喫茶店『Mute』へ  目次に戻る  末尾へ

Sentimental Graffiti Short Story #9
あけましてほのかちゃん

 唐突だけど、今日は大晦日である。
 大晦日と言えば、普通は家で親に文句を言われながら大掃除してるのが、普通の過ごし方だろう。
 ……だというのに、僕は何をしてるのかといえば、仙台で肉体労働。
 ああ、世間の風は無情なんだよなぁ。
「こら、バイト! さぼってるんじゃねぇ!」
「す、すみません!」
 青葉城を見上げながら世の無情に浸ってると、怒鳴られてしまった。僕は慌ててフォークリフトに駆け寄った。
 なぜ大晦日にこんな仕事をしてるかというと……。まぁ、言うまでもないだろうけど、持ち合わせが無くなっちゃったからなんだ。
 うーん。計画性がないのは反省してるけど、でもまさか帰るお金もないとは、仙台駅で財布の中身を見るまで思いもよらなかった。
 まぁ、ヒッチハイクで帰るって手もあったけど、どうせ冬休みもまだ残ってることだし、どっちにしても働かないといけないわけだから、と思ってここで日雇い人夫をやってるわけなんだけど……。
 それにしても、こんなところ、ほのかには見せられないなぁ。
 段ボール箱を担いで運びながらそう思う僕だった。

 その日の仕事も終わって、解放された僕は仙台駅に戻ってきていた。
 さぁて、とりあえずの資金も出来た、と。
 これから、どうするかな?
 そう思った僕の脳裏に、一人の少女の笑顔が一瞬フラッシュみたいに写った。
 ……ほのかに、逢いたい……。
 いや、ダメだ。それはできないよなぁ。逢いたいのはやまやまだけど……。
 函館での一件(言うまでもなく、僕がほのかに平手打ちされた、あの一件だ)については、僕が稚内までほのかを追いかけて謝ったことで、一応二人の間では、けりはついたって事になってる。
 でも、あのことの後、僕の方の、ほのかに対する想いが、少しずつ変わってきていた。
 今までのように、単なる女の子の友達とは呼べなくなってきていて、そんな僕自身の想いをどう扱っていいのか、自分でもよくわからなくなっていたんだ。
 だから、稚内でほのかと別れた後、僕はほのかとは連絡を取っていなかった。札幌にも行かなかった。
 今度ほのかに逢ったとき、どういう風に接していいのか、わからなかったんだ。
 それがわかるまで、彼女に対する僕のこの想いがなんなのかがわかるまで、僕は、彼女に逢うのはやめようと思っていた。
 どうしようかな……。
 とりあえず入場券で駅の構内に入ってから、行く先を考えるのも毎度のこと。
 この時間だと、夜行に乗るか、ここで一晩過ごして明日の朝の始発かだけど。
 ……すっかりこういう生活が身に付いてしまったなぁ。
 苦笑しながら、プラットホームをブラブラ歩いていると、不意に後ろから呼び止められた。
「もしかして、和くん?」
「え?」
 振り返ると、そこに彼女がいた。
「ほ、ほのか?」
「うん……」
 暖かそうなコートを着たほのかが、息を切らせながらも、驚いた顔をして立っていた。
「どうして、仙台に?」
 やっとのことで、そう訊ねた。 「パパのお供なの。いつもは飛行機なんだけど、今回は列車で……」
 ほのかが振り返ると、そこにはブルトレが停まっていた。
「そうなんだ」
「うん。それで、窓から外を見てたら、あなたが見えたから……」
 そこで口ごもるほのか。
 僕も、言葉が見つからなくて、黙っていた。
 こんな所でバッタリ出会っちゃうなんて……。
 と。
 プルルルルルル
『21時13分発、北斗星1号札幌行き、間もなく発車いたします。ご乗車の方はお急ぎ下さい』
「あ。戻らなくちゃ」
「うん。それじゃ、またそのうち遊びに行くよ」
「ホント? 待ってる……」
「うん。行くから、早く乗らないと」
「……なんだか、怪しいなぁ。妙にせかしたりして」
「そ、そんなことないよ。さぁ、早く」
「うん」
 ほのかはうなずいて駆け出した。と。
「きゃぁ!」
 ドシン
 何かにつまづいたのか、ほのかがプラットホームの中程で転んだ。
「わっ、ほのか!」
 僕は慌てて駆け寄った。
「いったぁい」
「大丈夫? ああっ!!」
 ほのかを引っ張り起こしたところで、僕は思わず大声を上げた。
 ブルトレが動きだしていたのだ。
「ちょ、ちょっと待って!」
 声を上げたけど停まるわけもなく、そのままブルトレは仙台駅を出ていってしまった。
「……行っちゃった……」
 ほのかが、小さな声で呟いた。
 とりあえず、ほのかと僕は、駅構内のスタンドでお茶をしていた。
 僕は時刻表を調べていた。
 僕だけならともかく、ほのかに仙台駅内で野宿させるわけにも行かない。仙台市内でホテルを取るって手もあるけど、それは最終手段だ。まずはこの後の列車で札幌行きのを探さないと。
「ねぇ、乗れそうな列車ってある?」
 ほのかが顔を寄せてきた。柔らかな栗色の髪の毛が僕の頬をくすぐる。
 僕は、気付かれないように自分の身体をずらして、答えた。
「うーん。この21時44分の北斗星3号か、あとは23時32分の北斗星5号だなぁ。よし、それじゃ切符が取れるか聞いてこよう」
「うん」
 ほのかは笑ってうなずいた。
「5号しか取れなかったね」
「3号は満員だったから、仕方ないよ。寝台特急って、全席指定なんだから」
 僕がそう言うと、ほのかは手を合わせて舌をペロッと出した。
「ごめんね、切符代まで貸してもらっちゃって」
 そうなのだ。ほのかの今の持ち物と言えば、身に付けているコートだけ、という有様なのである。ホントに慌てて仙台駅に降りてきたようだ。
「ごめんね。あなたまで札幌に来ることになっちゃって」
「ほのかを一人で列車に乗せて、はいサヨナラ、ってわけにもいかないしね。こうなったら札幌まで付き合うよ」
「うん、ありがとう。……さて、それじゃあと2時間くらいあるね。どうしようか?」
 時計を見上げて、ほのかは僕に尋ねた。
「う〜ん、さすがにもうすぐスタンドも売店も閉まっちゃうしなぁ。ベンチでホットの缶コーヒーで暖を取るしかないねぇ」
「ええっ!? そうなの? お店って、24時間やってるんじゃないの?」
「ないんです」
 考えてみれば、ほのかが、夜中の駅がどうなってるか、なんて知ってるはずもない。
 僕は、ナップザックをかつぎ上げた。
「それじゃ、移動しようか。そろそろこのスタンドも閉まる時間だし」
「そうなの?」
「さっきから店員さんが、出ていって欲しそうに僕達のことをじぃっと見てるよ」
 ぺちぺち
「ねぇ、起きて、起きてってば」
「……ん?」
 頬っぺたを軽く叩かれて、僕は目を開けた。
 ほのかが困ったように僕を見おろしてる。
 あれ? どうして?
「もうすぐ列車が来ちゃうよ。ちゃんと起きてよ」
 スタンドを出た後、僕とほのかは、さすがに寒いプラットホームで待つわけにもいかずに、コンコースのベンチに並んでおしゃべりしながら時間を潰すことにしたんだけど……。
 どうやらいつのまにか、僕は眠っていたようだ。やっぱり昼間の肉体労働が堪えたせいかなぁ。
「ごめんごめん。僕だけ寝ちゃって……」
 頭を掻きながら起きあがると、ほのかはクスッと笑った。
「うふふっ」
「な、なんだよ?」
「ううん。和くんの寝顔って可愛いなって」
「……」
 何て言って答えていいのかわからなくて、僕は何となしに時計を見て目を見張った。
 ……じゅういちじさんじゅっぷん?
「わぁっ!」
 思わず僕はベンチから跳ね起きると、右手にナップザックを、左手にほのかの腕を掴んだ。
「こんな時間じゃないかっ! 列車が来るのは1番ホームだっけ!? どっちだ?」
「あっち……」
「いくぞほのかっ!」
 僕はほのかを引きずるように駆け出した。1番ホームに上がるエスカレーターを駆け上がる。
 ホームに飛びだすと、冷気が顔を刺すけど、そんなことは構っちゃいられない。
 もう既に北斗星5号は、ホームに停車していた。いや、もう発車しようとしていた。
 プルルルルルル
 発車を知らせるベルが鳴ってた。
「わぁっ!」
 僕はほのかを引っ張って、またホームを駆け出した。
 僕らの目の前でドアが閉まろうとする。
「させるかぁ!」
 とっさに、僕は右手のナップザックを投げた。うまく、閉まりかけたドアに挟まる。
 ドアがもう一度開いた。僕はほのかを押し込むと、自分も滑り込んだ。
 <良い子は真似をしてはいけません>
「はぁはぁ、間に、あったぁ」
「はぁはぁ。そ、そうだね」
 デッキに座りこんで、僕達は顔を見合わせて笑った。
 カタンコトン、カタンコトン
 単調な列車の音。
 僕は、寝返りを打った。
 ……眠れない。
 いつもなら、寝台特急に乗ったらすぐに眠れて、駅に着くまで起きないのに。
 僕のすぐ上に、ほのかがいる。
 それだけのことで、なんだか眠れないんだ。
 僕は、小さな声で呼んでみた。
「……ほのか?」
 返事はない。
 やっぱり、ほのかはもう眠っちゃったのかな?
 僕がそう思ったとき、微かに声が聞こえた。
「……なに?」
 起きてたんだ。
「まだ、起きてたの?」
「……うん。なんだか眠れなくて……」
 カタンコトン、カタンコトン
 列車はひたすら走っている。
 上から、声がした。
「ねぇ、ちょっとおしゃべりしない? このままじゃ、眠れないの」
「うん……。僕も、ちょっと寝つかれないんだ」
 と、不意に上でガサゴソと音がすると、カーテンが揺れた。そして、ほのかが顔を出す。
「ほのか?」
「そっち、行ってもいいかな?」
「いいけど……」
「ありがとう」
 B寝台は広くない。ほのかと、身体を起こした僕は並んで座った。
 枕元のシェードランプの薄暗い光が、ほのかの横顔を照らしている。
「……」
 お話をしよう、とは言ったものの、話題が思いつかないのか、ほのかは黙ってる。
「……ごめんね」
「え?」
「迷惑、かけちゃったね」
 俯いて、ほのかはぽつりと言った。
 僕は頭を掻いた。
「そんなことないって。それに、ほのかが列車に乗り遅れたのは僕のせいなんだから」
「……ううん」
 微かに、ほのかは首を振った。
「私……。わざと……」
「え?」
「なんでもない」
 ほのかは微笑んで僕を見つめた。
「お話して、ほしいな」
「お話って、何を?」
「いろんなこと」
「いろんな……って言われても……」
「それじゃ、私が質問するね」
 そう言うと、ほのかはちょっと考えてから、僕に尋ねた。
「今までいろんな所に住んでたんだよね。どこが一番よかった?」
「うーん」
 僕は考え込んだ。
「どこも、それぞれ良かったんじゃないかな。そもそも、そんなに長いこと住んでたわけじゃないから……。一番長いのは青森だったけど、それだって小さい頃だったからよく覚えてない部分も多いし……」
「それじゃ、札幌はどうだった?」
「寒かった」
 そう言うと、僕はクスッと笑った。
「冗談だよ。第一札幌には冬にはいなかったんだし。……そうだねぇ。やっぱり空が高いよね、北海道って」
「うん。この前東京に行ったとき、私もそう思ったな。やっぱり、北海道って空が高いんだなぁって」
「空気も美味しいし、食べ物も美味しいし、夏は涼しいしねぇ」
「え? あ、そうか。確か夏の間しかいなかったんだよね、あなたは」
「確か、4月から10月の間だった……。そうだね、夏の間だけだね」
「うん……。半年、かぁ。たった半年なのに……」
「え?」
 ほのかは、じっと僕を見つめていた。
「どうしてなのかな。あなただけは、私にとって、他の男の子とは違う存在になってた。半年しかいなかったくせに……」
「きっと、そのせいじゃないかな」
「え?」
「半年しかいなかったから……、余計に印象に残ってたんじゃないかな?」
「ううん」
 ほのかは首を振った。
「もっといても、きっと私にとっては特別だよ」
「それは……僕がほのかを助けたから?」
 春の遠足で、馬から落ちたほのかをかばって、僕は骨を折って入院することになってしまった。それを思い出して僕は訊ねた。
「……最初は、確かにそうだったと思う。でも……」
 そこで一瞬口ごもると、ほのかは僕の方をちらっと見た。
 その頬が赤く染まってるのが、シェードランプの薄暗い灯でも判った。
「あの交換日記、覚えてるよね?」
「……うん」
 責任を感じたのか、ほのかは病院に毎日来てくれた。そして、その日の学校の様子を書いたノートを僕に渡してくれた。
 いつからか、ほのかに言われて僕もそのノートに返事を書いてほのかに渡すようになっていた。今から考えると、まぎれもなく交換日記だった。
 たとえ内容がホントに幼くて、今からみればままごとみたいなものであっても。
「私ね、今まで何度も交際を申し込まれたことがあったんだよ」
 そりゃそうだろう。再会したときだって、他の男に絡まれてたくらいだし……。
 ほのかくらいの可愛い娘だったら……。
 そう思って、僕の胸がチクッとうずいた。
「でも……ダメなの」
 ほのかは、そんな僕の胸の内を知ってるわけがない。淡々と続ける。
「他の男の子じゃダメ。なんていうのかな、優しそうにしてても、その下に隠してるものがあるんじゃないかな、なんて考えちゃって。でも、あなたは違うの。本当に優しいんだって判ってるから……」
 不意に、ほのかが僕にもたれかかってきた。
「ほのか?」
「あふ。ごめんなさい。なんだか、眠くなって……きちゃって……」
 ちらっと時計を見た。午前0時。
 仙台駅で眠りこけてた僕と違って、ほのかはまだ寝てないんだ。仕方ないよね。
「いいよ。お休み」
「……うん」
 ほのかは、そのまま目を閉じた。
 僕は、そのほのかの寝顔を見つめていた。稚内の時と同じように……。
 そして、翌朝。
「札幌〜、札幌〜」
「ふぅ〜、ついたついたぁ」
 プラットホームからコンコースに降りると、ほのかは大きく伸びをした。そして、振り返る。
「ねぇ、お腹空かない?」
「そうだね。でも、それよりも、まずほのかのご両親に連絡入れた方がいいよ。きっと心配してると思う」
「うん、そうだね。ちょっと待ってて」
 そう言って、公衆電話の方に駆け出そうとしたほのかを、僕は呼び止めた。
「待って! はい、テレホンカード」
「あ……」
 言われて、自分が何も持ってないことを思い出したらしい。ほのかはちょっと赤くなって、テレカを受け取った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 こんどこそ、公衆電話に駆けていくほのかを見送って、僕はベンチに腰掛けた。
「お待たせ」
 5分ほどして、ほのかが駆け戻ってきた。
「それじゃ、行きましょう」
「え?」
「家に電話したらね、ママが出てきて、パパはまだ駅にいるんだって。パパの携帯に連絡取って、私達を迎えに来てくれるように頼んだから」
「頼んだ、んですか?」
 ほのかのお父さんには、前に函館で挨拶したことはあるんだけど……。
 待てよ。
「ほのか。君のお父さんにちゃんと言った? 僕と仲直りしたって」
「え? あ、まだ言ってなかった……」
「じゃ!」
 僕はさっと片手を上げて逃げ出そうとした。ほのかが慌ててその僕の腕をつかまえる。
「ちょっと待ってよ」
「離してくれぇ。君のお父さんにこんなとこ見られたら殺されちゃうよ」
「まさか。大丈夫よ」
 と。
「貴様! まだほのかにまとわりついていたのかぁっ!?」
 ブン
「だわぁっ」
 僕は後ろから殴りかかられて、とっさに飛び退いてそれをかわした。その弾みで、僕の腕に掴まっていたほのかが転ぶ。
「きゃぁ!」
「ほのか、無事かぁっ? パパが来たからにはもう安心だぞ!」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ、お父さん」
「貴様ぁ、誰がお父さんだっ!?」
 真っ赤になって怒鳴るほのかのお父さん。
 周りの人も何ごとかと僕達を取り囲み始めてる。
 うわぁ、向こうから駅員さんまでこっちにくるじゃないか!
 まずいなぁ、ここは三十六計逃げるにしかず、かな。
 と。
「やめて、パパ!」
 ほのかの叫ぶ声に、僕の襟首を掴みかけていたほのかのお父さんの手が止まる。
「ほのか?」
 その間に、ほのかは僕とほのかのお父さんとの間に入り込むと、僕をかばうように両手を広げた。
「そんなパパ、嫌いよっ!」
 それから1時間後。
 僕は、ほのかの家で朝ご飯をご馳走になっていた。
 ほのかが取りなしてくれたおかげで、なんとかほのかのお父さんも納得してくれたようだ。……というよりも、さっきの「パパ、嫌い」発言が余程こたえた様子で、さっきからどうも腑抜けてるみたいなんだけど……。
 そんなわけで、僕はもっぱらほのかのお母さんの質問責めにあっていた。
「まぁ、それじゃ東京に住んでて大変なのねぇ」
「そんなこともないですよ」
「でもやっぱり、東京って住み難くない? そうだ! いっそのこと、高校卒業したら、こっちに来なさいよ。ほのかも喜ぶでしょうし」
「ママ!」
 ほのかが真っ赤になって口を挟んだけど、ほのかのお母さんは軽くいなした。
「何よ。毎日『北海道は遠いのかなぁ』なんて呟いてるくせに」
「そ、そんなことないもん。ホントにそんなことないんだからね!」
 台詞の後半は僕に向けたもの。……それはそれで寂しいような気もするなぁ。
「あらあら、そうかしら?」
「んもう、ママの意地悪」
 真っ赤になってふくれたまま、座りなおすほのか。
 ほのかのお母さんは、小首をかしげた。
「でも、困ったわねぇ。このあとすぐにおせちにお雑煮なんて、二人ともお腹に入らないわよねぇ」
 あ、そう言えば、今日はお正月だったんだ。
 ほのかと思いがけなく出逢って、さらに思いがけなく一緒に旅をしたりしてたおかげで、そんなことはすぱっと僕の頭からは飛んでいたけど、そう言われれば札幌駅で晴れ着姿の女の子が何人もいたような気も……。
 なんて僕が思ってると、不意にほのかのお母さんはポンと手を打った。
「そうだ。二人で初詣に行ってきたら?」
「初詣、ですか?」
「そうそう。帰ってくる頃にはまたお腹空いてるでしょ? そうしなさいよ」
「でも、いいんですか? 僕となんか一緒で」
「あなたと一緒がいいのよ。ねぇ、ほのか?」
「ママ!」
 さらに真っ赤になって、ほのかが声を上げた。
 僕は、ほのかに視線を向けた。
「そうだよね。せっかくの初詣が僕と一緒じゃ、そりゃだめだよね」
「えっ? あ、そ、そんなことないよ」
 慌てたように首を振るほのか。
「違うの。そうじゃなくって……」
「まぁまぁ、そうと決まれば準備しなくちゃね」
 ほのかのお母さんはなにやら嬉しそうに立ち上がった。
「え? 準備って? あ、なになに?」
「いいから、ほのかはこっちに来なさいってば」
 そのままほのかの背中を押すようにして、ほのかのお母さんはほのかをリビングから連れだしていった。
 後に残されたのは、僕とほのかのお父さんの2人。
 ……気まずい。
「お・ま・た・せ」
 気まずいまま30分ほどが過ぎてから、ひょこっとリビングに顔を出した、ほのかのお母さん。
「あ、ども……」
 正直ほっとして、僕は立ち上がろうとした。
「まぁまぁ、座って座って。ほのか〜」
 僕にそういうと、ほのかのお母さんは振り返って後ろに向かって声をかけた。
 ほのかの声だけが聞こえてくる。
「ほんとに、おかしくない?」
「大丈夫だってば。この母親を信じなさい」
「ほんとにほんと?」
 なにやってるんだろう?
 と、ほのかのお母さんの後ろから、おずおずとほのかがその姿を見せた。
 わぁ!
 髪を結い上げて、梅をあしらったピンク色の振り袖姿だった。
「……」
 とっさに言葉が出なくて、僕は黙っていた。
 ほのかが俯く。
「やっぱり、変なんだ……」
「ち、違うよ。えっと、それは……。すごく可愛いなって思って……」
「えっ!? や、やだぁ、もう……」
 もごもごぉ
 変なうめき声が聞こえた。振り返ってみると、ほのかのお母さんがほのかのお父さんの口を後ろから塞いでいた。
「?」
「ほらほら、早く行ってらっしゃい」
 にこにこしながら言うほのかのお母さんに急かされるようにして、僕とほのかは、ほのかの家から並んで出た。
「さすが、すごい人出だね」
「う、うん」
 僕とほのかは、人混みにもまれながら、境内を歩いていた。
「北海道神宮かぁ。なんだかそのままって感じの名前だねぇ」
「だって、北海道って歴史があんまりないんだもの。しょうがないじゃない……。あっ」
 後ろから人に押されてよろめくほのかを、とっさに支える僕。
「大丈夫?」
「う、うん……。あ、あの……」
「何?」
 聞き返すと、ほのかは頬を染めて僕に言った。
「あの、はぐれたりしたら大変だから、掴まってても、いいかな?」
「そうだね」
 僕がうなずくと、ほのかは僕の腕に掴まった。
「ありがとう。……嬉しいな」
「え?」
「な、なんでもない」
「?」
 人波に流されるようにして、僕とほのかはやっと一番前に出た。賽銭箱に小銭を投げ込んで、柏手を打つ。
 パン・パン
(今年もいい年でありますように……)
 そして、ちらっと隣を見て、つけ加える。
(ほのかといい関係でいられますように……)
 取りあえずそれだけお祈りして、顔をあげると、ほのかはまだ目を閉じて手を合わせていた。
 その横顔に、改めて見とれていると、不意にほのかが顔をあげて僕を見る。
「え? どうしたの?」
「あ、いや。もう終わった?」
「うん」
 コクリとうなずくほのか。
「それじゃ、行こうか?」
「そうだね」
 僕とほのかは、拝殿から離れた。
「あ、そうだ!」
 人波が途切れない参道を、今度は戻っていく途中で、不意にほのかが声を上げた。
「ねぇ、お神籤引かない?」
「お神籤?」
「うん。ほら、やっぱり初詣には付き物じゃない?」
 ほのかはそう言うと、掴んでいた僕の腕を引っ張った。
「あっちの社務所で売ってるのよ。ね、行きましょう」
「そうだね。行こうか」
 僕はうなずいた。
 巫女さんからお神籤を買って、おそるおそる開いてみる。
 たかだか紙切れ一枚、とは思うものの、やっぱりドキドキするよなぁ。
 どれどれ……。

大凶


 ……とほほ。新年早々ついてないなぁ。
「ねぇ、どうだった? 私は、中吉だったんだけど……」
 ほのかが覗き込んできた。僕は苦笑して、ほのかに見せた。
「はい」
「あ……。で、でも、これで今年の不運を使い切っちゃったんだよ、きっと。それに……当たってないよ、それ」
「え?」
「だって……」
 そう言って口ごもると、ほのかはそのお神籤を僕の手から取った。
「あ」
「ほら、こうやって、木に結んじゃえばいいのよ」
 そう言って、ほのかはお神籤を細く折り畳むと、側にあった木の枝に結び始めた。
 腕を上げたので、袖から白い二の腕がちらっと見えて、思わずドキッとする。
「……これで、よしっと。ね?」
 こっちを見て、ほのかはにこっと笑った。
「あ、うん。ありがとう」
 僕はぎこちなく笑い返した。
 それから、ほのかの家に戻って、お節料理とお雑煮をごちそうになった後。
「泊まっていけばいいのに」
「そんなご迷惑をおかけするわけにもいきませんよ。それでなくても正月早々からお邪魔しちゃって……」
 僕は、玄関で深々と頭を下げた。
 ほのかのお母さんは軽く手を振った。
「そんなのいいのよ。また、いつでもいらっしゃい」
「はい」
「ママ! 私、送っていくから!」
 普通の服に着替えたほのかが、コートを肩に掛けながら廊下を走ってきた。
「パパに車出してもらって、札幌駅まで送ってもらう?」
「そんな悪いですよ」
「遠慮しないの。ね、パパ」
「そうだな、送っていってあげよう」
 僕がここに来てから始めて嬉しそうな声を出すほのかのお父さん。案の定ほのかに突っ込まれてる。
「パパ、なんだか嬉しそうね?」
「そ、そんなことないぞ、うむ」
 狼狽えながら、ほのかのお父さんはコートを羽織って出てきた。
「車を出すから、ガレージの前で待ってなさい」
「うん。行こ!」
 ほのかは僕の腕を引っ張った。
 札幌駅のプラットホーム。
「それじゃ、また来るよ」
「うん」
 ほのかは、僕の手をぎゅっと握った。
 う。喫煙コーナーで煙草を吸ってるほのかのお父さんの視線が思いきり気になるんだけど……。
「きっと、来てね。……待ってる」
 プルルルルル
 発車のベルが鳴った。
「じゃ」
 僕はほのかの手を握り返すと、列車に乗り込んだ。
 ほのかは、微笑んだ。
 ドアが閉まる瞬間、ほのかが言った。
「……から」
「え?」
 プシュー
 ドアが閉まった。ゆっくりと列車が動きだし、手を振るほのかの笑顔が後ろに流れていく。
「……またね」
 小さくそう呟いて、僕はナップザックをかつぎ上げて、デッキから客室に入っていった。

《終わり》

 メニューに戻る  目次に戻る  先頭へ