うな」
「優?」
 二人は、同時に優の方を見た。優は、そっと視線を逸らす。
「……ごめん。私が口出しすることじゃ……ないよね」
「……とにかく、行動するなら早いほうがいいわ」
 晶は、重い空気を断ち切るように言うと、立ち上がった。それから、時計をちらっと見て、表情を曇らせた。
「晶?」
「……なんでもないわ。それじゃ、行きましょう。私も一緒に行くわ」
 バッグを肩に掛けて、晶は微笑んだ。
 夏穂は、片手で「ありがと」と晶を拝んで見せると、優に視線を向けた。
「そんなんでさ、開けたばっかりだけど、もうお店閉めちゃうんだ。ごめんね」
「ううん」
 優は首を振った。
「こっちこそ、急に押し掛けてきたんだもの。それじゃ、私はもう行くよ」
「行くって、どこへ?」
 聞き返した夏穂に、優はもう一度首を振った。
「決めてない。もう……私の帰る場所は、無くなっちゃったから……」
「え?」
「じゃあね」
 優は、立ち上がると、ふらっと「おたふく」から出ていった。
「優……?」
 夏穂と晶は、きょとんとしてその後ろ姿を見送っていた。それから顔を見合わせる。
「今の……もしかして……?」
「私、連れ戻してくるわ! 待ってて!」
 晶は、そう言い残して、「おたふく」を飛び出した。

 晶は優の後を追って、「おたふく」から飛び出した。まずは左右を見回す。
 ちょうど、優が通りを曲がっていくのが見えた。
「待ちなさい、優!」
 叫んで、彼女は優の後を追いかけて、角を曲がった。
 優はそこにいた。まるで彼女が追いかけてくるのを待っているかのように、腕を組んで壁にもたれかかって。
「優……?」
「キミに話があるんだ」
 優は、静かに言った。
「私に、話? それなら、一度「おたふく」に戻ってから聞くわ」
「ダメだよ」
 あくまでも静かに、優は言った。
「夏穂には、聞かせられない。少なくとも、今は、まだ」
「夏穂には聞かせられない話……? 優、あなたまさか……」
 晶は、栗色の目をすっと細めた。それはあたかも、新曲の楽譜を前にしたときのように。
「いいわ。話を、聞きましょう」
「ありがとう」
 優はかすかに微笑んだ。

 優を追いかけていった晶が、しばらくたっても戻ってこない。
「おっかしいなぁ」
 夏穂は、「おたふく」の入口で左右を見回していた。ちょうど数分前に晶がそうしていたように。
「晶ってば、どこまで優を追いかけていったんだろ? もう!」
 夏穂は腕組みをすると、ぷんぷんと怒りながら「おたふく」の中に戻っていった。
 ちょうどその時。
 ジリリリリン、ジリリリリン、ジリリリリン
 電話のベルが鳴り出した。夏穂は慌ててカウンターの中に入ると、受話器を取った。
「はい、「おたふく」です……。もしもし?」
『……』
 電話の向こうからは、何も聞こえてこない。
「もしもし? もしもしっ!? 誰ですかっ!?」
『……』
 夏穂は、一瞬きつい目つきで電話をにらみ付けた。そして、受話器を持ちなおして怒鳴る。
「ちょっと、誰よっ!?」
『……すみません』
 かすかに聞こえてきた声は、予想に反して女性の声だった。それも、聞き覚えのある声。
「え? もしかして、あんた……」
『若菜です。綾崎若菜』
「若菜!?」

 直線距離で、大阪から約50キロ離れた京都。
 その一角にある綾崎邸の一室から、若菜は電話をかけていた。
「夏穂さん、突然、ごめんなさい」
『うん。どうしたの?』
 相手が若菜だと知って、夏穂の口調が和らいでいた。と言っても、いつもの快活な彼女の口調とは違って、微妙にぎこちないのが、若菜には判った。
 若菜は訊ねた。
「少々お訊ねしたいのですが、晶さん、遠藤晶さんは、そちらにおられますか?」
『晶? うん。今ちょっと出かけてるけど……』
 夏穂の返事に、若菜は形の良い眉をひそめた。
「出かけていらっしゃるのですか? それでは、いつ頃戻られるかわかりますか?」
『さぁ……。あの、実はね……増田くん……』
 言いかける夏穂の声を、若菜は制した。
「わかりました。ありがとうございます。予想通りですね……」
『予想通り? もしかして、若菜……。あなた、何か知ってるの?』
「それについて、お話ししたいことがあります。つきましては、明日の朝、そちらに参りたいと思いますが、よろしいでしょうか?」
『若菜が? そのお話って電話じゃダメなの?』
「ええ。電話では、色々と差し障りがありますので。それから、夏穂さん」
『なぁに?』
「出来れば、今日一日は、家で大人しくしていた方がよろしいと思いますよ」
『……どういうこと?』
「それも、明日、説明します」
『……うん』
 一瞬間をおいて、夏穂の声が聞こえた。若菜は「それでは、ごきげんよう」と言って、電話を切った。
 彼女が電話をかけていた部屋は、和風で統一された綾崎邸では珍しい、洋風の書斎だった。
 マガホニーの重厚な事務机の上は、持ち主の性格を反映してか、きちんと片づけられ、ほこりひとつついていない。
 若菜は、椅子の背もたれに背中を預けて、ふぅとため息をついた。
 と、不意にその若菜に声がかけられた。
「夏穂に、話すのかい?」
「ええ……。いつまでも、夏穂さんをつんぼ桟敷に置いておくのはどうかと思いますよ」
 部屋の壁には、本棚が並んでいる。その一つに背中をもたれかけさせていた千恵は、体を起こすと、サスペンダーに指をかけて、若菜に訊ねた。
「だけど、いいのかい? 今の電話だって、どうせ盗聴されてるんだろ? 連中、あんたと夏穂の接触は阻止しにくるんじゃないのかい?」
「かもしれませんね。でも、そのために、あなたがここにいらっしゃるのでしょう?」
 若菜は微笑んで答えた。千恵は一瞬絶句し、そして可笑しそうに笑いだした。
「やっぱ、大したタマだね、あんたは」
「まぁ、誉めていただいてありがとうございます」
 しとやかに頭を下げると、若菜は訊ねた。
「夏穂さんの方は大丈夫なのですか? 彼は青森でしょう?」
「大丈夫。夏穂の方にはあいつがついてるよ」
 肩をすくめて、千恵は答えた。

「いらっしゃい!」
「お、夏穂ちゃん。今日も元気だねぇ」
「何言ってるんだかぁ。ほら、さっさと注文しなさいよ」
「んじゃ、豚玉にエビ玉」
「オッケイ。ほいほいっと」
 結局、夏穂は「おたふく」を開けていた。若菜の忠告もあったし、晶がいつ戻ってくるか判らない状況では、出かけるに出かけられなかったのである。
 ただ、それならそれで、何もせずにじっと一人で待っている、という選択肢もあるのだが、それを選ばない辺りが、夏穂の夏穂たるゆえんと言えるだろう。
 ジュージュー
 お好み焼きが焼ける香ばしい匂いが、店に立ちこめる……。

《続く》

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