カシャッ
To be continued...
いつものようにカーテンの引かれる音と、そして目の奥を貫く陽光。
「浩平っ、起きてよっ!」
揺さぶられて、俺は薄く目を開けた。
「起きてってば! 早く起きないと遅刻しちゃうよっ!」
そう言いながら俺をぐらぐらと揺さぶっているのは、見知らぬ美少女だった。
「どへぇーっ! どうして身も知らぬ美少女が俺のベッドに脇に立っているんだぁっ!?」
「えっ、美少女? やだぁ、浩平ったらぁ」
かぁっと赤くなって照れている見知らぬ美少女は、次の瞬間いきなり大口を開けてわめいた。
「って、馬鹿なこと言ってるんじゃないぃっ!」
「わぁっ、びっくりした!」
「……はぁ、馬鹿なこと言ってないで起きなさいよっ!」
ガバァッ
毛布を引っ剥がされて、俺は丸くなって抗議する。
「寒いぞ、七瀬」
見知らぬ美少女こと七瀬は、あきれたように怒鳴る。
「当たり前よっ! 寒くなかったら意味がないわよっ!」
「いや、わからんぞ。添い寝して暖めてくれるとばっちり目が覚めるかもしれん」
「あ、あほっ!」
また赤くなると、俺の制服と鞄を押しつける七瀬。
「ほらっ、さっさと着替えてよねっ! 下で待ってるから」
「わかった。お休み七瀬」
「うんっ、お休み……って違うでしょうがぁっ!」
ドガァッ
タッタッタッタッ
通学路を七瀬と並んでひた走る。
「急ぐぞ七瀬っ! このままじゃ間に合わないっ!」
「間に合わないのは誰のせいよっ! まったく、玄関先で待ってろっていうから待ってたら、いつまでたっても出てこないんだから」
「いや、急に今朝の株式市場が気になってな。テレビのニュースでやらないかと思って待ってたんだ」
「で、株式はやってたの?」
「それが、いつまでたってもやってくれなかったんだ」
「……新聞は見たの?」
「おお、その手があったか」
「……ねぇ、あたしたち、何で走っているんだろうね」
ため息をつく七瀬。
「しょうがない。裏山越えするか?」
「あっちのルートはろくな思い出がないんだけど……」
七瀬はそう言いながらも、腕時計を見てあきらめたように頷いた。
「きゃぁっ! 髪の毛が引っかかったぁ! きゃぁきゃぁ、ネズミの死骸踏んだぁっ!」
「相変わらず大喜びだな、七瀬」
「違うわよぉっ!」
雑木林をくぐり抜け、急な斜面を加速をつけながら下っていく。
あ。
「お〜〜〜い〜〜〜な〜〜〜な〜〜〜せ〜〜〜」
「何よっ!? って、わきゃぁぁっ!」
ガッシャァァァァァァン
またしても、顔面からフェンスに激突する七瀬。
俺はフェンスのところで停止すると、肩をすくめた。
「なにやってんだ、お前は」
フェンスから顔を引き剥がして、七瀬が俺の方を見る。
「忘れてたのよ。……浩平も、教えてくれたっていいじゃない」
「いや、教えようと思ったんだが、間に合わなかったんだ。いやぁ、残念残念」
「残念じゃないわよっ! ……ひんっ」
「泣いてる場合じゃないぞ、七瀬っ!」
俺はフェンスをシャカシャカとよじ登ると、飛び降りた。慌てて七瀬もよじ登ってくる。
「待ってよ、浩平っ!」
「よし、七瀬。そこからいつものように「ひょぉ〜〜っ」と奇声を上げながら飛び降りてくれ」
「いつ誰がしたっ、そんなことっ!」
「付き合いの悪い奴だな。時に七瀬」
「なによ?」
「白だな」
俺はフェンスの一番上で律儀に止まっている七瀬を見上げながら言った。
「……どあほうっ!!」
げしぃっ!!
次の瞬間、俺はトップロープからのドロップキックを顔面にくらった。
「……あの、七瀬さん。口の中、血の味がするんですけど……」
「行くわよっ!!」
そのまま走っていく七瀬。俺は顔を押さえながらその後を追いかけた。
昼休みも半ばを過ぎた頃。
やっと髭(忘れてるかもしれんが、俺達のクラスの担任だ)から解放された俺は、屋上のドアを開けた。
ぐるっと見回すよりも早く、七瀬が駆け寄ってくると、心配そうに訊ねた。
「ね、浩平。先生、なんて言ってた? 卒業できそう?」
俺は肩を落とした。
「すまん、七瀬。これからは先輩と呼ばせてくれ」
「ええっ? それじゃやっぱり留年!?」
素っ頓狂な声を上げる七瀬。それから、俺以上にがくりと肩を落とした。
「浩平と一緒に卒業、したかったな……」
「そうなのか?」
「当たり前でしょっ!」
そう言ってから、涙ぐむ七瀬。
「すんっ」
「冗談だ、冗談」
「そうよ、冗談じゃ済まないんだから……。えっ?」
ぱっと顔を上げる七瀬に、俺は笑いかけた。
「なんだかよくわからんが、髭の奴、俺の成績をつけることを“忘れていた”らしくてな。で、そのことで呼び出されたんだよ」
「それって……、もしかして?」
「ああ。どうやら卒業は出来るみたいだ」
ぴっと親指を立てる俺。と、いきなり殴られた。
「あほぉっ!!」
ばきぃぃっ
「どっ、どれくらい心配したって思ってるのよっ! もう、あほっ」
そのまま、俺の胸に顔を埋めて泣き出す七瀬。
「そっかぁ。それじゃお祝いしなくちゃね」
「そんな事いちいちせんでも……って柚木!?」
「きゃっ!」
思わず左右に飛び退く俺と七瀬の間で、膝に手を置いて屈み込んだ柚木が、にこにこ笑っている。
「よかったよ〜。わたしも浩平が留年したらどうしようって本気で心配してたんだもん」
「……おめでとうございます」
長森に茜までいるし。って、うわっ。
いきなり右の袖を引っ張られる。そっちを見ると、案の定、満面の笑みを浮かべた澪が、袖にぶら下がっていた。俺の視線に答えるようにスケッチブックを見せる。
『おめでとうなの』
「よしっ、それじゃ今日は折原君の家でパーティーしましょう!」
「ちょっと待て。なんで俺の家なんだっ!」
俺が慌てて言うと、柚木は意外という顔で俺を見る。
「なんだ、折原君は来ないの。でも会場は提供してね」
『楽しみなの』
にこにこしながらスケッチブックを掲げる澪。
俺はため息をついた。
「へいへい。長森」
「何、浩平?」
「あとは任せたぞ。段取りは柚木とつけといてくれ」
「うん、わかったけど、浩平?」
俺は、そのまま屋上から降りていった。
「ちょっと待ってよ、浩平!」
七瀬が追いかけてくると、俺と並んだ。
「みんな、浩平のこと心配してたんだから」
「まぁ、そうなんだろうな」
俺は苦笑した。
「もうちょっと、ほっといてくれてもいいような気もするけど」
「ほっといたら帰ってこないじゃない、浩平は」
どすっと肘で俺の脇腹を突きながら膨れる七瀬。
「いてて。悪かったって」
「本当にそう思ってる?」
ぴょんぴょんと階段を駆け下りると、踊り場から俺を見上げる七瀬。
「思ってるって。だから、帰ってきただろう?」
「……ホントに、もう」
七瀬はぐいっと袖で目を拭くと、訊ねた。
「もう、どこかに行ったりしないわよね?」
「行くって行っても無駄だろ?」
俺は、踊り場まで降りると、肩をすくめた。
「当たり前じゃない。今度は縛ってでも行かせないから」
泣き笑いのような顔で、七瀬は頷いた。
その日のパーティーは3人のチアガールによって壊滅させられた。
……というようなこともなく、その日のパーティーは盛況のうちに終わった。
「……ったく、あいつらめ。散らかすだけ散らかして行きやがって」
リビングの惨状を見て、俺はため息をついた。
「由起子さんに叱られるのは俺なんだからな」
まぁ、愚痴ってもリビングが片づくわけでもない。俺はもう一度ため息をついてから、片づけようと立ち上がった。
ピンポーン
ちょうどその時、チャイムが鳴った。
反射的に時計を見ると、午後11時を過ぎている。
誰だろう? こんな時間に。
ははぁ。さては長森だな。ちょうどいい、後片づけの手伝いをさせるか。
そう思って、俺は玄関に向かってドアを開けた。
「こ、こんばんわ」
そこにいたのは、七瀬だった。ちょっと上目遣いに俺を見ている。
「あれ? みんなと一緒に帰ったんじゃなかったのか?」
「うん。後片づけ、手伝おうと思って。あはっ」
照れたように笑う七瀬。
「なんだよ、それなら最初から残ってやってればよかったのに」
俺がそう言うと、七瀬はかぁっと赤くなった。
「でも、それじゃなんか、いかにもって感じじゃない」
「はぁ? なにがいかにもなんだ?」
「いいのっ! さぁ、さっさと片づけちゃおうっ!」
腕まくりしながら、七瀬はずかずかっとリビングの方に歩いていった。
なんだかよくわからんが、七瀬なりの乙女の法則とやらに乗っ取った行動なんだろう、きっと。
俺はそう思って、七瀬の後を追った。
「♪ふんふんふ〜ん」
なにやら上機嫌に、鼻歌混じりに食器を洗う七瀬の後ろ姿を、テーブルに頬杖をついて見つめる。
何がそんなに嬉しいんだろう?
「なぁ、七瀬」
「うん? なぁに、浩平?」
流しの方を向いて食器を洗いながら聞き返す七瀬。
「お前さぁ、可愛い奴だな」
バッシャァッッ
いきなり流しで水飛沫が上がった。
「な、なによいきなりっ!?」
ずぶ濡れになって振り返る七瀬。どうやら、蛇口を締めようとしていた時に俺が話し掛けたものだから、勢い余って全開にしてしまったらしい。
「いや、単純にそう思っただけなんだが……。寒くないか?」
「寒いわよっ! っくしゅん」
くしゃみをすると、七瀬の髪から飛沫が飛んだ。
「しょうがねぇなぁ」
「誰のせいよっ! くしゅん」
もう一度くしゃみをする七瀬。
「わかったわかった。とりあえずシャワーでも浴びて行けって」
「……っくしゅん。うん、そうする」
もう一度くしゃみをしてから、七瀬は頷いた。
「……殺すわ」
「ど、どうしたんだ七瀬っ?」
「なんであたしがこんな格好しなくちゃいけないのよっ!」
風呂場で怒鳴る七瀬。脱衣場から俺は言い返す。
「着替えを貸してくれって言ったのはそっちじゃないか」
「これが着替えかぁっ!」
ドアを少しだけ開けて、俺の渡してやった着替えを投げ返す。器用な奴。
「お願いだから、もうちょっとまともなものちょうだいよっ!」
「注文の多い奴だ」
俺は仕方なく、洗濯かごに入っていたワイシャツを、ドアの隙間から差し出されている手に乗せてやった。
「これでどうだ?」
「……まぁ、さっきよりはましよね」
ぶつぶつ言いながら着替える七瀬の姿が、磨りガラス越しにぼやっと見える。
俺は、改めて七瀬から突っ返されたものを広げてしげしげと見つめる。
ピンクのエプロン。
「……実に残念だ。裸エプロンは男のロマンなのに……」
「……やっぱり、殺すわ」
いつの間にか出てきていた七瀬が、拳をフルフルさせながらぼそっと呟く。
俺はため息をついた。
「仕方ない。新婚初夜までガマンしよう」
「新婚初夜でもしないわよっ! ……って、ええっ!?」
びっくりしたように俺を見る七瀬。
シャワーを浴びていたので、いつものダブルポニーの髪型ではなくて、ストレートにおろしている。おまけに、白のワイシャツ一枚で、頬を染めてもじもじしている。
「新婚って、もう、浩平ったらぁ……」
むぅっ、これはこれで新鮮でいいかもしれない。
俺は七瀬の肩を押さえて、すっと抱き寄せた。
「きゃっ」
すっぽりと俺の腕の中に納まる。
「なによっ、いきなり……」
文句を言いかける唇を、自分の唇でふさぐ。
「うんっ……」
「……なぁ、七瀬」
「……うん」
「俺、やっぱりお前が好きだよ」
「……あたしも」
七瀬は、こくんと頷いた。
翌朝。
俺と七瀬は、揃って遅刻した。