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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #20
雪のように白く その 9

 24日。
 クリスマスイブ、そして終業式の日。
 ドアを開けると、とてもいい天気だった。
 雨も雪も降りそうにないほどの。
 でも、私の心の中は……。

「……すみません」
「いいのよ。こんな日に大変ね。ゆっくり休んで行きなさいね」
 そう言って、先生は立ち上がった。
「深山さん、一人で大丈夫?」
「はい。別に容態が急変したりするようなものでもないですから」
「そうね。それじゃ、私は終業式に出ないといけないから。ごゆっくり」
 そう言い残して、先生は保健室を出ていった。
 私は、ため息をついて、ベッドに横になると、毛布を頭まで被った。
 今日が終業式というのは幸いだった。授業もなく、午前中で学校は終わりだ。
 先生に生理痛と嘘を付いて、私は保健室で寝ていることにした。
 少なくとも、ここにいればみさきと逢うこともないから。
 ……。
 飾りのない天井を見上げ、ため息をつく。
 逃げてどうしようというのだろう。
 これから卒業まで、ずっと逃げ続けるわけにもいかないのに。
 それでも、今はみさきと顔を合わせたくなかった。
 今日逢わなければ冬休みになる。そうなれば、こちらから逢いに行かない限り、みさきと逢うことはない。みさきは、ここと家以外の場所にはいられないから。
 それだけ間をおけば、私の心の中もなんとか整理を付けられるかも知れなかった。
 問題を先送りにしているに過ぎない。
 私の心の中で、理性はそう言うのだけれど、感情はどうしてもみさきと逢うことを拒否していた。
 やがて、チャイムが鳴る。
 時計を見る。
 ああ、そろそろ終業式が始まってるな。
 みさき、ちゃんと体育館に行けたのかな?
 他の人に迷惑かけてないよね?
 ……莫迦だな、私は。
 もう、みさきには私は必要ないっていうのに。
 私はまだ、みさきを必要としている。

 ガラッ
 不意に、保健室のドアが開いた。
 私の寝ているベッドからは、衝立とカーテンに遮られてそちらは見えない。
 でも、誰が来たのかはすぐに判った。
「雪ちゃん、いるんだよね?」
 ……みさき!?
 どうして、ここに!?
 私は毛布をはねのけて、体を起こした。
 その音で気がついたのか、みさきがこっちに近づいてくる足音が聞こえる。
 どうしよう。
 頭の中が真っ白になって、なにも出来ない。
 シャッ
 カーテンが引かれて、みさきが顔を出した。
「雪ちゃん?」
「……」
 私が答えずに……、答えられずにいると、みさきはきょろきょろと辺りを見回して、もう一度訊ねた。
「雪ちゃん……だよね?」
「……みさき」
 ようやく、私は声を出すことができた。喉に引っかかったような声だったけど、それでも不安げだったみさきの表情が、ぱっと明るくなる。
「やっぱりいたんだね、雪ちゃん……」
 そう言って、私の方に歩み寄ろうとしたみさきは、ベッドの縁に足をぶつけた。
 ガツッ
「あっ……」
 そのまま私の方に倒れ込んできたみさきを、私は反射的に抱き留めていた。
 ふわりと舞い上がった黒髪が、私の頬を撫でる。
「あはは、つまずいちゃった。……いたた」
 笑ってから、顔をしかめるみさきに、私は思わず声をかけていた。
「大丈夫?」
「あは、平気平気」
「いいから、見せてみなさい」
 私は、みさきをベッドに座らせると、その足下に屈み込んだ。
「右? 左?」
「右だよ」
 右足をぶらぶらさせるみさき。私はスカートを膝までまくって、ソックスを引っ張り降ろした。
「きゃぁ、雪ちゃんえっち」
「黙ってなさい、もう」
 ちょうど弁慶の泣き所が、赤くなっていた。傷もないようだし、痣にもなってない。本当にぶつけただけみたいね。
「うん、ぶつけただけ、みたいね」
「だから、平気だってば」
 そう言うと、みさきは私に顔を向けた。
「雪ちゃんこそ、大丈夫? 先生が、お腹が痛いみたいだって言ってたけど」
 胸の鼓動が一つ跳ねる。
「わ、私は大丈夫よ。その、月のあれだから。みさきこそっ! 今は終業式じゃないの?」
「うん、そうだよ」
 平然としてる。その様子に呆れた私に、みさきは笑顔で答えた。
「大丈夫。私も月のあれだから」
「嘘ばっかり。あなたは先週だったでしょ?」
「ううっ、どうして雪ちゃんが知ってるんだよ〜」
 赤くなるみさき。
 私は立ち上がりながら、肩をすくめた。
「さぁね」
 私たちは、顔を見合わせて、どちらからともなく笑い出した。
 笑いながら、私は胸の中につかえていたものが、溶けて流れていくのを感じていた。

「……ごめんなさいね」
 みさきと2人、ベッドに並んで座ってから、私は最初に謝った。
 みさきは私に顔を向ける。
「なに? もしかして、この間から私に部活でただ働きさせてること?」
「違うわよ。あれはあなたがお昼代を払えないからって……。そうじゃなくて」
 私はため息をついた。
「昨日のことよ」
「昨日?」
 小首を傾げるみさき。……もしかして、忘れてるんじゃ……? ま、まさかね……。
「あの、私が昨日急に帰っちゃったことなんだけど……」
「ああ、別にいいんだよ。雪ちゃん、お腹痛かったんだよね?」
「……はい?」
 みさきとは長い付き合いのある私でさえ、一瞬絶句していた。
 みさきは平然と話を続ける。
「今日先生から雪ちゃんが保健室に行ってるって聞いたから、やっと判ったんだよ。でも雪ちゃんもひどいよ〜。そうならそうって言ってくれればよかったのに」
「ちょ、ちょっと、みさき……」
「うん? どうしたの?」
 屈託のない笑顔を私に向けるみさき。
「あの、昨日のことなんだけど……、私が言ったこと、憶えてる?」
「えっと……」
 みさきは宙を睨むようにして、頬に指を当てて考え込んだ。それからぽんと両手を合わせる。
「ああ、思い出したよ。確か、浩平くんと澪ちゃんが商店街にいたって話を雪ちゃんがして、それから雪ちゃんがずっとそばにいるからとか言うから、私がダメだよって言ったら、そのまま雪ちゃん帰っちゃったんだよね」
 ……まぁ、大体は合ってるわよね。
「でも、お腹が痛いんだったら、今度からはちゃんと教えてね。うちにだって薬くらいはあるんだから」
 そう言って笑うみさき。
 それじゃ、みさきは、私が急に帰ったのは生理痛で我慢できなくなったからって思ってるの?
 ……これじゃ、一人で悩んでた私って、本当に莫迦みたいだ。
 昔っから、そうだったよね。
 私が周りでいくら気を揉んでも、心配しても、みさきはみさきで、あくまでもマイペースで。
 そう、前からずっと、変わってない、それが私たちの関係。
「……雪ちゃん?」
 黙りこくってしまった私の方に向き直るみさき。
「どうしたの? お腹痛くなったの?」
「ううん、違うわよ」
 ……でも、確かめておかなくちゃいけない。
 私は居住まいを正した。
「みさき。もう一度ちゃんと聞いておきたいんだけど……」
「えっ? あ、うん」
 私の口調に、みさきも真面目な顔になる。
 私は、深呼吸をしてから訊ねた。
「私のこと、迷惑だと思ってる?」
「そんなことないよ」
 みさきは即答してくれた。
「それに、それは逆だよ。私、いつも雪ちゃんに迷惑かけちゃってるから……」
「ううん」
 私は首を振って、みさきを抱きしめた。
「わっ、ゆ、雪ちゃん?」
「……ありがと」
 私は目を閉じた。頬を熱いものが流れるのがわかったけど、そのままみさきを抱きしめていた。
「……雪ちゃんこそ、いつもありがとう。でも……」
 みさきは、呟いた。
「私、いつまでも雪ちゃんに頼ってちゃ、ダメだよね」
「……」
 そんなことない。いつまでも頼ってくれて欲しいの。
 それが儚い望みだって、自分でも判ってるけれど。

 みさきは、強くなろうとしてる。

 それを邪魔しちゃいけないんだって、判ってるけれど。
 判ってるけれど。
 ううん。
 判ってるなら。

 私は、みさきを抱いていた手を、弛めた。それから、みさきの身体を押して私から引き離す。
「雪ちゃん?」
「なんでも、ないわよ」
 努めて普通に聞こえるように、私はそう言うと、ベッドから立ち上がった。
「そろそろ終業式も終わる頃でしょ。教室に戻りましょうか」
「雪ちゃんは大丈夫なの?」
「……ええ」
 私はハンカチで顔を拭ってから、答えた。
「通信簿ももらわないといけないしね」
「うっ……」
 立ち上がりかけていたみさきが、表情を曇らせて腰を下ろす。
「私、お腹痛いからもう少し休んでいくよ」
「仮病使うんじゃないわよ。ま、いいけど。それじゃ通信簿は私が受け取って、直接おばさんに渡しておきます」
「ひどいよ〜。雪ちゃんとっても意地悪だよ〜」
 拗ねてそっぽを向くみさき。
 私は、その頭をぽんぽんと叩いた。
「はいはい。それが嫌なら一緒に行きましょうね」
「……はぁい」
 しぶしぶ立ち上がるみさき。
 私は、その背中をぽんと押した。
「さ、行きましょう」

 悲喜こもごもの声が上がった、今年最後のホームルームが終わると、教室は今日の予定を話し合う生徒達の喧噪でひっくり返ったような騒ぎになった。
 そう、今日はクリスマスイブだから。
 私は、みさきの席に歩み寄って声を掛けた。
「みさき、帰りましょうか?」
「あ、雪ちゃん? うーっ、あんまり帰りたくないよ」
 みさきは、ためつすがめつしていた通信簿を閉じて、頬を膨らませていた。
「そんなに悪かったの?」
「……ちょっとだけだよ」
 一瞬間を置いて答えるみさき。
「ちょっとなら、いいじゃない。ほら、帰るわよ」
「雪ちゃん、部活じゃないの?」
「あるけど、その前にみさきを家まで送ってあげるから」
「わ、私そういえば図書室に行こうと思ってたんだよ」
 そう言っていきなり立ち上がるみさき。とっさに避けなかったら、お互いに頭ぶつけてたわ。
 あ、図書室っていえば。
「みさき、図書室に行くのはいいけど、返す本はちゃんと持ってきたの?」
「……忘れてたよ」
 私はため息をついた。
「しょうがないわねぇ。じゃ、家まで取りに行きましょうか」
「雪ちゃん、私になにか恨みでもあるの〜?」
「そりゃぁもう、色々とね」
「ううーっ」
 色々と思い当たる節があるらしく、みさきはそれ以上反論はしなかった。

 そんなこんなでみさきを家まで送ってから、私は学校に引き返した。
 靴を履き替え、直接演劇部の部室に向かって廊下を歩いていると、不意に後ろから制服をくいっと引っ張られた。
「あら?」
 振り返ると、上月さんが笑顔で立っていた。ぺこりと頭を下げる。
『こんにちわなの』
「こんにちわ。あなたも今から?」
 こくこく、と頷く。それから、スケッチブックをめくる。
『いっしょなの』
「あら? もしかしてもう聞いたの?」
 こくこくこく、と嬉しそうに頷く上月さん。私は苦笑した。
 しょうがないわねぇ、折原くんも。昨日は口止めしてたくせに。
 あのねあのね、と上月さんは、サインペンを走らせて、私に見せた。
『きょうからがんばるの』
「そうね。それじゃ行きましょうか」
 うんっ、と大きく頷いて、上月さんは私に並んで歩き出した。

 部室にはいると、もう他のみんなは集合していた。
 折原くんは……と捜す前に、上月さんがとててっと駆け出すと、部室の後ろに手持ちぶさたに立っていた折原くんにぴたっとくっついていた。
 スケッチブックを広げてみせる上月さんの頭を撫でる折原くん。
 なんていうか、微笑ましい光景だった。
 手を叩いて声をかける。
「はい、注目!」
 雑談していたみんなが、私に気付いて静かになる。
 私は、折原くんに手招きして前に引っ張り出すと、みんなに向かって言った。
「今日が今年最後の部活になるんだけど、最初にみんなに紹介しておきましょう。新しく演劇部に入ってくれた、折原浩平くんです」

To be continued...

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あとがき
 感想を書いてもらえないっていうことは、それだけ作品の出来が悪いんだと思います。
 感想を書こうっていう気を起こさせるだけの力が、作品にないっていうことでしょうから。
 そういう意味で残念です。
 ……これで答えになるでしょうか?

 雪のように白く その9 2000/3/3 Up

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