可哀想、なんて思っちゃいけないんだ。そう思ったら、僕の負けだ。
《どっとはらい》
そう自分に言い聞かせながら、僕の方から口火を切った。
「利己的だよ、えみる。それは、キミにも判ってるはずさ」
ランチタイムも終わった喫茶店は、閑散としている。僕とえみるの他には、数人しかいない。
僕の正面に座っているえみるの目が、大きく見開かれる。
「最後まで一緒だって、あの時のダーリンは言ってくれたのに……」
「人間なんて、変わっていくもんだよ。……それに……」
「逃がさないりゅん。ダーリンはえみりゅんの大好きなダーリンなんだもの!」
僕の言葉を遮るように、えみるは言った。
僕は肩をすくめると、彼女の頭を人さし指でさした。
「脳味噌入ってる? 前からどうも、どこか抜けてるんじゃないかな、なんて思ってたんだ」
「ダ、ダーリン、ひどい……」
えみるは、口を覆って俯いた。
ダン
僕はテーブルを両手で叩いた。弾みで、ティーカップがガシャンと耳障りな音を立てる。
「いい加減にしてくれよ。いつまで僕を、つまらない遊びに付き合わせるつもりだよ」
「……」
しばらく、沈黙が辺りを包んだ。
えみるが、力なく呟いた。
「用件って……、ダーリンの話って、そのことだったの?」
「ノイローゼになりそうなんだよ。えみると付き合ってると」
僕は腰を下ろした。いまさらながら、周りの視線が気になった。ちらっと見回すと、周りの客や喫茶店のウェイトレス達が、慌てて僕らから目をそらす。
えみるが、泣きそうな声を出す。
「泊まり込みで仙台まで来てくれたりゅん。それは……」
「ははは。そんなこともあったっけねぇ」
我ながら乾いた笑い声だと思った。
「え? それじゃ……」
「邪魔になったんだよ。えみるのことは、もう、過去の話だ」
「ダーリン……そんなのって、そんな言い方って、ないよ……」
両手で顔を覆うと、えみるは机に突っ伏した。
僕は、へんと鼻を鳴らした。
「よくもまぁ、そこまでお芝居できるもんだ。感心するよ、えみるには」
がばっと顔を上げるえみる。思った通り、その目に涙はない。
「鳩は、自分の巣に帰ってくるりゅん。ダーリンも絶対、えみりゅんのところに戻ってくる……」
「流浪の身だよ、僕は。誰の所に戻るなんてあてもないし。もちろん、えみるのところに戻るなんてことも有り得ないよ」
僕はキッパリ言った。この辺りでさっさと決着を付けたいんだけど……。
「予防線なんて張っても無駄だりゅん。ダーリンはえみりゅんの運命の人なんだから」
……ねばるな、こいつ。
僕は内心で焦りを感じていた。こんなはずじゃなかったんだ。こんなはずじゃ……。
やっぱり、えみるは思ったよりもずっとやる。でも、ここで引き下がるわけにもいかない。
ただ、そんな必死さを表に出しちゃいけない。ここはあくまでもクールに……。
「楽観主義なんだな、えみるは。でも、誤解するなよな。僕はえみるの思ってるような人じゃない」
「いやっ! えみりゅんは、ダーリンを信じてる。でも、今のダーリンは、信じられない!」
首を激しく振るえみる。
僕は、そのえみるの肩に手を置いた。
「勢いだけで言っても、説得力なんてないよ。僕はね、もう終わりにしようって言ってるんだ」
「だめ! そんなこと、えみりゅん、許さない!」
えみるは、僕を睨み付けた。
僕は笑った。
「意気地なし。怖いんだろう? ホントの事を認めるのが。だからそんなことを言って、現実を認めようとしないんだ。そういうのって知ってるか? ガキっていうんだぜ」
えみるは怒るかと思いきや、むしろ静かに言い返してきた。
「全然違うよ、ダーリン。全然違う……」
「うるさいな! もう止めてくれよ。えみるがそういう考え方をするのは勝手だけど、僕までそれに巻き込まないでくれ!」
僕は頭を抱えて叫んだ。
そんな僕の叫びに驚くでもなく、えみるは頬杖をついた。
「恋愛って、やっぱりお互いの気持ちが同じでないといけないりゅん。だから、ダーリンとえみりゅんは同じ気持ちなんだ」
「だから……、何度も言ってるだろう。全然違うって」
なんだか徒労感を感じつつ、僕は言った。
やっぱり、彼女相手に普通の手は通じないか……。
「照れちゃってぇ。えへへっ、ダーリンってばウブなんだからぁ」
「あのなぁ、……もういい。好きにしてくれよ」
やっぱり、えみるには勝てないんだろうか?
それもいいかも、と一瞬思って、慌てる。
このまま負けていいのか? いや、ダメだ。
「よぉし。それじゃあそれじゃあ、ダーリンはえみりゅんと、ずっと一緒だよ。ずっとね」
そんな僕の心の内を知ってか知らずか、にっこりと笑うえみる。
「願わくは、そうなりませんように」
思わず右手で十字を切る僕。
「にゃぁ」
いつの間に移動したのか、えみるは僕の左腕を抱きしめてすりすりしてる。僕の言う事なんて聞いちゃいないようだ。
よぉし、こうなったら。
「あ! UFOだ!」
僕はぴっと窓の外を指して叫んだ。
「だ〜め。もうダーリンは離さないも〜ん、だ」
……効き目はなかった。
結局どうにもならないようだ。僕はため息をついた。
「ダメなヤツだな、俺って……」
「徹底的にダメだね、ダーリンって」
おい。
「徹底的って……。そこまで言うか?」
「可愛いからいいの。そういうところも、ね」
にぱぁっと笑う、えみる。
可愛い。
一瞬そう思って、僕は額を押さえた。
「……ネズミ取りにかかったネズミの気分が判ったような気がする……」
「ルールがないのが、恋なんだよ」
そう言うと、えみるは僕の腕を離して、立ち上がった。
僕は、呟いた。
「世迷い言を……」
「おかしいかな?」
聞き返すえみる。
僕は立ち上がった。えみるの瞳を見つめる。
……ここで、勝負をつける!
「何もおかしくないよ。おかしいのは僕の方かも知れない。えみる、やっとわかった。僕は……えみるが大好きなんだ!」
「ダーリン!?」
えみるは、その瞬間真っ赤になった。そして俯く。
「やだぁ、ダーリンったらぁ。でも、えみりゅん嬉しいりゅん!」
「……僕の勝ちだね?」
「え?」
「しりとり勝負。『だーりん』で“ん”だから、えみるの負け」
僕はレシートをえみるに差し出した。
「はい。僕が勝ったから、約束通りここはえみるのおごりね」
えみるはぷぅっと膨れた。
「ダーリン、今の、嘘だったりゅん?」
「え?」
「ダーリンなんて、ダーリンなんて、大っ嫌いだりゅん!」
それから半月の間、僕はえみるに口をきいてもらえなかった。しくしく。