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Sentimental Graffiti Short Story #7
えみるちむ

 トルルルル、トルルルル、トルルルル
「ん〜」
 テスト代わりのレポートを1週間かけてやっと書き上げ、なんとか教授に提出した僕は、久しぶりに爆睡している僕を起こしたのは、電話の鳴る音だった。どうやら、寝る前に留守電のスイッチを入れるのを忘れていたようだ。
 ベッドからズルリとすべり出すと、ろくに掃除もしないせいで散らかり放題に散らかった床をのたくって、なんとか電話までたどりついた。
 その間にコールは10回以上。
「へいへい、今出ますよってに」
 そう言いながら、僕は受話器を取った。欠伸混じりに言う。
「ふぁい、もひもひ」
「ふぇぇーん、だぁ〜〜りぃ〜〜ん!!」
 僕を覚醒させたのは、電話の向こうから聞こえてきたえみるの泣き声だった。
「えみる?」
「ダーリン、えみるのこと嫌いにならないで欲しいんだりゅん」
「はへ?」
 まだ、頭が眠ってるようで、良く判らない。
「なんで?」
「だってだってだってぇ」
 えみるの方もどうも要領を得ない。
「もしもし、あの、えみる?」
「やんやんやん。えみりゅんのことはえみりゅんって呼んでくんなきゃやだぁ」
 ……泣いてたんじゃないのか?
 僕は苦笑して、呼んだ。
「それじゃ、えみりゅん」
「だーりん♪ なぁに?♪」
「呼んでみただけ」
「ぶぅーー」
 電話の向こうでえみるが膨れる様子が手に取るように判って、思わず僕は笑ってしまった。
「ダーリン、笑ってる場合じゃないんだりゅん!」
「だから、どうしたんだってば?」
「うん、それがね、あのね……」
「うんうん」
「……やっぱり恥ずかしいりゅん」
 いやん、もう。
 ……やっぱり僕もちょっと染まってきたんだろうか?
 深刻に考え込んでいると、電話の向こうでえみるが心配そうに訊ねた。
「ダーリン、もしかして怒っちゃったの?」
 別に怒っちゃいない、と言いかけて、僕は何の気なしにカーテンを開けて、思わずのけ反った。
「え、え、えみる!?」
「なぁに? ダーリン」
 窓の向こうはベランダになっている。そのベランダにしゃがみ込んだえみるが、携帯電話を耳に当ててしゃべっている。
「えへへっ、ダーリン。えみりゅん、ダーリンに逢いたくて逢いたくて逢いたくて、来ちゃったよぉ」
 満面の笑みを浮かべて、えみるが手を振った。
 僕は黙ってシャッとカーテンを閉めた。
「だ、ダーリン!?」
 窓の外で、えみるが悲鳴を上げるけど、無視して電話を一度切り、それから受話器を上げたままにしておく。
 コンコン、コンコン
 窓を叩く音がするけど、それも無視してると、やがて静かになった。
 カーテンを少しだけめくって、隙間から外を見てみると、えみるはベランダにペタンとすわり込んで泣いていた。
 ……なにやってるんだ、僕は?
 我に返って、僕は慌てて窓を開ける。
 カラカラカラ
「ひっく、ひっく……」
「えみりゅん」
 僕が声をかけると、えみるはちらっと僕のほうを見て、それからぷいっと背中を向ける。
「ダーリンなんて、ひっく、大嫌いだりゅん、くすん。莫迦ぁ」
 僕はベランダに出ると、後ろからえみるを抱きしめた。
「ふにゃん」
「ごめん、えみる……」
 言いかけて、えみるが右腕に妙な時計みたいなものを付けているのに気が付いた。
 おっと、それよりえみるの機嫌を直さなくちゃ。
「ダーリン……」
 えみるは、甘い声で呼ぶと、後ろから回している僕の腕に頬っぺたを擦りつけた。うーん、機嫌が直ったのかな?
「とにかく、こんなところじゃなんだから、家に入って」
「もうちょっと、このままでいたいりゅん」
「……いいよ」
 僕は、えみるを抱きしめた。
「僕も、こうしてえみるを感じていたい」
「……ダーリン、好き」
 僕達は、しばらくそのままの姿勢でいた。

 ……しまった。
 えみるを中に入れようとしてから、僕ははたと気がついた。僕の部屋は、レポートを書いていた1週間散らかしっぱなしだったんだ。
「わぁ、すごいりゅん」
 僕の後ろからえみるが部屋を覗き込んで、思わず口に手を当てた。僕は振りかえって引きつった笑いを返した。
「あははは」
「そうだ! ダーリン、えみりゅんが片付けてあげるりゅん!」
 そう言うと、えみるは僕の脇をすり抜けて部屋に入った。
「えみる、そんな、悪いよ」
「ダーリンは黙ってみてればいいんだりゅん……、きゃん!」
 振り向いて僕に言いかけたえみるが、積み上げてあった本につまづいて転んだ。その弾みで、そのまわりに積んであった雑誌が一斉に崩れる。
 ドサドサドサッ
「ふみゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
「えみる!!」
 僕は慌てて駆け寄ると、本の中からえみるを救出した。
「大丈夫?」
「ふぇぇぇ。お尻ぶつけちゃったぁ」
 お尻をさすりながら、顔をしかめると、えみるはよりいっそうの惨状をしめしている床を、情けなそうな顔で見まわした。
「ふみゅう。余計に散らかっちゃった……」
「えみるのせいじゃ……」
「ああーっ!」
 ないよ、と言いかけた僕のセリフは、えみるの大声で遮られた。そのまま、床にしゃがむと、えみるは散乱している本の間から、1冊の雑誌を抜き出した。……って、おい、それはっ!
 友達が置いて行った、“悶絶ハードなんとか”っていうエッチな雑誌じゃないかぁ!
「えっ、えみる、それは!!」
 慌てて取り上げようとした僕の手をサッとかわすと、えみるはパラパラッと本をめくった。
 その頬っぺたがかぁっと赤くなる。
「うわぁ……」
 そもそもあの本は、僕がえみると付き合っていることを知っている悪友達が、「あんなお子さま相手じゃ欲求不満だろ?」といらない御節介を焼いて持って来た代物だから、かなりハードコアなやつなんだぞ。
 僕はえみるが硬直している間に、なんとか本を取り返したけど、既に遅きに失していた。
「ダーリン、そういうのがいいんだぁ……」
「いや、それはその、だ……」
「……えみりゅん、その本の人みたいに胸もお尻も大きくないけど……、でもダーリンのためなら脱げるもん!」
「だからね……って、ええっ!?」
 いきなり、着ていたブラウスのボタンに手をかけて、外し始めるえみる。
「ま、待って、えみ……」
 えみるを止めようと、手を伸ばしかけて、止まる僕。
 なぜ、止まったのか、自分でもわからなくて。
 えみるは、ひとつひとつ、ブラウスのボタンをはずすと、そのまま脱いでしまった。もう、えみるの上半身を覆っているのは、白いブラジャー一枚だけだ。
 ゴクリ
 思わず、僕は生唾を飲み込んでいた。
「ダーリン……」
 そのまま、えみるは僕に視線を向けた。
 止めさせなくちゃ。
 そう思いながら、口は勝手に逆の言葉を紡いでいた。
「……続けてよ」
「う、うん」
 こくりと頷くと、えみるはスカートに手をかけて、ホックをはずした。
 ストンとスカートも床に落ちる。
 これで、もうえみるはブラジャーとパンツという下着だけ、最小限の布地しか身につけていない。
 前に水着姿のえみると遊んだことはあったけど、やっぱり水着と下着とじゃぜんぜん違う。
「ダーリン……」
 僕がじっとえみるをみつめていると、えみるは胸を手で隠すようにしてはにかんだ。
「そんなに見つめられると、恥ずかしいりゅん」
「ご、ごめん」
 僕は視線をそらした。
 と、えみるはそのまま僕に抱き着いてきた。
「ダーリン、えみりゅん抱いてほしいんだりゅん」
「抱いて……って……」
 僕の背中に、ブラジャーに包まれたえみるの胸のふくらみが当たっている。
 ドクン、ドクン。
 心臓が破れそうなくらい、高鳴ってる。
 だめだ、これ以上はもう……。
「えみるっ!」
 僕は振り向き様にえみるを抱きしめて、その唇を奪っていた。甘い味がする。
「あん……、ダーリン」
 好きだ、とか、愛してる、とか言えばいいのかもしれなかったけど、僕にもそんな余裕はなかった。ただ、がむしゃらにえみるの小さな身体を抱きしめていた。
「……ぷはぁ」
 唇を離すと、えみるは僕の肩に頭を預けて、小さな声でつぶやいた。
「ダーリン、……外して……」
「う、うん」
 僕は、ぎこちなく頷くと、えみるの背中に手を回して、ブラのホックを外そうとした。何度か失敗した後で、やっとかすかな音がして、ホックが外れる。
「ダーリン、見て欲しいりゅん」
 僕は震えるえみるの声に、抱きしめていた彼女の身体を少し離して、えみるの胸をジッと見た。
 確かに例の本の女の人みたいに大きくはないけど、いや、率直に言えばかなり小さいけど。
 えみるの呼吸に合わせて上下している胸に、僕は真剣に見入っていた。
「ダーリン、そんなに見られるとえみりゅん恥ずかしいりゅん」
 えみるは胸を手で隠していやいやとかぶりを振った。
 僕はそのえみるの手を押さえて、ジッとその瞳を見つめた。
「……」
 真っ赤になりながらも、えみるはおそるおそる手を胸からおろした。
「……奇麗だ」
 僕は思わず呟いた。硬い表情だったえみるの顔が、少しだけほころぶ。
「本当?」
「うん」
「うれしいりゅん!」
 えみるは、また僕に抱き着いてきた。そして、僕らは唇を重ね合った。

 チュン、チュン
 雀の鳴き声で、僕は目を覚ました。
「ん……」
 目をこすって、右のほうを見ると、僕の隣に寝転んだえみるが、頬杖をついて僕をジッと見つめていた。
「おはよ、ダーリン」
「おはよう、えみる。あれ? もう起きてたの?」
「うん。ダーリンの寝顔をずっと見てたんだりゅん」
 そう言って、えみるは笑った。
「ダーリンの寝顔って、とっても可愛かったりゅん」
「それはどうも。ところで……」
 僕は不意に思い出した。
「昨日のあの電話、結局なんだったの?」
「電話?」
「うん、あの『嫌わないで〜!』ってやつ」
「あれ? ううん、もういいんだりゅん」
「もういいのか、なんて通じるかぁ! このぉ、こちょこちょこちょこちょこちょ」
 僕はえみるのわき腹をくすぐった。
「みゃぁ、ダーリン、やだ。きゃははははははははは、わっ、わかったよぉ、きゃははははは」
「よし、しゃべるがいい」
 僕が手を止めると、えみるは甘えるように僕に寄り添って、言った。
「えみりゅんのお友だちがね、言ったの。えみるが恋人らしいことしてあげないと、ダーリンがえみりゅんの事嫌いになっちゃうって」
「恋人らしいことって、要するに昨日の……あれ?」
 僕が聞き返すと、えみるは真っ赤になってコクリと頷いた。
「それで、えみりゅん心配になっちゃって、仙台から出てきちゃったんだりゅん。でも、ダーリンの家の前まで来たんだけど、やっぱりダーリンに逢うのが、怖くなっちゃって」
「で、部屋の前のベランダから電話してきたわけか」
「……もう、ダーリンの意地悪意地悪意地悪ぅ〜!」
 えみるは耳まで赤くなると、僕の身体をぽかぽか叩き始めた。
「いたたた。ごめんごめん」
 僕は謝りながら、えみるの両手の手首を捕まえた。そして、耳元で囁く。
「……ありがと、えみる」
「りゅぅん」
 えみるはくすぐったそうに笑うと、身体を起こした。
「そうだ、ダーリン、コーヒー飲もう、夜明けのコーヒー。えみりゅん、煎れてあげるりゅん」
 その笑顔は、今までのえみるの、屈託ない笑顔とはちょっとだけ違ってるような気がした。

《終わり》

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