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あずさちゃんとみなちゃんと
夏が過ぎ、木の葉が赤く色づく季節になってきました。
でも、こんな季節でも、頭の中が春って人も、いるんですよね。
「♪フンフン、フフ〜ン、トゥルラララ〜」
クローゼットを開けて、鼻歌混じりに服を出しているのは、日野森あずさちゃん。当年きっての17歳。ピチピチ(死語)の女子高生です。
あずさちゃんは、出した服を胸に当てて、鏡の前でくるっと回ってみてから、顔をしかめます。
「ダメねぇ」
そのまま、その服をポイッとベッドの上に放り投げ、またクローゼットに顔を突っ込みます。
おやおや、ベッドの上にはもう何着も、同じように放り投げられた服があるみたいですねぇ。
「んもう。どうしてこう、ちょうどいい服ってものがないのかしら」
とうとう、クローゼットの服を全部出してしまってから、あずさちゃんはため息をつきました。
え? どうしてこんな事をしてるのか、ですって?
それは……。
「あ〜ん、どうしよう。せっかく明日はデートなのに、これじゃ着ていく服がないじゃないのぉ〜」
……ということのようですね。
あずさちゃん、しばらく頭を抱えていましたが、不意にばっと顔を上げました。
「そうだ! 新しい服を買えばいいのよね!」
おやおや。これは、初めてのデートの前日に女の子がかかる「かならずちょうどいい服がなくて、慌てて買いに行く」病のようですね。
「さぁてっと。そうと決まれば……」
あずさちゃん、お財布をのぞき込んで凍りつきました。
「……ない」
10分後。
「ミーナ! このあずさ、一生のお願い! お金貸して!」
妹の前で土下座するあずさちゃん。姉の威厳もなにもあったもんじゃありません。
あずさちゃんの妹の美奈ちゃん。いつもは聞き分けのいい、某初音ちゃんと並ぶ“理想の妹”なんですけど、今日はちょっと意地悪みたいですね。ほっぺたに指を当てて、わざとらしく考え込みます。
「どうしよっかなぁ〜」
「ミ〜ナ〜」
情けない声を上げるあずさちゃん。不意にはたと手を打ちました。
「そうだ! 前に欲しがってたあたしのブローチ、あげましょうか?」
「美奈ね、イヤリングも欲しいなぁ」
「……」
あずさちゃん、顔が引きつってますね。
15分の交渉の末、やっと美奈ちゃんから諭吉のおじさんを3人ほど借り出したあずさちゃんは、精根尽き果てた、という感じで、よろよろと自室に戻ってきました。
「……ミーナったら、いつの間にあんなにがめつくなったのよぉ〜」
きっと、お姉さんを見て育ったんでしょう。
「あ、こんなことしてる場合じゃなかった!」
不意に時計を見上げて、慌てるあずさちゃん。時計の針は、5時を指しています。早く行かないと、お店が閉まっちゃいますものね。
あずさちゃんは、バタバタと飛びだしていきました。
その音を自分のお部屋で聞きながら、美奈ちゃんは気分良くお勉強していました。
10分後、お姉ちゃんが戻ってくるまでは。
「ああ〜っ!! 財布忘れちゃったぁ〜〜」
ガヅン
「あう……」
「……お姉ちゃん、浮かれすぎ」
三和土から上がろうとして、弁景の泣き所をしたたか打った様子まで目に見えるようで、思わず額を押さえる美奈ちゃんでした。
それから、ちょっと窓の外を見て呟きます。
「それにしても、お姉ちゃん……。デートかぁ……」
美奈ちゃんの多大な財政援助でどうやら服もととのったあずさちゃん。すねの包帯がちょっと間抜けですけど、どうやら準備は出来た様子です。
「あとは、ちゃんと身体も洗わなくちゃね。うふ、うふ、うふふふ」
……まだ準備が残っているようですね。
「夏の研修旅行は未遂に終わっちゃったけど、きっと明日は……。きゃん、どうしようどうしようどうしましょぉぉ」
ベッドに寝転がってじたばたするあずさちゃん。不意にがばっと起きあがりました。
「ダメよ、あたしたちまだ高校生なのよ。あ、でも高校生で体験なんて当たり前っていうし……、それに夏の時は真士くんのことがあったんだけど、今は二人の間には何の障害もないし、くふ、くふふふふふ」
今度は枕を抱えて転がってますね。
その頃、隣の部屋では、美奈ちゃんがお勉強していました。
「ええっと、こっちの数値が……」
どたんばたん
「だから、これが……」
どしぃん
「……」
バキッ
美奈ちゃんのシャープペンシルの芯が折れました。そして、美奈ちゃんは机をバンと叩いて立ち上がります。
とうとう堪忍袋の緒が切れちゃったみたいですね。
そのまま、美奈ちゃんは廊下に出ると、あずさちゃんの部屋のドアをバァンと明け放ちました。
「お姉ちゃん、うるさい!」
「ミーナ?」
枕を抱えたまま、あずさちゃんは美奈ちゃんに視線を向けました。そのまま、にへらぁっと笑います。
「お、お姉ちゃん?」
いつもと違うあずさちゃんに、美奈ちゃんは思わず後ずさりました。
「どうしたのぉ、ミーナってばぁ」
「こ、怖いよぉ〜!!」
そのまま美奈ちゃんは、あずさちゃんの部屋を飛びだしていきました。首を傾げるあずさちゃん。
「ミーナったら、どうしたのかなったらったらったるんるん♪」
そのまま踊り出すあずさちゃん。こりゃ、美奈ちゃんで無くても怖いですね。
「それで、こんな真夜中に来たのね」
それから30分後。
突然のチャイムで起こされた涼子さんは、しゃくりあげる美奈ちゃんを前にしてため息をつきました。それから、ちらっと自分の部屋の中を振り返ります。
「なぁに? 美奈ちゃんなのぉ? いらっはぁい!!」
奥では葵さんが缶ビールを片手に上げて陽気な声を上げています。ちなみに、机の上にはもう半ダースほどの缶ビールの空き缶が並んでいます。
もう一度ため息をつく涼子さん。
「うちがこんなじゃなければ、泊めてあげられるんだけど……。とにかく、お家の方に連絡しないと、きっと心配してるわよ」
「……ううっ」
家と聞いただけで、美奈ちゃんの目に涙が浮かびました。
(そういえば、美奈ちゃんの御両親って……。これはちょっと失敗しちゃったかな?)
涼子さんは慌てて考え込み、そしてポンと手を打ちました。
「美奈ちゃん、今日は縁さんに泊めてもらったら?」
「縁さん、に?」
ひくっとしゃくりあげて、聞き返す美奈ちゃんに、涼子さんはニコッと笑ってうなずきました。
その頃、あずさちゃんは……。
「やだぁ、そんなの、だめよいけないわぁ。もう……、やんやんやん」
まだ転がっていました。
夏休みのバイト組がこのPia☆キャロット社員寮を離れるのと入れ代わりに移ってきた早苗さんは、涼子さんの話を聞くと、快くうなずきました。
「日野森さんさえよければ、私は構いませんよ。お布団も予備のがありますし」
「ごめんなさいね。夜遅くに」
「すみませぇん」
美奈ちゃんもぺこりと頭を下げます。
早苗さんは微笑みました。
「それじゃ、狭いところですけど、どうぞ」
「お邪魔します」
美奈ちゃんは礼儀正しく頭を下げて、早苗さんの部屋に上がりました。
早苗さんは、もの珍しそうに部屋を見回す美奈ちゃんをちらっと見てから、小声で涼子さんに尋ねます。
「それで、日野森さんのお家の方には?」
「私から連絡しておくわ。明日になったら美奈ちゃんも落ちつくと思うから」
「判りました。それじゃ、朝になったらそちらに連れていきます」
「お願いね。それじゃ、おやすみなさい」
涼子さんは早苗さんの部屋のドアを閉めると、自分の部屋に戻っていきました。
「おっかえりぃ!」
それを出迎えた葵さんの陽気な声と、1ダースに増えたビールの空き缶を見て、またため息する涼子さんでした。
「……やれやれ」
しつこいようだけど、その頃、あずさちゃんは……。
「うふ、うふ、うふふふふっ」
……まだあっちの世界に行っているようですね。
「あ、シャワー浴びました?」
バスルームから出てきた美奈ちゃんに、雑誌を読んでいた早苗さんが顔をあげて訊ねました。
「うん……。あの、すみません、ご迷惑をおかけしまして」
美奈ちゃんはシャワーを浴びて、ちょっと落ちついたみたいですね。いつものように礼儀正しく早苗さんに頭を下げました。
お風呂上がりの美奈ちゃん、ぽっとほっぺたをピンク色に染めています。早苗さんから借りたジャージはちょっと大きめみたいですね。
「いいのよ、気にしないでも」
早苗さんは、パタンと雑誌を閉じました。ちなみに、バスケットの雑誌みたいですね。
「それじゃ、もう寝ましょうか?」
「あ、はい」
そう言われてから、美奈ちゃんはもう布団が敷いてあるのに気が付きました。さすが早苗さん、よく気が付きますね。
フッ
3階の早苗さんの部屋の電気が消えました。ちなみに1階の涼子さんの部屋では……。
パリィン
「ばーろー、あんな男なんて、こっちから見限ってやったのよぉ! ねぇ、聞いてるの、りょうこぉ?」
「……」
額を押さえながら、ガラス代は来月のお給料から天引きしてやると心に決める涼子さんでした。
「ちょっと、葵! 今から電話するんですから、静かにしてなさい!」
「はぁ〜い! 葵ちゃん、静かにしてまぁ〜す!!」
左手を挙げる葵さん。ちなみにその右手には、16本目の缶ビールが握られているのでした。ほんとによく飲めますねぇ。
暗い部屋の中。かすかに聞こえてくるのは、遠くの車の音と、1階のドンチャン騒ぎの音だけです。
そんな中、美奈ちゃんは天井を見上げたまま、早苗さんに声をかけました。
「……あの、早苗さん……。……もう寝ましたか?」
「まだ、起きてますよ」
まるで待っていたように、すぐに返事が戻ってきました。
「……聞かないんですか?」
「……そうね……」
早苗さんは、少し間をおいて、言葉を継ぎました。
「話したくないなら聞かないけど……。でも、聞いて欲しいんでしょう? だから、ここに来た。……でしょう?」
「……お見通しなんですね、早苗さん」
「お皿ばっかり洗ってるとね、色々と考えられるようになるのよ」
本気なのか冗談なのか、よく判らない口調で言う早苗さんでした。
「あの……、実は、お姉ちゃんが……」
その頃、あずさちゃんは。
「はい、あずさです。あ、涼子さん? え? ミーナが? あ、はい。判りました。はい、お休みなさい」
カチャ
電話を切ると、あずさちゃんは考え込みました。
「ミーナったら、何時の間に寮に行ったのかしら。全然気が付かなかったわ」
お間抜けさんですね。
「そうだったの」
話を聴き終わってから、早苗さんは相づちを打ちました。
美奈ちゃんは、壁の方に視線を向けると、呟きました。
「なんだか、馬鹿みたいですね、美奈って」
「美奈ちゃん、どうして家を飛びだしちゃったと思う?」
「え?」
「あずささんがちょっとおかしくなったとしても、だからって何も飛びだすことない。冷静になるとそう思うんでしょう?」
「……うん」
「でも、実際には飛びだして来ちゃった。これはね、美奈ちゃんの無意識に、もう一つの感情、思いがあったからじゃないのかな?」
「無意識の思い?」
「ええ。多分、だけどね」
早苗さんは、言葉を切りました。ちょっと間をおいてから、美奈ちゃんの方に顔を向けます。
「お姉ちゃんを取られたくないっていう思いが、あったからじゃないかな?」
「お姉ちゃんを、取られたくない……?」
さて、その頃あずさちゃんは……。
「そんなこと言われたってぇ。あ〜ん、どうしようどうしよう?」
枕を抱きしめてベッドの上を転がっています。
もう、いいかげんにしなさい。
「だから、家を飛びだして、あずささんの気を引こうとしたんじゃないのかな? ちょうど、妹や弟が出来た子供が、いろんな方法で親の気を引こうとするみたいに」
「それって、美奈が子供っぽいってことですか?」
半分拗ねたような口調に、早苗さんは苦笑しました。
「気を悪くしちゃった? でも、私から見るとそう思えるの」
「……」
「ごめんね。おやすみなさい」
そう言うと、早苗さんは毛布を被りました。
「……おやすみなさい」
美奈ちゃんはそう言うと、カーテンのすき間から時折流れる車のライトの光りを見つめました。
1階から聞こえる騒ぎ声が続く中、いつしか美奈ちゃんは夢の中へと誘われていくのでした……。
さてその頃……。
もう面倒なのでやめましょう(笑)
翌日。
中野駅(仮称)前で、あずさちゃんはおのぼりさんよろしくきょろきょろしてます。
どうやら、待ち合わせ場所に、ちょっと早めに来ちゃったみたいですね。
あずさちゃん、駅前のロータリーにかかってる大きな時計を見上げて、呟きました。
「やっぱり1時間前は、早すぎたかなぁ」
……大分早めに来ちゃったみたいですね。
と。
「あら、あずさちゃんじゃない。おひさしぶりぃ」
「あ、葵さん。こんにちわ」
皆瀬葵さん、登場です。どうやら昨日の影響はないみたいですね。
おや? 今日はよそ行きの格好してますね。どこかにお出掛けでしょうか?
葵さんは、あずさちゃんの格好をじぃっと上から下まで見て、ははぁんとうなずきました。
ぎくりとするあずさちゃん。
「な、なんですか?」
「まぁまぁ、皆まで言うな。うんうん、お姉さんは嬉しいよ」
葵さんはにまにま笑いながら、あずさちゃんの肩をばんばんと叩きました。それから、その耳に口を近づけて、何ごとか囁きました。
おや? あずさちゃんのお顔がかぁっと真っ赤になりましたね。
「あ、あ、葵さんっ!!」
「あらぁ? どうしちゃったのかなぁ、あずさちゃん」
「しっ、知りませんっ!」
あずさちゃん、真っ赤になったまま、ぷいっと横を向きました。
葵さんはそんなあずさちゃんを面白そうに見ていましたが、不意に時計を見上げて慌てます。
「きゃぁ、もうこんな時間? ごめん、あずさちゃん。あたし涼子と待ち合わせしてるんだ。もう行かなくちゃ。んじゃね〜。前田(仮)くんによろしくねぇ〜」
そう言い残して、ばたばたと駆け去っていく葵さん。その姿が中野駅(仮称)の北口の改札から中に消えていくのをみて、ほうっと大きなため息をつくあずさちゃんでした。
「葵さんったら、もう。すぐにからかうんだからぁ」
まだ耳が真っ赤なあずさちゃんでした。
「あれぇ? あずさちゃんじゃない」
「え?」
また手持ちぶさたに立っていたあずさちゃんに話しかけてきたのは、つかさちゃんでした。さすがに人目の多い駅前では、コスプレはしてないようですね。
「あ、つかさちゃん。久しぶり、元気だった?」
「うん。ボクはいつでも元気元気。あ、これ見てくれる? かっこいいでしょ?」
つかさちゃんは着ている服を広げて見せて、その場でくるっと回りました。
「うん、似合ってると思うわ」
「あは、ありがと。んじゃ冬コミはこれで決まりだね」
「……つかさちゃん、それもコスプレだったの?」
「うん。これでね、こうやって叫ぶんだよ。ふぁいなるふゅーじょん、ぷろぐらむどら〜いぶっ!! ってね」
つかさちゃんは、何かを叩くような仕草をしながら大声で叫びました。もちろん、周りの人の注目の的です。
「つ、つかさちゃん、ちょっと!」
慌ててそのジャケットの裾を引っ張るあずさちゃん。
「ん? どうしたの?」
「どうしたのじゃないでしょ!」
周りを気にしながら小声で叫ぶあずさちゃん。
と、つかさちゃんは頭をポリポリと掻きました。
「そっか。さすがあずさちゃん」
「わかってくれた?」
「うん。こうだったよ」
そう言うと、つかさちゃんはベストの内側からカードを出して、ぶんと振り回しました。。
「ごるでぃおんはんまー ぷろぐらむ、どらぁ〜いぶっ!!」
もちろん、あずさちゃんは他人のふりをしながら、こそこそっとその場を逃げ出したのでした。
「んもう、つかさちゃんったら」
考えてみると、その場から逃げるわけにもいかないあずさちゃん。ころ合いを見計らって戻ってきました。
どうやらつかさちゃんはどこかに行ってしまったようですね。
ほっとしながらも、ちょっと悪いことしたな、と思うあずさちゃんでした。
時計を見上げると、もうすぐ待ち合わせの時間です。
知らず知らずのうちに、だんだんうきうきしてくるあずさちゃん。壁にもたれかかって鼻歌を歌っていますね。
「♪るん、るん、るんる〜ん」
「あ、日野森!」
その声に、あずさちゃんの顔がぱっと明るくなりました。そちらに顔を向けて手を振ります。
「こっちよぉ!」
「お姉ちゃん、いい顔してる」
ちょっと離れたところにある喫茶店。そのウィンドウ越しにあずさちゃんの笑顔を見て、美奈ちゃんは呟きました。
「そうですね」
その美奈ちゃんの前に座った早苗さんは、ちょっと複雑な顔をしている美奈ちゃんをみて、心の中で呟くのでした。
(お姉さん離れ、しなくちゃね。美奈ちゃんも)
「さて、と」
美奈ちゃんは早苗さんに向き直ると、小首を傾げて訊ねました。
「あの、レモンスカッシュ、頼んでいいですか?」
「え? いいけど、どうするの?」
そう訊ねる早苗さんに、美奈ちゃんはぺろっと舌を出して答えました。
「乾杯したいんです。お姉ちゃんに」
その表情に、早苗さんは微笑するのでした。
to be countinued
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