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Sentimental Graffiti Short Story #5
夏穂の浴衣
トルルル、トルルル、トルルル
「はいはい、ちょっと待ってよ!」
あたしはふすまを開けて廊下に出ると、電話を取った。ちらっと時計を見ると11時。
……ったく、誰だよ、こんな時間にかけてくるのは……。
「はい、森井です」
「あ。僕。クールでシャイな……」
「……増田くん。キミだと思った」
ため息ひとつ。考えてみれば、こんな時間に電話かけてくるの、あいつくらいだ。
「で、どうしたの?」
「今度さ、大阪に遊びに行こうかと思ってさ」
「ホント!?」
やっばぁ。なんか声が上擦っちゃった。
あたしは慌てて咳払いした。
「おほん。ふぅん、そうなんだ」
向こうでなんだかくすくす笑ってる声が聞こえる。な〜んか悔しい。
「で、せっかくだから遊びに行かないかなって思ってさ」
「そぉねぇ……」
あたしは柱にかけてあるカレンダーをみた。
あ!
「明後日の日曜にしない?」
「え? 日曜かぁ。それだったら前日に京都に寄って行けるなぁ」
「……あんだって?」
「あ、いや。僕はそれでいいよ」
……ったく。
でも、まぁ、いいや。東京から来てくれるって言うんだし、ついでに京都で観光するくらいは許して上げよう。うんうん。
「それじゃ、日曜の11時に、そうだねぇ、心斎橋の三越デパート知ってるでしょ? あそこのライオン前でどう?」
「11時に心斎橋ね。オッケイ」
「遅刻するんじゃないよ」
そう言って、あたしは電話を切る。
さぁてと。
赤マジックで日曜日に丸を付けると、あたしはくふふっと笑った。
そう、日曜は天神祭りなのだ。
あいつ……増田くんが大阪にいたのは、小学校の5年のときだった。たしか……11月に来たのかな。そして、3月には、行っちゃった。
あたしが渡そうとしてたバトンを、受け取りもしないでさ。
ま、そのことはあいつも忘れちゃってるみたいで……乙女の純情を何だと思ってるんだか……。
ええっと、そうじゃなくて。
つまり、だ。あいつはまだ大阪の夏を知らないんだよね。
天神祭りだって見てないわけだしさ。
というわけで、だ。今回は存分に大阪の夏を、この夏穂さんが教えてあげようと思うわけだな、これが。
「……男だね?」
ぎょっ
「なななななんのことかしらぁおほほのほ」
翌日、学校にて。
仲良しの友達で集まって天神祭りに繰り出そうって話になっちゃってさ。
よく考えたら毎年やってるんだよね、これ。
だけど、今年はあたしはあいつとの約束があるんで、だけど正直に言うわけにもいかないんで「ちょっと約束があって……」って言った途端にこれだもの。
「誤魔化すんじゃない。男でしょ、男だな、男に決定!」
ずい、ずい、ずいとあたしに指を突きつけて、しのぶが言った。
「なんでよ……」
「そりゃぁ噂になってるくらいだもんねぇ。陸上部のエース森井夏穂さんが東京の男と付き合ってるっていうのは」
佳代子が肩をすくめた。
「それを聞いて泣いた下級生数知れず。いよ、憎いねこの女の子殺し」
「嬉しくもなんともない。あたしはノーマルだっ」
確かにバレンタインのチョコを山ほどもらって頭抱えた事はあったけどさぁ。これだからまったく、女子校ってのは。
「そうそう。夏穂に男が出来たって聞いたときには、あたし達みんなで祝福してあげたもんだったわよねぇ」
腕を組んでうんうんとうなずくしのぶ。
あたしは忘れないぞ、マクドで散々おごらされたこと。
「まぁまぁ、そういうことなら。あたし達も馬に蹴られるような真似はしたくはないしねぇ」
美鈴が笑いながらそう言った。あたしはほっと一息ついて、手を合わせる。
「ありがと。あんただけよ、親友と呼べるのは」
「で、もちろんあたし達を振って男と天神さまに繰り出すってことは、やっぱそれなりの覚悟完了ってことなんやろうね?」
「……は?」
思わず聞き返すあたしを見て、3人は固まってヒソヒソ話しはじめる。
「まぁ、奥さん聞きました?」
「そらっとぼけてますけど、これはきっとアレですわよ」
「そうそう」
「あ、の、ね、ぇ〜」
あたしは腕を組んでぷいっと横を向いた。
「もう二度とお好み焼き焼いてやらん」
「わぁごめんごめん許してぇ」
「神さま仏さま森井夏穂さまぁ」
……ったく、調子いい連中ばっかりなんだからぁ。
「やっぱり浴衣よ、浴衣!」
佳代子が拳を握って力説する。その迫力にあたしは後ろに顔を引きながら聞き返した。
「どうしてよ。普通の服でも……」
「却下。論外。アウトオブ眼中」
しのぶが言う。
「普段男みたいな夏穂の思わぬ女らしさをぐっと演出して、これでその彼氏もいちころよ」
「あのね……。大体何だって? 誰が男みたいな、だってぇぇ?」
「あ、夏穂やめ……ぐけぇ」
「夏穂、首を絞めるのはやばいって」
しのぶに言われて、あたしは佳代子を締め上げてた腕をゆるめた。
「あー、ひどい目にあったわ」
「夏穂がこんな調子じゃ、その彼氏もさぞや大変だろうねぇ」
ぎく。
そ、そりゃ自分でもちょっと女らしくしようとは思ってるのよ。でも、やっぱりあいつの前に出ると、どうしてもほら、照れくさくってさぁ。
……って、あたしは誰に説明してるんだ?
「やっぱ、ここは浴衣で女らしさを演出する。これっきゃない!」
「そ、そんなものなのかな?」
「そーそー」
うーん。浴衣かぁ。
夕飯を食べてから、台所で洗い物をしている母さんに尋ねた。
「母さん、あたしの浴衣ってあったっけ?」
「浴衣? あるけど、そんなのどうすんの?」
……あんた、年頃の娘に、そんなのどうすんの、はないでしょ?
「着るに決まってるじゃないの。天神さまに着ていこうと思ってさぁ」
「……」
なぜか間が空く。
母さんは、洗い物をする手を止めると、あたしの所に駆け寄ってきた。そして額に手を当てる。
「ふーむ。熱はないわねぇ」
……どういう意味だよ。
それから散々やり合ったあげく、母さんはしぶしぶタンスをひっくり返し始めた。
「この齢になって、いきなり浴衣なんて言いだすとは思わなかったからねぇ。確か聡穂ちゃんが嫁に行くときに、もういらないって言ってたのをもらって、この辺りにしまい込んでたと……。ああ、あったあった」
抽斗の下に仕舞ってあった浴衣を出すと、あたしにポンと渡した。
「はい」
「……はいって、これ、どうすんの?」
「広げて着ればいいじゃない」
「いいじゃないって、あたし着たこと無いんだけど……」
「……そうだっけ?」
「……」
あたしと母さんは同時にため息をついた。
何だかんだで、とうとう日曜日。
あたしは鏡の前で最終チェック。
「ねぇ、母さん。おかしくないよね?」
「もう。何度聞けばいいのよ?」
「だって……」
口ごもるあたしを見て、母さんは肩をすくめた。
「はいはい、可愛い可愛い」
「そんな投げやりな……」
「すごい、可愛いわ。もうさいっこう! 完璧ねっ! この世のものとも思えないわっ!」
「……もういいです」
「そう? じゃ、行ってらっしゃい」
はぁぁ
ため息混じりに、「おたふく」のドアを開けた。
「行ってきます」
三越前に着いたのは、11時10分前。
流石に今日は、あたしみたいな浴衣姿の娘も目立つねぇ。
と。
「ごめん、遅れて……。あの、君、もしかして森井、さん?」
怪訝そうな顔の増田くん登場。
へっへ〜、してやったり。
「うん。あの、今日お祭りだから、と思って……」
「へぇ〜」
増田くん、珍しそうにあたしを上から下までじぃっと見てる。
ちょっと、照れるね。
「ど、どうかな? 変じゃない?」
あたしは、袖をつまんで訊ねた。
「そんなことないよ。いやぁ、今日はいいもの見たなぁ」
「やだな、もう、増田くんったらっ」
持ってる団扇で顔を隠して、あたしはこっそり、にんまり。
「それじゃ、行こうか?」
「そうね」
あたし達は、並んで屋台の並ぶ道を歩いてた。
「お、射的があるんだ」
不意に増田くんが立ち止まった。あたしも立ち止まる。
「増田くん、射的得意なの?」
「まぁね。デス様をクリアした男と呼んでよ」
「……なんだかよくわかんないけど、ねぇねぇ、やってみせてよ」
「うん。おっちゃん、1回!」
増田くんはそう言って、並んでるおもちゃの銃を選び始めた。
「こういうのは、銃を選ぶところからだなぁ……。よし、せっかくだから、俺はこの赤い銃を選ぶぜ」
そう言って赤い銃を取る増田くん。
「がんばれぇ〜、増田く〜ん」
「おっと、今の俺はダニーと呼んでくれ」
「?」
増田くんは、銃を構えた。うん、さすが言うだけあって、さまになってるなぁ。
「どれが欲しい?」
「えっとねぇ……」
あたしは景品台の方を見た。
あんな事言ってるけど、実際はどうなのかなぁ? よーし。
「それじゃ、あのカッパ」
手前にあるカッパのぬいぐるみを、あたしは指した。あんまり難しいの指しても可哀想だしね。
「よーし」
増田くんは狙いを付けて、引き金を引いた。
ポムッ
可愛い音を立てて、コルクが飛んで、カッパを倒した。
「わぁ、すごいじゃない」
「ダニーだからな」
何だか知らないけど胸を張る増田くん。
ちょっとだけ見直しちゃった。
それから、焼きそばを買って食べながら歩いて、ヨーヨー釣りして、わたあめ買って、なんてしてるうちに、どんどん暗くなってきた。
「さて、と。そろそろ帰ろっか?」
あたしが言うと、増田くんはびっくりしたみたいに聞き返した。
「え? これから花火大会とかないの?」
「天保山の花火大会じゃないんだから。第一この大阪のど真ん中で、花火ボンボン打ち上げられるような場所なんて、あるわけないやろ」
あたしは肩をすくめた。
「それもそっかぁ。でもさ、やっぱり夏祭りっていったら花火がないとなぁ」
「無茶いいないな」
「は?」
「無茶言わないの、って言ったのよ」
関西弁って、時々通訳しないといけないから面倒で、増田くんと話すときには共通語使うように気を付けてるんだけど、やっぱり時々ポロッと出ちゃうのよねぇ。
「ちぇ〜」
増田くん、よっぽど残念だったみたいで、あたしに背中向けて、道端の石を蹴飛ばしてる。
「なによ、そんなに花火が見たいの?」
「いや、やっぱりないよりはあった方がいいのかなってところであって、別に暗がりを利用して手を握るとか抱き寄せるとかもっと進んでもいいんですかいいんです、なんてことは考えてないのじゃよ〜」
「あのね……」
「ま、冗談はともかく、やっぱり夏と言えば花火だろ? そう思わない?」
「そりゃ、そうかもしれないけど……」
そーだ!
あたしはくるっと振り返った。
「それじゃさ、花火やらない?」
「やるって?」
「そ。うちで」
「承認!」
ぴっと親指を立てる増田くん。
「そうと決まれば、さっさと行くよっ!」
「あ、ちょっと待ってよ!」
「あわせて1965円になります」
コンビニの店員の兄ちゃんが言うんで、あたしは振り返った。
「払って」
「ヒッチハイクと野宿をくり返してる僕に何て事を言うんだよぉ〜」
「来るたびにお好み焼きおごってあげてるじゃない」
あたしは腕を組んだ。
「それでまだあたしに払わせよぉっての?」
「でも……。を! 払います払います」
「……?」
何で急にいそいそ払いだしたのか判らなかったけど、ま、払ってくれるんならよしとしよう。うん。
「ありがとうございましたぁ」
店員の声を後に、あたしはコンビニを出る。後から増田くんが、花火の入ったビニール袋を持って出てきた。
「やっぱり、ああいうのって接客マニュアルとかあるんかなぁ?」
「どうなんだろ? でも、どうして?」
「そりゃ浪速なんやから、『おおきに』って言うのが普通じゃない?」
「うーん」
苦笑してから、増田くんはあたしに訊ねた。
「で、どこで花火するの?」
「そーだねぇ」
あたしはまた腕を組んだ。家の前の道でドラゴンするわけにもいかないし、近所に公園なんてしゃれたもんないし……。
そうだ!
ポンと手を打って、あたしは歩きだした。
「こっち来ぃ」
「ここならいいんじゃない?」
あたし達が来たのは、想い出の場所。
あたしと増田くんが、よく陸上の練習をしてた河川敷。
ちょうどあんまり風もないし、花火には絶好のコンディションやなぁ。
買ってきたロウソクを立てると、マッチを擦った。
シュボッ
ロウソクに火がついて、あるかないかの風にゆらゆらと揺れる。
「それじゃ、やろうぜ!」
「うんうん」
あたし達はビニール袋を破いて、花火を並べた。
「俺ドラゴン!」
「んじゃ、あたしロケット!」
シュッパァーーーッ
綺麗な火花が吹き上がって、火薬の匂いが辺りに立ちこめる。
ピュィーーーーーッ、ポォン
ロケット花火が、空高く上がってはじける。
それから30分くらいして、買ってきた花火はほとんど無くなってた。
やっぱり最後に残ってるのは、線香花火。
「これこれ。これで締めくくらないと花火じゃないよなぁ」
「そうそう」
何となく並んで屈み込んで、一緒に火を付ける。
シューッ
チリチリチリチリ
赤い火玉から、黄色い火花が散ってる。
ポトッ
増田くんの火玉が先に落ちた。
「やぁーい、落ちた落ちた」
「くっそぉ、次だ、次!」
次の線香花火を取りだす増田くん。
「あ、こら。ちゃんと半分ずつだからね!」
「みてろよぉ、次こそ大きなやつを作ってやっからなぁ!」
……こういうすぐにムキになるとこって、あの頃と変わってないんだよね。
あたしがくすっと笑うと同時に、あたしの線香花火の火玉がポトッと落ちた。
「ああ〜〜っ!」
「ほら、人のこと笑ってるからだ」
むっかぁ〜!
「次貸して、次!」
あたしは次の線香花火を増田くんから引ったくると、火を付けた。
これで、最後の一本。
ロウソクで火を付けるあたしを、自分の手持ちを使い果たした増田くんは手持ちぶさたにしてる。
シューッ
チリチリチリチリ
火花が散り始める。
よしよし、今度はなかなか持ちそうだぞ、と。
「……」
その時、あたしはふと増田くんが妙に静かなのに気付いた。
顔を上げると、増田くんはじぃっとあたしを見てるじゃない。
「な、何よ」
「いや……、浴衣姿で線香花火してる夏穂って、なんかいいなぁって思って」
「な、何馬鹿言ってるのよ、馬鹿」
あたしは線香花火に視線を戻した。
ドキドキドキ
心臓が大きく鳴ってる。こら、どうしたってのよ、あたしは。
ポトッ
火玉が落ちた。あたしは立ち上がって、大きく伸びをした。
「ふぅ、終わった終わった」
「さて、と」
増田くんも立ち上がりながら腕時計を見た。
「もうこんな時間か」
「増田くん……、時間、大丈夫?」
「えっと……」
増田くん、少し考えてからうなずいた。
「大丈夫、大丈夫。夜行使えば何とかなるって」
「でも……」
「夏穂と花火が出来たんだから、少しくらい遅れてもいいよ」
ドキッ
「や、やだぁ、何言ってるのよ、増田くんったら」
あたしは団扇で顔を隠した。赤くなっちゃってるの見られたら、恥ずかしいじゃない。
「じゃ、またね。大阪に来ることがあったら、声かけなよ」
「そうするよ。じゃ、元気で」
そう言って、増田くんは階段を駆け下りていった。
やっぱり、別れるときは寂しいな。
そう思いながら向き直ると、あたしは団扇でパタパタと自分をあおいだ。
明日も暑くなるぞ、きっと。
そんな風に、違うことを考えないと、きっとそのままあいつを追いかけて行きそうで。
だからあたしは、乱暴に自分をあおぎながら、歩きだした。
《終わり》
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