カシャッ
"God's in his heaven,all's right with the world."
いつものようにカーテンの引かれる音と、そして目の奥を貫く陽光。
「浩平っ、起きなよっ。もう朝だよっ!」
「今日は休みだ〜」
「休みじゃないもんっ! 早く起きないと遅刻するよっ!」
がばあっ、と布団がはがされる。俺は丸くなって抗議した。
「こらっ、長森。寒いぞっ!」
「さっさと起きない浩平が悪いんだもん」
拗ねる長森。ったく、こういうところは全然変わらねぇなぁ。
「にしてもよ、もうちょっと別の起こし方があるだろうに……。っくしょん」
くしゃみをして、俺は頭を掻いた。
長森は困ったように笑った。
「だって、他の起こし方なんて知らないもん」
俺はベッドに座りなおした。
「いいか、長森」
「うん」
「俺達、もう恋人同士だよな」
「えっ、う、うん」
かぁっと赤くなって、長森はうなずいた。
「そ、そうだよね。浩平、わたしと付き合ってくれるって言ってくれたんだもんね。……戻ってきてくれたんだもんね。だから、わたし、わたし……」
「こらっ、そこっ! 一人で自己完結するなっ!」
「あっ、うん」
「そこで、だ。恋人同士なら、もう少し別の方法があるだろ?」
「別の方法?」
「ああ。目覚めのキスとか、目覚めの○○○○○とか……」
「でも、この間キスしてあげたけど、全然起きなかったもん」
長森は拗ねたようにして言った。……なぬ?
「いっ、いつだ、それ?」
「こないだだよ〜」
「嘘つけ」
「ホントだもん。……って、時間っ!!」
時計を見上げると、既にかなりやばい状況である。
「はいっ、鞄と着替えっ!」
「おうっ」
長森が差し出すのを受け取って、階段を駆け下りる。
タッタッタッ
「結局、いつもの通り1500メートルマラソンだな」
「もう〜。浩平がちゃんと起きてくれれば、こんなことにはならないんだよ〜」
「へいへい」
俺と長森は、そんな会話を交わしながら、通学路を駆け抜ける。
「しかし、もうすぐ卒業とはなぁ」
「うん。……でも、浩平、卒業できるの?」
「ああ、なんとかな」
俺も不思議なことに、俺がいなかった間の成績もいつの間にかついていた。……全部1だったが。
「髭の温情で、補習を受けてなんとか卒業できるらしい」
「ずーっと登校拒否してたんだもんね」
くすくす笑いながら、長森。どうやら、俺がいない間は、そういうことになっていたらしい。
俺はぐっとスピードを上げた。
「あっ、待ってよ、浩平っ!」
あっという間に置いてきぼりになる長森。
ちょっと引き離して、俺はその場で足踏みをして、待ってやる。
しばらくして追いついてきた長森は、うらめしそうに俺を見る。
「もう、意地悪ぅ〜」
「ほら、急ぐぞっ」
「あっ、待ってよ〜」
始業前に、教室に飛び込むと、俺は席に鞄を放り投げ、七瀬に挨拶する。
「よっ、今日も乙女してるかっ?」
「あたしはいつでも乙女よっ」
じろっと振り返って言う七瀬。俺がいない間に、人気投票トップの座を長森から奪ったらしく、相変わらず理想の乙女を追い求めて、日々精進しているらしい。
横合いから、別の声がかかる。
「今朝も元気ね〜、浩平君は」
「おう、元気だけどな……」
ため息をつく俺をみて、柚木は首を傾げる。
「どうしたの?」
そう、こいつも頭痛の種である。椎名が本来の学校に戻るのと入れ替わるように、こいつは本当にうちの学校に転校して来やがったのだ。しかも、登校拒否で空席になった(ということになっていた)俺の席を占領して、窓際をカラフルにしやがった。
その後、俺が戻ってきたので、柚木は以前椎名のいた席に移り、住井は再び限界に挑戦することになった。もっとも、柚木も外見上はそれなりに可愛いので、住井は椎名の時よりは喜んでいたが。
ちなみに、住井によると、現在の人気投票の順位は、七瀬、柚木、茜、長森だそうだ。
昔はトップだった長森は俺が戻ってくるまで、ずっと沈み込んで、何かと言えば例のバニ山バニ夫(俺が贈ったウサギのぬいぐるみだ)に話しかけたりしてたので、ちょっと順位が落ちたらしい。
もっとも、俺が帰還したおかげで、長森は前以上に生き生き(うきうき、という説もある)してきたのだが、今度は俺が面前告白したおかげで公認の仲となってしまったので、順位はこれ以上は上がらないだろう、と住井は解説した。……俺に祝福と称するヘッドロックをかけながらだ。
まぁ、俺も祝い返しのチキンフェイスロックをかけてやり、住井との友情を深めたのだが……。
「おーし、席に着け」
髭が入ってきて、みな慌ただしく席につく。
ホームルームが終わり、授業が始まる。……とはいえ、この時期になると、既に大学受験も一通り終わってるため、あんまり授業の意味もない。先生の方も心得たもので、半分自習のような状況である。
カサッ
半分ぼけーっと授業を受けていた俺の所に、丸めた紙が飛んできた。
住井からか。しょうがねぇやつ。
カサカサと開くと、書いてある内容を読む。
なになに? 『最終回 女子人気投票のお知らせ』か。そうだな、時期的にもうこれが最後になるかな。
俺は、前の席の七瀬にそれを回した。
「こんなのが来てるぞっ」
「……」
無言で七瀬はその紙に視線を落とした。
休み時間。
「いかない」
「ちょっと、廊下まで来て……って、なんで先に答えてるのよっ!」
「だから読めるんだよ、おまえさんの行動は」
「いいから、来なさいっ」
俺は七瀬に廊下まで押し出された。
「今回は危ないかもな。柚木はなかなかあなどれん」
「今回も私、優勝できるかな? ……って、また先に答えるっ」
ちょっと怒ってから、七瀬は心配そうに俺に尋ねた。
「で、それ、ホント?」
「ああ。住井のやつによるとだな、ここしばらくの人気投票の結果は、確かに七瀬、おまえがトップだが、柚木がだんだんと票差を詰めているらしいぞ。前回は1票差だったそうだ」
「あーん、どうしよう、浩平」
「俺に頼るなって。もうお前の実力で勝ち抜くしかないな」
「う、うん……」
不安そうにうなずく七瀬。
本性はどうであれ、男子の間では、七瀬はお淑やかなお嬢さん風な評価が高い。あいつが理想の乙女を追い求めて邁進した結果だ。一方の柚木はというと、明るく社交的で、異性同性問わず友達も多い。ある意味対照的な二人である。……根は同じだと俺は思うが。
個人的にも興味のある対決だけに、俺は、今回は、どっちかに肩入れする気はない。
「お願い、浩平。現在の順位だけでもいいから、教えて」
「おう」
……肩入れするつもりは無いんだけどなぁ。
「喜べ七瀬。お前がトップだ。ただし2票だけどな」
「はう〜。気になる気になる〜」
ぶつぶつ言いながら席に戻る七瀬。
俺も席に戻ろうとしたが、途中で方向を変えて、長森の席に寄る。
「よ、長森」
「あ、浩平。どうしたの?」
この期に及んでも真面目に教科書を読んでいた長森が顔を上げ、俺を見て微笑む。
「別に大した意味はねぇけどな」
「そっかぁ」
それでも、嬉しそうな顔をする長森。どうやら、大した意味もないのに自分のところに来てくれた、ということが嬉しいらしい。
「そうだ。浩平、今度の日曜、時間あるかな?」
「日曜か? まぁ、俺はいつでも暇だけど、おめぇの方はいいのか? 遊んでると大学落ちるぞ」
「もう試験終わったもん。あとは発表まで暇だもん」
口をとがらすと、長森は上目づかいに俺を見た。
「わたし、買い物したいんだけどな〜。ずっと商店街にも行ってないし〜」
「帰りによく寄ってるだろ?」
「そうじゃなくって〜」
「ま、考えとく」
俺がそう言ったとき、ちょうどいいタイミングでチャイムが鳴り響いた。
キーンコーンカーンコーン
「おっと、それじゃ、後でな」
「うんっ」
笑って手を振る長森。俺は軽く手を振り返して、自分の席に戻る。
「おうおう、相変わらずのろけてくれるわ」
住井が俺達の様子をずっと見ていたらしく、いじけていた。
「どうしたっ、彼女いない歴18年の住井護くん?」
「えっ、そうなんだぁ〜」
こういう話をしていると、柚木がどこからともなく現れる。……つーても、柚木は住井の前の席だからなぁ。
住井は、がばっと顔を上げた。
「柚木さんっ、こんな俺に愛の手をっ!」
「そりゃ大変ねぇ〜、って、こりゃ合いの手かぁ」
「さすが柚木。住井、お前じゃ太刀打ちできねぇぞ」
「はう〜」
がっくりと肩を落とすと、住井は俺の方にうらめしげな視線を向ける。
「折原〜、どうしてお前みたいな奴が長森さんと〜」
「へっへ〜、羨ましいかぁ」
「こらっ、そこ、やかましいぞっ」
先生にしかられて、俺達は授業中ということを思い出した。ちなみに柚木はいつの間にかちゃっかりと前を向いている。要領のいい奴である。
キーンコーン
チャイムが鳴って、昼休みに突入した。
俺は、慌ただしく席を立って学食に突撃する連中を見送って、のんびりと長森の前に座った。
「飯にしようぜ、飯〜」
「うんっ♪」
嬉しそうに、手提げ袋から弁当を出す長森。
「今日はちょっと自信があるんだよっ」
「そうかそうか」
そう言いながら、長森の弁当に箸を伸ばす。
「美味しい?」
にこにこしながら訊ねる長森。……こいつは七瀬とかと違って、弁当を取っても怒りもしないので、いまいち張り合いがないのだが、そこはそれ、俺にも床屋志望のプライドがある。
「まぁまぁだな」
「ちょっと味が薄かった?」
「ん〜。甘いかなぁ」
「そっかぁ」
お箸を加えて、長森は考え込んだ。
「明日は、みりんをもうちょっと減らしてみよっかな」
「おう、精進しろよ」
そう言いながら、俺はお茶を飲む。ちなみに長森は未だに牛乳だ。
「お前、相変わらず牛乳だな〜」
「だって、牛乳は身体にいいんだよ〜」
「キスすると牛乳くさいんだよ」
「ばっ、ばかぁっ!」
真っ赤になってうろたえる長森。
「だってだって体にいいんだもん。きっと浩平だって体にいいよっ!」
「そうか? 二人で運動するほうが、きっと身体にいいぜっ」
「はう〜〜っ、もうっ」
「おっ、顔が赤いぞ長森。今どういう想像したっ?」
「ばかあっ!」
実に他愛のない会話をしながら、楽しく昼飯を食う俺達だった。
午後の授業は寝て過ごしたおかげで、あっという間に放課後になった。
俺がのたのたと帰る準備をしていると、長森が俺の脇にやってきた。
「浩平、一緒に帰ろ」
「おう、ちょっと待ってろ」
「うん」
俺は教科書を鞄に詰めると、長森の肩を抱いて、耳元で囁く。
「それじゃ帰るか」
「きゃん。も、もう、浩平〜、みんな見てるよ〜」
かぁっと赤くなる長森。
「いいじゃねぇか。俺達はみんな公認の仲なんだから。なぁ、住井?」
「くく〜」
俺達の仲睦まじい様を見せつけられて、血の涙を流している住井。
「さて、それじゃ帰るか、長森」
「うん、帰ろ、浩平」
俺達はそのまま、教室を出ていった。後ろの方で、叫び声が聞こえる。
「夕陽のばっきゃろぉ〜〜〜〜っ!!」
うんうん、青春だよな〜。
長森と並んで歩道を歩く。
「ね、浩平。日曜のことなんだけど……」
「ああ、俺は構わないぜ」
俺が答えると、不意に長森は立ち止まった。
数歩、行き過ぎてから、俺は振り返る。
「どうした、長森?」
「うん。……何だか、夢みたいだなって。だって、浩平が優しいんだもん」
「まぁ、色々あったからな」
俺は苦笑した。それから、ふと思い出して訊ねる。
「そういえば、例のウサギ、まだ元気か?」
「バニ夫くん? うん、元気だよ」
にっこり笑ってうなずく長森。
「そっか。元気か。よかったな」
俺は長森の肩をぽんと叩くと、不意に引き寄せてキスをした。
「うんっ? ……ん」
唇を離すと、長森は赤くなって俯いた。
「びっくりした……」
「やっぱり、牛乳の味がする」
「ば、ばか〜っ」
夕焼けが、俺達を赤く染めていた。
なんということはない、日常。
俺は、両手を振り回す長森から逃げながら、俺はそんな日常をしみじみと噛みしめていた。
「もうっ、浩平なんて知らないもんっ!」
「悪かった悪かったっ!」
「……もう一度してくれたら、許してあげても、いいかなっゥ」