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Sentimental Graffiti Short Story #3
センチメンタル・ララバイ2 その2

 東京、品川。
「さて、と」
 卓弥は、タクシーから降りると、サングラスをかけた。
 目の前には、日本でも指折りの高級ホテルがある。
 彼はそのホテルを見上げて呟いた。
「どんな娘かなぁ。楽しみだな」
「どんな娘か、聞いて無いの?」
「ニューオータニのロビーで18時に待ち合わせ、ってことしか若菜が教えてくれなかったんだ」
 そう言ってから、振り返る卓弥。
「いきなり後ろから話しかけるなよ。ビックリするじゃないか」
「あまりびっくりしたようには見えないけど」
 話しかけているのは優である。
 千恵と二人で車で京都から東京まで来た彼女は、待ち合わせの場所に予定通りに現れたわけだ。
 ちなみに、卓弥は新幹線で東京まで来ている。
 卓弥は尋ねた。
「千恵は?」
「所定の位置に」
 短く答える優。
「そっか。んじゃ、行こうかな。お姫様のお顔を拝見しに」
「そうだね。もうすぐ時間だし」
 こくりと頷くと、優はさっさとホテルに入って行った。
「あ、ちょっと待ってよ」
 その後を追い掛ける卓弥。

 ホテルから通りを隔てた向かい側の喫茶店。客はほとんどいないその店の、通りに面した席に千恵は座っていた。
「なにやってんだか、あの莫迦」
 ホテルのロビーに入っていく二人から視線を逸らすと、千恵はアイスコーヒーのストローに口をつけながら、呟いた。
 と。
「あの……、松岡千恵さん、ですよね?」
 不意に声をかけられて、千恵は振り返った。
 そこには、女の子が立っていた。全身をヒラヒラのレースがついたピンクハウス系の服でまとめた、またその格好が似合ってしまう、見るからに「お嬢さま」している少女だった。
 彼女は、肩まで伸びた栗色の髪を指で巻きながらもじもじしている。どうやら返事をしないと納まりそうに無いと判断した千恵は、チラッと周囲に気を配った。
(……!)
 ちょうど客が出て行き、喫茶店の自動ドアが開いた。その瞬間、こちらを窺っているらしい人影が千恵の目に写った。
 すぐに磨りガラスになっているドアは閉まり、その人影はその向こうに見えなくなった。
 少女が黙っている千恵にもう一度尋ねる。
「もしかして、人違いですか? ブラックサウザンのボーカリストの松岡さんだと思ったんですけど……」
 その言葉の語尾がだんだん小さくなって、消えた。
 千恵は、肩をすくめた。
「そうだよ」
 ブラックサウザンというのは、博多を中心に活動を続けているロックグループだ。地元で地道に活動を続けており、メジャーデビューの噂もあるほどの実力派バンドだ。千恵の表向きの顔はそのブラックサウザンのメインボーカル&リードギターなのである。
「わぁ! 私、ブラックサウザンのファンなんです! あの、サインもらってもいいですか?」
 少女はポーチから手帳を出して、ペンを添えて千恵に渡した。
「え? あ、うん」
 千恵はペンを受け取ると、サインした。
「あ、そこにエミリさんへ、って書いてくれます?」
「エミリさんへ……っと。これでいいかな?」
「はい。わぁ、よかったぁ」
 少女は手帳を抱いてにこにこと微笑んだ。
「まさか、こんなところで松岡さんに逢えるなんて思ってもみなかったから、嬉しいです。もしかして、東京でライブなんですか?」
「いや、今回は違うよ。でも、どうしてあたしのこと知ってんの?」
「はい、前に一度、福岡に行った時にライブを見たことがあるんです。あの時からもうすっかりファンになっちゃったんですけど、それから福岡に行く機会が無くて……」
「そうなんだ」
 千恵は、ちらっとホテルの方を見た。そして、肩をすくめた。
(どっちにしろ、見張られてる以上あたしも変な動きはできない、か。しばらくこの娘に付き合うしかなさそうだ。後は頼むぜ、優)

「……時間だね」
 優は腕時計から顔を上げて言った。
 同時に、ロビーに置かれた大きな時計が時を告げる。
 ボーン、ボーン……。
「うーん。それらしいお姫様はいないけどなぁ」
 卓弥はロビーを見まわした。高級ホテルらしく、静かなクラシック音楽が流れるロビーには大勢の人が行き来している。
「待ち合わせの場所には間違いないよ」
 優は大理石の大きな柱を見上げながら言った。
 と、不意にロビーに呼び出しのアナウンスが響いた。
「京都からお越しの増田さま、京都からお越しの増田さま。綾崎さまからお電話が入っております。チェックカウンターまでお越し下さい」
「おっと、呼び出しだ。んじゃ、ここは頼むわ」
「ん」
 優は頷くと、カウンターのほうに走っていく卓弥を見送った。

「え? いないんですか?」
 若菜は微かに眉を潜めた。
「ああ、場所は間違いないんだけどなぁ」
 受話器からは、ざわめきにまじって卓弥の声が聞こえてくる。
「困りましたねぇ」
「第一、そのお姫様がどんな娘なのかくらい教えてくれたっていいじゃないか。それすらわからないんだからさぁ」
「え? 優さんから聞いてないんですか?」
「優から? いや、聞いてない……けど」
 頼りなげな声が聞こえた。
 若菜は苦笑した。
 優はひどく口数が少ない少女である。必要最小限どころか、それにも達しないことも数多いのだ。
 それでいて優秀な捜査官なのである。
「とりあえず、優さんに教えてありますから、そちらからお訊きになってください」
「ああ、わかった。でも、それらしい女の子はいないみたいなんだけどなぁ……」
 わずかに声が遠くなった。どうやらロビーを見回しているようだ。
「みたところ、おっさんやおばさんばっかでさぁ……」
「そうですか? まぁ、もうしばらく待ってみてくださいな。そうですねぇ……15分くらいしたら、又電話します」
「了解。それじゃ、愛してるよ」
「ま。ありがとうございます」
 くすっと笑うと、若菜は電話を切った。それから、マガホニーの机に頬杖を付いて考え込んだ。
 彼女の前には、一葉の写真があった。それには、かしこまって澄ましている少女の姿が写っていた。
 若菜は呟いた。
「エミリ・倉長……ですか……」

 卓弥は電話を済ませて優の所に戻ってきた。その頬に赤い手形が付いているところを見ると、どうも案内嬢に何かしようとしたらしかったが、優は特に気にも留めてない様子で言った。
「まだ来てないよ」
「おー、痛てて。優、俺達の間に隠しごとはなしにしようよ」
 いきなり真面目な顔に戻ると、卓弥は優の肩に手を置いた。
「隠しごと?」
「そうさ。違うかい?」
 そう言うと、卓弥は優の顎に右手をかけて、くいっと持ち上げた。
 優はじぃーっと卓弥を見つめている。
「優……」
「……ごめんなさい。こういうとき、どうすればいいのかわからないの」
「目を閉じればいいんだ」
 囁く卓弥。
 優はおとなしく目を閉じた。
「可愛いよ、優」
 そういうと、卓弥は
 殴られた。

「それじゃ、次の新曲はもうできてるんですか?」
「まぁね」
 千恵が答えると、エミリは両手を叩いて喜んだ。
「わぁ、楽しみですぅ」
「あ、ありがと」
 無論、店中の注目を浴びている。千恵は泣きたい状況であった。
(なにが哀しくてこんなところでファンにつきまとわれなくちゃいけないのよぉ)
 と。
 後ろから、何か固いモノが千恵の頭に圧し当てられた。
「!?」
「おっと、動くなよ」
 千恵は頭を動かさずに視線だけを走らせ、そして唇を噛んだ。
 いつの間にか、客は千恵とエミリと名乗る少女だけになっていた。そして、ウェイターやウェイトレスたちも、カウンターの向こうにいるマスターも、二人をひどく冷たい視線で見ていた。
(この店全員が……グルってことかよ)
 彼女の後ろにいる男は、さらにぐいっと固いモノ……銃口を彼女の頭に押し当てた。
「あんたも運が悪かったなぁ。この小娘と一緒にいたばっかりに」
「無駄口を叩くな」
 マスター(に化けていた男)が、じろりと千恵の後ろに視線を飛ばして言うと、エミリに近づいた。
「さて、我々と来てもらおうか? エミリ・倉長」
「……」
 エミリはいきなりの事態をまだ把握していないようで、きょろきょろと店を見まわした。それから、マスターに視線を向ける。
「わ、私に何か……」
「用事があるんです。素直に我々に従ってくれればよし、さもなくば、あなたの憧れの人がここで死ぬ」
「え……」
(あたしじゃなくて、エミリに用があるってことか? 営利誘拐か?)
 千恵は素速く考えを巡らせた。たしかにエミリの今までの様子を見ていると、世間知らずのお嬢さまという言葉がぴったりとくる。営利誘拐はありそうなことだった。
「わ、私……」
 エミリは、やっと状況を把握したらしく、泣きそうな顔で千恵を見た。
 千恵は上ずった声を出した。
「い、言う通りにしたほうが、いいよ」
「ほう、そっちの女はなかなか素直じゃないか」
 後ろでからかうような声がした。銃口から感じられる圧力が微かに減った。
 エミリはこくんと頷いた。
「ど、どうしたらいいんですか?」
「一緒に来てもらおう」
 マスターは告げた。

 喫茶店の裏口には、黒塗りのバンが停まっていた。
「さ、乗ってもらおうか?」
 銃口を今度は千恵の背中に突き付けたまま、男が告げた。
「あ、あたしは関係ないだろ? あんた達のことは誰にも言わないからさ、逃がしてくれよ」
「ち、千恵さん!?」
 エミリは思わずぽかんと口を開けてから、慌てて千恵にしがみついた。
「そ、そんなのないです!」
「ええい、離せよ! あんたとは関係ないだろ!」
「そりゃ、可哀想ってもんじゃねぇか。こんなに慕われてるってのによ。さ、おまえも一緒に乗るんだ」
「待ってくれよ、あたしは……」
 なおも言いかけた千恵の背中に、銃口が突きつけられた。
「さっさと乗れよ」
「……わかったよ」
 千恵はしぶしぶ頷いた。

「なんですって!?」
 若菜は、滅多には出さない大声を上げた。
 電話の向こうの優は、淡々と言葉を続ける。
「もう一度言うよ。目標との接触に失敗。私達を監視していた千恵も行方不明。現場の状況から、何者かに連れ去られたと思われる」
「目標との接触に失敗、というのは?」
 椅子に座り直しながら、若菜は尋ねた。
「18時16分現在の時点で、エミリ・倉長は、待ち合わせ場所のロビーには現れてはいない。それは間違いないよ」
「それで、千恵さんが行方不明というのは?」
「18時14分に、増田くんに、千恵が待機している、ニューオータニの向かいにある喫茶店に行ってもらった。しかし、営業時間中なのにも関わらず、喫茶店のドアには「準備中」の札がかかっていた。15分、彼は従業員口に回ったところ、そちらのドアは開いていたために中に侵入。従業員用の更衣室にて店主および従業員男性1名女性3名の射殺死体を発見した。現在、所轄警察に通報は完了している」
「まぁ……」
「警察の到着前に店内を捜索したが、千恵の姿は発見できず。ただし、遺留品を発見」
「遺留品?」
「うん。千恵のピック」

 優は受話器を左手に持ちかえると、手袋をした右手で、ビニール袋をつまんだ。その中には、千恵がギターを弾く時に使うピックが入っている。
「ブラックサウザンのロゴ入りのピック。そんなに数はないし、それにあるとしても福岡にしかないものだと思う」
「そうですか……」
「これから、どうする?」
 優の問いかけに、若菜はしばらく黙っていたが、やがて言った。
「とにかく、私はエミリさんの方を当たります。貴方達はしばらく待機していて下さい」
「了解」
 頷くと、優は電話を切った。

 若菜が受話器を置くとほとんど同時に、電話が鳴り出した。若菜は受話器から手を離すことなくまた取り上げた。
「はい、綾崎で……。あ、はい、そうです。申し訳ありません。……予定とは少し変わってしまいました」
 その瞬間、若菜の唇は、微かに微笑みを浮かべていた。

《続く》

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