「起きてよ、浩平っ」
Merry Christmas!!
ぐらぐらと揺さぶられて、俺は微睡みの中から引きずり上げられた。
「ほらぁ、早く起きないと遅刻しちゃうよ」
「さて、寝るか」
「寝るなぁっ!」
がばぁっと毛布がはがされた。さすがに寒くて目が自然に開く。
「よう、七瀬」
「よう、じゃないわよっ。何時だと思ってんのよ」
七瀬が腰に手を当てて雄々しく立ちはだかっていた。
ばきぃっ
「……なぜいきなり殴られないといけないんだ?」
「今思いっきり失礼なこと考えてたでしょ」
「そ、そんなことはないぞっ」
「ま、いいわ。今日は気分もいいから許したげる」
にこにこしながら言う七瀬。
変だ。
いつもならこの後顔の形が変わるまで殴られるって言うのに。
「……七瀬」
「なに?」
俺は無言で七瀬のほっぺたを両手で掴むと、左右に引っ張ってみた。
「いひゃいいひゃい! ひゃひひゅふほほうっ!」
お、意外と伸びる。
調子に乗ってさらに引っ張って……。
がすっ
「ぐはぁっ」
七瀬の膝蹴りが鳩尾に炸裂していた。
ベッドの上でもんどり打つ俺をよそに、七瀬は自分のほっぺたを押さえていた。
「いったぁい。ったく、何するのよっ! このアホっ」
「いや、あんまり七瀬がいつもと違うから……」
鳩尾を押さえながら言うと、七瀬は肩をすくめた。
「今日はいつもより5割り増し乙女なのよ」
「……七瀬、風邪でもこじらせて肺炎を併発したのか? それとも脳梅毒とか……」
「なんでそんなマイナーな病気にかからないといけないのよっ」
「それじゃどうしたんだ?」
「今日は何の日でしょう?」
ぴっとカレンダーに指を突きつける七瀬。
12月24日。
俺はぽんと手を打った。
「そっか」
「そうそう」
笑顔で頷く七瀬。
俺は言った。
「それじゃ、キムチラーメン大盛り食いに行こうぜ」
「はぁぁっ」
思いっきりため息をつく長森。
「それじゃ七瀬さんじゃなくても怒るよ〜」
「そうかな?」
「そうだよ」
断定すると、長森はミルクセーキに刺さっているストローに口を付けた。
「七瀬さん、きっと今日のこと楽しみにしてたんだよ」
「ん〜」
大学のカフェテラスで、俺は今朝のことを長森に話していた。いや、話すつもりはなかったのだが、あっさりと長森に俺と七瀬の間に何かあったことを看破されてしまっては仕方ない。幼なじみ恐るべし。
「七瀬さんはわたしじゃないんだから……」
「そりゃ七瀬と長森は別人だろ?」
「そうじゃなくて。わたしなら冗談って笑って済ませられるけど、七瀬さんじゃそうはいかない場合だってあるんだよ。その、こ、恋人なんだから」
何故か赤くなってどもる長森。
俺は腕組みした。
「で、どうすればいいと思う?」
「すぐに謝らないと。七瀬さんは?」
「いや、あれから家を飛び出して行ったきりだ」
「……はぁぁぁ」
また、さらに盛大なため息をつかれてしまった。
「すぐに捜して謝らないと駄目だよ」
「ねぇねぇ、何の話してるの?」
いきなり声を掛けられて振り返ると、柚木だった。
「柚木には関係のない話だ」
「うう〜、いけず。柚木さん泣いちゃう」
身体をくねらせてそう言ってから、ふと頬に指を当てる柚木。
「泣くって言えば、七瀬さんとなにかあったの?」
「……どうしてそういう連想をするんだ、お前は?」
「ついさっきすれ違ったんだけど、なんか目が真っ赤だったから。折原くん、七瀬さん泣かせたら駄目だぞ」
悪戯っぽく笑う柚木。俺はその腕を掴んだ。
「柚木、どこで七瀬と逢ったんだ?」
「ちょ、ちょっと痛いって」
「あ、悪い」
気付いて手を離すと、柚木はわざとらしく掴んでいた所をさすりながら顔を顰めた。
「おー痛い。なるほど、これが折原くんの愛のパワーなのね」
「ゆ〜ず〜き〜」
「わ、わかったから迫ってくるんじゃないわよ。七瀬さんと逢ったのは商店街よ」
「商店街だな。わかった」
そのまま駆け出そうとした俺に、長森が声を掛けた。
「浩平、七瀬さんと仲直りしたら、ちゃんと一緒に家に帰ってくるんだよ」
「? ああ、わかった」
変なことを言う、とは思ったが、七瀬の事の方が気になったので、俺は軽く手を振って、そのままカフェテラスを飛び出していった。
商店街の入り口まで来たところで、はたと立ち止まった。
「しまった……。これじゃ七瀬がどこにいるか判らないじゃないか」
クリスマスイブ、さらに日曜日ということもあってか、商店街は人混みでごった返していた。
七瀬の性格からして、素直に家に帰ってるとも思えない。きっとこの人混みの中で、俺が見つけるのを待ってるんだろう。
仕方ない。店を一軒一軒虱潰しにあたっていくか。
俺は人の流れに逆らうように歩き出した。
いつしか、日は西に傾き、辺りはオレンジ色の光に染められていた。
まだ、七瀬は見つからない。
どこに行ったんだろう? 商店街を端から端までもう3往復はしたのに。
ちなみに、腕に抱えているのは、前に七瀬と一緒に行った元めしやのお婆さんからもらった芋の煮っ転がしである。まさかと思って訊ねて行ったら、七瀬はいなかったが、お婆さんは俺と七瀬のことを覚えていて、「あの娘さんに食べさせておやり」と、芋の煮っ転がしをタッパーに詰めてくれたのだ。
よほど七瀬の事が気に入ったんだな、あの婆さんは。
前に行ったのは、確かまだ七瀬とちゃんと付き合うようになる前だから、もう2年近く前のことだっていうのに。
あの頃はまだ、七瀬が俺のことを好きだ、なんて俺は気付いて無くて、おかげで七瀬にしてみれば随分ととんちんかんなことをやらかしてたもんだな。
その極致があのクリスマスの……。
そこで、俺は空を仰いだ。
既にオレンジ色から深い藍色に変わりつつある空。
「……そっか」
間違いない。あいつは、あそこにいる。
俺は駆け出した。
タッタッタッ
石段を駆け上がると、白い息を吐きながら膝に手をついて辺りを見回す。
ここに来るまでに、既に夜の帷が降りていた。街灯が白い光を投げかけている。
その街灯にもたれるようにして、七瀬がいた。
「……七瀬」
ようやく息を整えて声を掛けると、七瀬はこっちを見た。
「……遅い」
「悪い」
「……でも、来てくれたんだ」
「まぁな」
そう言いながら、歩み寄ると、七瀬の手を取って膝を付いた。
「お待たせしました、お姫さま」
「……ばか」
七瀬の手は、冷たかった。それが、こいつがここで待っていた時間を思わせる。
俺は、そのまま七瀬を抱き寄せた。
「わっ」
「……冷たいな」
「だっ、誰のせいだって……」
「俺が暖めてやろう」
そのまま、コートの内側に抱き入れる。
七瀬はその姿勢から振り仰ぐと、俺の顔を見て微笑んだ。
「あは、あったかいね」
「俺は寒いけどな」
がすっ
無言で肘打ちを腹に決めると、七瀬は俺に訊ねた。
「それで、これからどうする? 今年もキムチラーメン食べに行くの?」
「そうだな……」
そう言ってから、俺は前言撤回した。
「いや、やめとこう」
「えっ? どうして?」
「実は、財布がないことに今気付いた」
「ええっ? もしかして落としたの?」
「いや、今日財布を使った覚えがない。どうやら家に置いてきたらしい」
「もしかして、何も食べてないの?」
「ずっと商店街を走り回ってたからな」
「もしかして、あたしを捜して?」
嬉しそうに訊ねる七瀬。
その通りなんだが、正直にそう答えるのも何となくしゃくだったので、ほっぺたを摘んで引っ張ってみた。
「ひゃぁ、ひゃひふんほほぉっ」
「というわけで、俺の家に来ないか? とりあえず買い置きのラーメンくらいはあるぞ」
「……はぁ。何が悲しくてクリスマスに買い置きのラーメンすすらないといけないのよ」
「じゃあ、どうする?」
「……いいわよ。とりあえず浩平の家に行きましょ。後のことはそれから考えればいいのよ」
うむ、一理ある。さすが七瀬らしい。
「よし、それじゃ行くぞっ」
俺は歩き出そうとした。
「……七瀬、歩きにくいぞ」
「いいじゃないの」
コートの内側に七瀬がくるまったままなので、見事に二人羽織状態だった。
「出たら寒いんだもの。……あ」
不意に空を見上げて、七瀬が声を上げた。そして手のひらを差し出す。
「……雪だぁ」
七瀬の手のひらに、白い結晶が落ちて消えた。
「道理で冷えるわけだな。行くぞ七瀬」
「わっ、ちょっと待ちなさいよっ」
俺達は歩き出した。
そんなわけで、じたばたしながら家の前までやってきた。
あれ? 灯りがついてる。
由起子さんが帰ってきたのか、とも思ったが、よく考えると七瀬の後を追いかけて家を飛び出したときに、電気を消した覚えがなかった。
「あら、誰かいるの?」
七瀬も灯りに気付いて顔を上げた。その頭の上に、雪が乗っている。
雪は本降りになりかけていた。
「いや、単に俺が出てくるときに消し忘れてただけだろ」
「あ、そうなんだ」
頷くと、七瀬は俺の身体に自分の身体を押しつけた。そして、白い雪が舞い散るのを、じっと見上げる。
「ホワイトクリスマスだね」
「……」
ロマンチックにやりたいんだろうな、こいつは。
なら、王子さまとしては、それに答えてやらないといけないか。
俺は、七瀬の身体を抱き上げた。
「きゃっ! な、なにっ!?」
「行くぞ」
そう言って、俺は七瀬を抱き上げたまま、ドアを開けて中に入った。
「わっ、浩平っ、ちょっと! これじゃまるで……」
言いかけて、七瀬はかぁっと赤くなると、俺の胸に顔を埋めた。
「……ありがと」
「なに。ところで靴は自分で脱いでくれ」
「あ、うん」
七瀬が靴を脱いで、三和土に落とすと、俺もスニーカーを脱ぎ散らして上がった。そして真っ直ぐリビングに入る。
パンパンッ
「メリー・クリスマス!」
俺達を出迎えたのは、クラッカーの爆ぜる音と、飛び散る紙テープと、陽気な声だった。
一拍置いて我に返ると、俺はリビングをぐるっと見回した。それから、つとめて冷静に訊ねる。
「で、これはお前が仕組んだのか、柚木?」
リビングのテーブルには、大きなクリスマスケーキが鎮座しており、壁際にはご丁寧に小さなクリスマスツリーまで置いてある。
クラッカーの残骸を手にして、柚木は笑顔で答えた。
「あたしと長森さんの発案よ。でも、まさか七瀬さんを抱いて登場とは、やるわね折原くんも」
そう言われて、俺はまだ七瀬を抱きかかえていたことに気付いた。慌てて下ろす。
七瀬はというと、まだ唖然としてる様子だった。
「……浩平、何がどうなってるの?」
「心配するな、七瀬。俺にもさっぱりわかってないから」
と、キッチンから料理の乗ったお盆を手に茜が入ってきた。俺を見て頭を下げる。
「お久しぶりです、浩平」
「おう、茜も来てたのか」
「詩子に誘われたものですから。お邪魔してます」
ぺこりと頭を下げると、お盆をテーブルに載せる。
その後ろから長森が、手にジュースのペットボトルを持って入ってきた。
「あ、お帰り浩平。七瀬さんと仲直り出来たみたいだね」
「ああ、まぁな」
「それじゃ、始めよっか。クリスマスパーティー」
笑顔で言う長森。
「いいパーティーだったね」
長森達が帰っていった後、七瀬はキッチンで食器を洗いながら俺に声をかけた。
「まぁな。しかし、ちゃんと片付けて行けっての」
俺はリビングにちらかったゴミを袋に放り込みながら言った。
「まぁまぁ。あたし達も結構楽しんだんだし、それに……えっと、ほら、みんな早めに帰って二人きりにしてくれたし……」
最後の皿を洗い終わって、蛇口を締めると、タオルで手を拭きながら振り返る七瀬。
「だから、ここからはあたし達だけよね」
「そうだな」
俺はゴミ袋をキッチンの隅に置くと、手を広げた。
「七瀬、おいで」
「うん」
ちょっと恥ずかしげに頷くと、七瀬は俺の腕の中にやって来た。
家の外では雪が降り続いていたけれど、俺の腕の中に納まった七瀬は、今はとってもあったかかった。
あとがき
Warmer 00/12/1 Up