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Sentimental Graffiti Short Story #3
センチメンタル・ララバイ その2

 ガチャ
「こちらです」
 夏穂は、静まり返ったその部屋に通された。
 線香の匂いが強く漂う、殺風景なその部屋の真ん中には台があり、その上に乗ったものに、白い布が掛けられていた。
「それでは」
 ここまで彼女を案内してきた係官は、慇懃に一礼して、ドアを閉めた。
 部屋の中には、夏穂一人が残された。
「……」
 しばらく黙って、その白い布が掛けられたものをみつめていた夏穂は、不意に両手で顔を覆った。
「……うくっ、……くっ」
 食いしばった歯の間から、嗚咽が漏れてくる。
 そのまま、夏穂はその場にうずくまった。

 1時間後。
 大阪南警察署から、悄然として出てきた夏穂は、彼女を呼ぶ声に顔を上げた。
「夏穂!」
「……晶?」
 そこにいたのは、晶だった。ここまで走ってきたように、大きく肩で息をしている。
 ハンドバッグを、白い手から骨が浮き出て見えるくらい強く握りしめていた。
「夏穂、増田くんは……」
 そう言いかけて、晶はふっと、その力を抜いた。
「……そうなのね」
「……」
 夏穂は、力なくうなずいた。
「……どうして……?」
「……」
 黙ったままの夏穂に、晶は歩み寄った。
「ちょっと、夏穂! しっかりしなさいよ!」
 そう言いながら肩を揺さぶる晶。
 夏穂は顔を上げた。だが、その瞳の焦点は明らかに合っていない。
「あたし……、帰る」
「え?」
「だって……、あいつ、いつ帰ってくるか、わかんないもん」
「……夏穂……」
 晶は絶句した。そのスキを付くように、夏穂は晶の手から離れて、ふらふらと歩きだした。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、夏穂!」
 慌てて晶は夏穂の肩を掴んだ。
「離して……、晶。あたし、待ってなくちゃ……」
「……わかった」
 晶はうなずいた。そして、ちょうど通りかかったタクシーを呼び止めた。

 いつもは夏穂の明るい声が飛び交う、お好み焼き屋「おたふく」。だが、今日は「臨時休業」の札が寂しく風に揺れていた。
 その居間。
 夏穂はうずくまったまま、動かない。
 そんな夏穂を、晶は心配そうに見つめていた。
(何があったのよ、増田くん……?)
 彼女は思い出していた。

 昨日、夏穂と別れた後、晶は泊まっているホテルに戻った。お好み焼きをたらふく平らげてしまったので、夕食はキャンセルし、そのままシャワーを浴びて眠ったのだった。
 そして、今朝。モーニングコールで起こされた彼女は、部屋に朝食を運んでもらう事にした。
 ボーイは朝食と一緒に、今朝の新聞も持ってきたので、優雅に朝食を済ませた後、彼女は出かけるまでの一時、新聞を読んで過ごすことにした。
 そして、その記事は社会面に小さく載っていた。
 大阪の南港で、暴力団同士の抗争と思われる銃撃戦があり、末端の構成員と思われる一人が死亡した、という、ありふれたといえばありふれた記事だった。
 ……その死んだ男の名前に見覚えが無ければ。
「……!」
 その名前を4回読み返した後、晶は慌てて部屋の電話を取った。出てきた交換手に、夏穂の家の番号を告げる。
「急いで繋いで!」
「かしこまりました」
 交換手の声の代わりに、音楽が流れだす。それを聞き流しながら、イライラしながら待つ晶。
 しばらくして、交換手が告げた。
「呼び出しを掛けているのですが、先方が出られません。どうなさいますか?」
「……それなら、いいわ。ご苦労様」
 おそらく、夏穂は家にいないのだろう。
 直感的にそう悟った晶は、ハンドバッグを片手に部屋を飛びだした。

(……思った通り、夏穂は警察にいたわ。それも、あの様子……。きっと、増田くんの姿を確認して……。落ちついてくれればいいんだけど……)
 晶は、ちらっと腕時計を見た。
 今夜は、大阪の財界人も見に来るリサイタルがあるのだ。そもそも、そのために彼女は大阪に来たのだ。
 そのリハーサルまでには、リサイタル会場に行かねばならない。
(でも……)
 うずくまったままの夏穂を見て、晶は心の中で呟いた。
(こんな状態の夏穂をほっておけるわけないし……。困ったわ……)
 と、不意に店の前から元気のいい声が聞こえた。
「夏穂ぉ! せっかくこの山本るりか様が名古屋から来てあげたのに、臨時休業はないんじゃない!?」
「るりか?」
 晶は、立ち上がった。

「あれぇ? 何で晶が出てくるの?」
 「おたふく」のドアを開けて現れた晶に、るりかは目を丸くした。
 山本るりか。何だかんだあって、今は現役女子大生……ま、平均的な意味での、女子大生である……だ。相変わらずバイトに明け暮れる毎日を送っているらしい。
「ちょっと色々あって……」
 晶は、ため息を一つもらした。
「どうせあなたのことだから、新聞なんて読んでないんでしょうけどね」
「なによ、その言い方は」
 茶色のショートカットを揺らして抗議してから、るりかは訊ねた。
「夏穂に何かあったの?」
「夏穂に、というか、まぁ……」
「なによ、晶らしくない。はっきり言いなさいよ」
 腕を組むるりかに、晶は苦笑した。
「それじゃ、はっきり言うわよ。増田くんが……死んだの」
「……冗談?」
「冗談でこんな事言えないわ」
 晶の表情で、本当だと言うことを察したるりかは、思わず声を上げた。
「なんで? ねぇ、どうして増田くんが!?」
「しっ。あんまり大声で言わないの。夏穂に聞こえるでしょ」
「あ、そっか。それで夏穂が……」
 慌てて口に手を当てると、るりかは今度は小声で訊ねた。
「そんで、また、どうして?」
「うん……。新聞じゃ、暴力団同士の抗争で死んだチンピラ、みたいな書かれ方してたけど……。私もそれ以上は……」
 こちらも小声で言うと、晶は時計を見て、るりかの肩を掴んだ。
「ひゃ! な、なによ?」
「お願い。夏穂のそばにいてあげて欲しいの」
「そりゃ、いいけど……晶は?」
「私、どうしても抜けられないリサイタルがあるのよ。終わったらすぐに戻ってくるから、その間だけでも……」
「そっかぁ。有名人は辛いねぇ」
 冗談っぽく言うと、るりかはうなずいた。
「うん、いいよ」

 居間に入ってきたるりかは、腰に手をあてて、夏穂を見おろした。
 夏穂の方は、入ってきたるりかに気付かない様子で、ぼぉーっと畳を見つめている。
 るりかは、そんな夏穂の姿にため息を一つついた。
「……こりゃ重傷だわ」
「……」
 何の反応も見せない夏穂。
 るりかは、ドンと畳を踏みならした。
「ちょっと、夏穂! しっかりしなさいよ!」
「……」
 のろのろと、るりかに視線を向ける夏穂。
 るりかは屈み込んで、夏穂と視線の高さを合わせた。そして、彼女にしては珍しく、低い声で訊ねる。
「どうして増田くんは死んじゃったの?」
 ピクッ
 初めて反応らしい反応を見せ、夏穂はゆっくりと顔をあげた。
「まさか、本当に暴力団に入ってたりしてたんじゃ、ないんだよね?」
「……そんなこと……ないと思う」
「それじゃ、どうして増田くんが死んじゃうのよ。それも、新聞にあんな書かれ方するなんて、いったいどうゆう事なのよ!」
 言っているうちに、自分でも興奮してきたのか、声をあらげるるりか。
「それは……わからないけど」
「わからないからって、そのままほっとくの?」
「え?」
 るりかは、ぎゅっと拳を握った。そして、静かに言った。
「あたしは、知りたい。増田くんがどうして死ななくちゃならなかったのか」
 と、そのるりかの拳を、そっと夏穂の手が包んだ。
「夏穂?」
「……ごめん、るりか。もう大丈夫」
 夏穂は、こくんとうなずいた。その瞳には、いつものきらめきが戻っていた。
「あたしも、知りたい」
「夏穂……。うん」
 二人は手を取り合った。
「泣くのは……」
「訳を知ってから」
 るりかの言葉に、夏穂が続け、二人は立ち上がった。

「増田くんは、うちに来たときはいつもこの部屋を使ってた……」
 そう言いながら、襖を開けて、夏穂は言葉を失った。
 いつもは、何度夏穂が片づけてもすぐにゴチャゴチャになってしまう部屋は、まるで最初から誰もいなかったかのように、きれいに片づいていた。
 敷きっぱなしの布団は綺麗に畳まれており、そのうえに封筒が置いてあった。大きめの茶封筒の表には、「夏穂へ」と書いてある。
「夏穂!」
 それを見つけたるりかは夏穂を呼んだ。
「え?」
「これ」
 るりかは、夏穂に封筒を渡した。夏穂は、封筒を破って開けた。
 中からは、預金通帳と印鑑、そして便せんが一枚出てきた。
 夏穂は便せんを広げた。
 そこには、太いペンで一言だけ書いてあった。

  ごめん

「……なによ」
「これ、ちょっとすごいお金入ってるよ」
 預金通帳をめくっていたるりかが、思わず声を上げた。
「ざっと100万円……、増田くんってこんなにお金あったの?」
「……なに、考えてるのよ、あの馬鹿……」
 夏穂は、便せんをくしゃっと握りつぶして、天井を見上げた。
 泣かない、と誓ったばかりだったから。

《続く》

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