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Sentimental Graffiti Short Story #3
センチメンタル・ララバイ その1

「くぉらぁ! 増田くんっ、今日こそ堪忍せぇへんから、そこになおりぃっ!」
「待て、話し合おう夏穂!」
「呼び捨てにせぇへんといてってゆうてるやんかっ!」
 大阪の下町にあるお好み焼き屋「おたふく」から、今日も聞こえる元気な声。
 ガラッ
 引き戸が開いて、青年が飛びだしてくる。
「わぁっ、勘弁してぇっ」
「くぉら、待たんかぁい!」
 その後を追いかけて、ポニーテイルの少女が飛びだしてきた。店を出たところで立ち止まると、腕を組む。
「まったく、逃げ足ばっかり早くなって」
「そりゃインターハイ出場経験のある彼女に、年がら年中追いかけ回されりゃ、足もちょっとは速くなるってもんでしょ」
「そりゃそうかもしれへんけど……」
 そう言うと、夏穂はゆっくりと振り返った。
「それにしても、キミも好きだねぇ、人の後ろから姿を現すのが」
 そこにいたのは、晶だった。遠藤晶。新進気鋭のバイオリニストとして、その筋では知られた存在の少女である。
「それを言うなら、私が来るたびに喧嘩してるあなた達もあなた達よ」
 笑いながら言う晶に、夏穂はかぁっと赤くなって俯いた。
「それは、だってその、あいつが悪いんだよ」
「はいはい。とりあえず遠くから来た友達に、お好み焼きの一枚でも焼いてくれないかしら?」
「そ、そうだね。うん。それじゃ入りなよ」
 夏穂はのれんを持ち上げて、晶を店の中に招き入れた。

「ふんふんふ〜んっと。イカ玉でいいよね?」
「任せるわよ」
「オッケー」
 夏穂は、たくみに両手でへらを操って、お好み焼きを焼いていく。
 ジュージュー
 香ばしい匂いが店内に立ちこめる。
「ふぅ。この匂いを嗅ぐと、大阪に来たなって気がするわねぇ」
「そりゃおおきに」
 そう言って笑うと、夏穂は皿に焼けたお好み焼きを乗せた。
「はい。マヨネーズつける?」
「マヨネーズはカロリーがねぇ。でもその方が美味しいし……。う〜ん、迷っちゃうなぁ」
 お好み焼きを前に真剣に悩み始める晶を見て、夏穂はくすっと笑った。

 さて、その頃。
 キィッ
 新大阪駅のロータリーに停まったタクシーから、彼は身軽に降りた。ズボンのポケットから、よれよれになった財布を出して、料金を払う。
「2760円になりまっさ」
「そ?」
 彼は1000円札を3枚抜き取ると、運転手に渡した。
「ほい。釣りはいいよ」
「おおきに。えろうすんませんな。ほな」
 ブロロロ〜
 タクシーは走り去った。ちなみに、大阪ではタクシーの料金を払うときに釣りを受け取るのは、金額にもよるが一般的にみみっちいとされてあまりいい顔はされない。
 彼はその辺りを心得るくらいの時間、大阪で過ごしているらしい。
「さぁて、と」
 Gジャンの胸ポケットからサングラスを取りだすと、彼はそれをかけて辺りを見回した。
 コンコースの中は人通りがけっこう激しい。
 彼はその中に紛れるように歩きだした。

「まだ、結婚はしないの?」
 唐突な質問に、夏穂は目を丸くした。
「な、なに言ってるのよ、晶ったら。あたしと増田くんは、まだそんなんじゃ……」
「あ〜ら、私は誰とも言ってませんけどね」
 すまして言う晶に、夏穂はむっとする。
「あのね。第一誰があんな浮気者と一緒になんかなりますか」
「そぉ? 浮気は男の甲斐性って言うじゃない?」
「言わないわよ」
 むっとして、夏穂は机に頬杖をついた。
「あたし、理想はもう少し高いわよ」
「あらあら。増田くん可哀想に」
「……晶、あんた大阪まであたしをからかいに来たの?」
「うーん。まぁ、似たようなものかもねぇ〜」
 すまして言う晶に、夏穂はプッと膨れた。
「どうしてあたしは友達に恵まれないのかなぁ?」
「日頃の行いでしょ」
「……容赦ないね、晶」
「ごめんごめん」
 晶は苦笑した。
「ちょっと苛ついてるかもしれないな、私」
「何かあったの?」
「……ん。ちょっとコンテストでね。審査員の御老人の方々にいろいろと言われちゃってさ」
 そう言うと、晶は肩をすくめた。
「なんかもう、やめてやろうか、なんて思っちゃったりしてね」
「ちょっと、もったいない。やめるなんてやめときって」
 夏穂は、真顔で言った。
「あたしだって、こんな環境でもまだ陸上続けてるんだよ。晶も、そんなにすっぱりとあきらめちゃだめよ」
「ありがと。あなたなら、そう言ってくれるって思ってた」
 晶は、左手で髪をかき上げた。
「……それが聞きたくって、ここまで来たのかもね」
「え?」
「なんでもないわよ。それにしても、今日は遅いわねぇ」
 ちらっと、壁にかかった時計を見る晶。それにつられるように、夏穂も時計を見かけて、フンと腕を組んだ。
「そんなの知らないわよ。どっかでまたほっつき歩いてるんじゃないの!?」
「……」
 誰のこととも言ってないんだけど、と言うと、今度こそ夏穂に叩かれそうだったので、晶は苦笑するにとどめた。

 柱に寄りかかってスポーツ新聞を広げてた青年は、駆け寄ってくる足音に顔を上げて、サングラスをずらした。
「ごめんごめん、遅くなっちゃって」
 黒い服に、長い黒い髪。その黒い髪をまとめている赤いリボンが印象的な、活発そうな雰囲気の少女である。
 彼女は、青年の姿を見て、ぷっと吹き出した。
「なんやそれ?」
「そりゃ、クールでシャイな……」
「……はい、はい。それでいい、それでいい」
「最後まで言わせてくれたっていいだろ。千恵」
 青年の言葉に、千恵は眉をしかめた。
「お生憎。あたしはそんなセンスのない格好が嫌いなの」
 千恵……、実力派ロックバンドのギター&ボーカルとして、地元ではそこそこ有名な松岡千恵は、シニカルな笑みを浮かべると、バックから箱を出した。
「ほれ、これが頼まれていたおみやげの博多明太子」
「辛子明太子?」
「そうだよ。でも……」
 不意に心配そうな顔になる千恵。
「どうして急にこんなのが欲しいって言いだしたんだい?」
「ちょっと野暮用でね」
 30センチ×20センチほどの、大きめの木の箱を受け取ると、ズッシリとした重みを手で計りながら、彼は苦笑した。
「そんな顔するなって」
「でも、それが必要になったってことは……」
「おっと」
 彼は、人指し指を千恵の口に当てた。千恵もはっとして自分の口を押さえると、小さな声で謝った。
「ごめん」
「いいって。んじゃ、確かに博多辛子明太子は頂きましたよ」
 青年は軽く片手を上げると、そのまま歩きだそうとした。
「増田……くん」
「そうだ」
 不意に彼は振り返ると、戻ってきて片手を千恵の肩に回した。
「そうだ。忘れ物っと♪」
「えっ!? な、何を馬鹿……あ、ん……」
 10秒ほどして、
 パァン
 乾いた音が、新大阪駅のコンコースに響きわたった。
「……千恵ちゃん、痛いのぉ」
「今度こんな真似してみろぉ。和白干潟に重り付きで沈めて、その上から埋め立ててやるからなっ!」
 頭につけたリボンと同じくらい真っ赤になって千恵は怒鳴ると、くるっと振り返ってずんずんと歩いていった。
 青年は苦笑して、こっちは殴られて赤くなった頬を撫でると、背を向けて歩きだした。

 千恵は、新幹線ホームの階段を昇りかけて、ふと振り返った。
 遠くに、青年の後ろ姿が見える。
 彼女は自分の唇をスッとなぞると、小さな声で呟いた。
「馬鹿野郎……」

「さて、と」
 晶は立ち上がった。
「いつまでも待ってるわけにいかないし、そろそろ帰るね」
「え? もう帰るの?」
 夏穂もそう言いながら立ち上がった。
 晶は苦笑した。
「あんまり長居も出来ないの。ごめんね」
「ったく、あの馬鹿ったら。さっさと帰ってくればいいのに」
「帰ってきたらきたで、辛いかもしれないな」
 晶は呟いたが、小さな声だったので夏穂には聞こえなかった。
「え?」
「ううん。また来るね」
 そう言うと、晶は「おたふく」を出ていった。
「あ、そこまで送るわ」
 夏穂はそう言うと、つっかけを履いて店を出てきた。
「いいの?」
「いいのいいの。別に取られるようなもんもないし」
 笑って言うと、夏穂は歩きだした。その後を、肩をすくめて晶が追う。

 安ホテルの一室。
 青年は、千恵から受け取った箱を開けた。
 おがくずのなかから、ズッシリと思い黒光りする銃が、その凶悪な姿を現した。
 彼は、その銃を左手で構えて狙いを付けてみた。
「ん。さすが千恵。いいもの選んでくれるよな」
 満足げにそう言うと、彼はその銃を箱に入れた。そして呟く。
「……夏穂。幸せに、な……」

 翌日の朝。
 トルルルル、トルルルル
「はいはい……。増田くんだな、きっと。あの馬鹿、どこほっつき歩いてるんだか……」
 廊下をパタパタとスリッパで歩きながら、夏穂は電話を取った。
「はい、森井です……」
『朝早くから申しわけありません。私、大阪南警察署捜査課の寺居ともうしますが。森井夏穂さんでしょうか?』
 男性の声が、訊ねてきた。
「はい、そうですけど?」
 警察が何の用だろう?
 そう思いながら、夏穂は返事をした。
 電話の向こうの男は、言った。

「……!!」

 硬直した夏穂の手から、受話器が滑り落ちていった。

《続く》

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