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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #4
君の中の永遠

 この世界は、もう終わってるんだよ。
 俺は、みずかにそう告げた。
 それがやっと、わかったんだ。
 みずかは、黙って微笑んだ。
 寂しそうな、それでいて、嬉しそうな微笑み。
 そして、止まっていた季節が、動きだす。

 ……ここは?
 気が付くと、おれはベンチに座っていた。
 ちょっと冷たい風と、暖かい陽の光。
 俺は、片手をその陽にかざして光を遮った。眩しかった。
 そうして、目が慣れたところで、辺りを見回す。
 ……公園、か?
 そうだ!
 間違いねぇ。ここは、俺が消えた、あの公園だ。
 ってことは、戻ってきたんだ。俺は、この世界に。
「いやっほうっ!」
 俺は思わず、ガッツポーズをして、叫んでいた。散歩をしていたお婆さんが、ビックリしたように俺を見る。
 俺はそのお婆さんに駆け寄った。
「すみません! 今、何月何日ですっ?」
「えっ? えっと、3月3日だよ」
「ありがとう、おばあさんっ。きっといいことあるぜっ」
 俺はそのお婆さんの皺だらけの手をギュッと握った。それから、訊ねる。
「……で、何年?」
「平成12年だがね」
 頭の中でちょっと考える。……俺が先輩を見送ったのが、平成11年の3月の卒業式だったんだよな。
 なんてこった! 丸々1年たってるのかっ!
 ……待てよ。
 さらに考える。
 うちの高校は、毎年3月3日が卒業式だったんだよな。とすると、今日は俺が出るはずだった卒業式。
 いる。
 彼女は、そこにいる。
 俺は、何の根拠もなく、確信していた。
 逢いたい。逢わないといけないんだ。逢って、アイスクリームが食べられなかったことを謝らないといけないんだ。
「ありがとう、おばあさんっ!」
 もう一度手を握って、俺は駆け出した。

 校門の前に来ると、卒業式の看板が立っている。
 俺は苦笑した。去年は消えかけてたおかげで先輩の卒業式には出損ねたし、今年はこれだ。俺は、よくよく、卒業式には縁がないらしい。
 校舎の壁に掛かっている大きな時計を見上げて、時間を確かめる。
 そろそろ、式が始まる頃かな。
 俺は、歩き出した。
 去年と同じように、体育館に人が集中しているおかげで、校舎には簡単に入り込めた。俺は階段を上がる。
 校舎の中を見てまわる。
 ……教室。
 ……廊下。
 ……学食。
 ……図書室。
 どこを見ても、先輩との思い出があった。
 そして、俺は階段を上がり、立入禁止の紙を横目に、重いドアを開けた。
 ギィッ
 きしむ音をたてて、ドアが開いた。
 初めて出会った場所。
 だから、きっとここに来る。
 俺は、意味もなく、そう確信していた。
 記憶にあるのと、変わりない屋上。
 俺は、フェンス際まで歩くと、振り返った。ここからなら、屋上へのドアが見える。
 そのまま、フェンスにもたれるように座り込む。
 空を見上げた。
 青い空。白い雲。眩しい太陽。
 髪の毛をそよがせ、頬を撫でていく風。
 微かに聞こえてくる、町のざわめき。
 ありふれた日常。
 だから、大切な日常が、確かに俺のまわりを包んでいた。

 不意に、考える。
 みさき先輩との1年振りの再会だ。どうすればいいんだろう?
 少し考えて、決めた。
 みさき先輩も、言ってたじゃないか。「普通でいいと思うよ」って。
 だから、普通で行こう。
 そう決めたとき、不意にざわめきが聞こえてきた。どうやら、卒業式は終わったらしい。
 俺は、立ち上がった。

 そして。
 随分待ったような気がした。ほんの一瞬のような気がした。
 俺は、青一色に彩られた、空を見上げていた。
 後ろで、ゆっくりと、ドアのノブが回り、重い鉄の扉が開く音がした。
 すぅっと息を吸い込んで、俺は声をかけた。
「明日はいい天気だな」
 背後から、息を飲む、微かな気配。
 震える唇から、言葉がこぼれ落ちる。
「……そっ……か」
 一歩、二歩。俺に向かって、足を進める。
「……今日は……夕焼け……なんだ」
 俺は振り返った。
 ちょっと、髪型変えたんだな。似合ってるぜ。
「夕焼け……うぐっ……き…れい……?」
「そうだな。65点ってとこかな」
「結構……辛口な……ぐすっ」
 立ち止まって、俯き、彼女はしゃくりあげた。
「……待ってたよ……。待ってたんだよ……。あの日からずっと……」
 俺は、ゆっくりと歩み寄った。
「……ただいま」
 彼女は、泣きながら、首を振った。
「ダメだよ……。挨拶は……ちゃんと……大きな声で……」
 だから、俺は大声で言った。
「ただいま、先輩」
 先輩は、そこで我慢しきれなくなったように顔を上げた。
「おかえりなさい……」
 そして、俺に駆け寄ってくる。俺は、大きく両手を広げた。
「浩平君っ!」
 ばふっ
 みさき先輩は、俺の胸に顔を埋めた。
「……みさき先輩」
 俺は、固く、先輩を抱きしめた。

 その翌日の朝。

 ピンポーン
 チャイムを鳴らすと、少ししてドアが開いた。
「お待たせ、浩平君」
「よっ、先輩。よく俺だってわかったな?」
 俺が声をかけると、みさき先輩はにこっと笑った。
「わかるよ。だって、浩平君だもの。それより……」
「うん?」
 みさき先輩は、俺にすり寄ると、にこっと笑った。
「私も浩平君も、もう卒業したんだよ〜」
「えっ? ま、そうなるんだけどな」
 俺はうなずいた。
 みさき先輩は、ぷっと膨れた。
「だったら、先輩っていうの、変だよ」
「そう言われればそうなんだけど……。でもなんて呼べばいいんだ?」
「呼び捨てでいいよ」
 さらっと言うみさき先輩。
「でもよ、先輩……」
「呼び捨てにしてくれるまで、返事してあげない」
 ぷいっとそっぽを向く先輩。
 俺は頭を掻いた。
「わかったよ。えっと……みさき」
「うん、なぁに、浩平君?」
 満面の笑みをたたえて、振り返るみさき先輩……、おっと。みさき。
 俺は苦笑した。
「不公平だぞ、みさきせ……じゃない。みさき」
「何が?」
「みさきはまだ俺のこと、浩平君って呼んでるじゃないか」
「それじゃ、浩平ちゃん」
「じゃなくてだな」
 俺が言うと、みさきは赤くなってもじもじし始めた。
「でも、それって何か変だよ〜」
「変じゃない。俺のことも呼び捨てにしてくれよ。でないと、ずっと“先輩”って呼ぶぞ」
「でも〜」
「先輩、先輩、先輩〜。ああ、先輩。先輩はどうして先輩なんだ?」
「わ、わかったよ。えっと、浩平……。これでいいのかな?」
 おそるおそる訊ねるみさきに、俺は答えた。
「ああ、バッチリだぜ、みさき」
 俺達は、顔を見合わせて、笑った。

 それから、俺はみさきと商店街に繰り出した。
 というのも、みさきが「あの時のデートをちゃんとやろうよ〜」と言ったからだ。
 俺としても、リターンマッチは願ったり叶ったり、というところだったから、一も二もなくそれを受けた。
 そんなわけで、俺とみさきは腕を組んで、にぎわう商店街を歩いていた。
 と、不意にみさきが足を止めた。
「ん? どうした?」
「……綺麗な音が聞こえる」
 目を閉じてつぶやくと、みさきは俺に言った。
「オルゴールかな?」
「どれ?」
 俺も目を閉じてみた。
 確かに、微かにオルゴールのような音が聞こえる。
「ああ、ほんとだ」
「行ってみようよ」
 みさきは俺の腕を引っ張った。
「よし、行こう」
「うんっ」
 俺達は歩き出した。

「おう、確かにオルゴール売ってる……けどなぁ」
 俺は苦笑した。そこは、かつて俺が辛酸を舐めた、例のファンシーショップだったのだ。
 店の前に“オルゴール セール中”と紙が張りだしてあり、ワゴンの中にオルゴールが並んでいた。そのうちの一つが、音色を奏でていたのだ。
「どうしたの?」
 俺の怯える気配に気付いたのか、みさきは気遣わしげな表情をして、俺を覗き込んだ。
「いやっ、なんでもないさっ!」
「何でもないようには見えないよ〜、って、見えないか。あは」
 ぺろっと舌を出すみさき。か、可愛い。
「えっと、どうやらオルゴールのワゴンセールをしてるようだな」
「わぁ! 私、オルゴールって好きなんだよ〜」
 歓声を上げるみさきを見て、俺は財布をさぐった。
「よし、みさきに買ってあげよう」
「えっ? でも、悪いな〜」
 そう言って笑うみさき。
「いいから、いいから。みさきの好きな曲あるか?」
「うーんとね」
 みさきは、ほっぺたに指を当てて考えると、答えた。

「おーい、みさき〜。買ってきたぞぉ〜」
 大きめな声を上げて、俺はショップの外に出てきた。
 店の前で待っていたみさきが、ぱっと表情を明るくして、駆け寄ってくる。
「あっ」
 歩道の敷居でつまづくみさき。俺はとっさに抱き留めた。
「おっと」
 ふわりと舞い上がった長い髪が、俺の頬をくすぐった。
「大丈夫か?」
「えへへ。こけちゃった」
 また笑うみさき。俺はそのおでこを指で弾いた。
「こら、無茶するんじゃないよ」
「痛ぁ。もう、それはないよ〜。私の方が年上なのに〜」
 おでこを押さえて、みさきはぷっと膨れた。俺はその手に紙袋を押しつけた。
「はいはい、お姫さま。これで機嫌を直してくださいませ」
「あ、オルゴール? ありがと〜。嬉しいよ〜」
 みさきは、紙袋を受け取ると、俺に言った。
「ね、聴いてみたいな〜」
「オルゴールをか? でもこんなところじゃなぁ」
「うん。静かなところがいいかな」
「そうだな。それじゃ……、ちょっと予定よりも早いけど、公園に行くか?」
「うんっ

 俺達は、公園のベンチに隣り合って座った。
 みさきは俺に尋ねた。
「ね、桜は咲いてる?」
「ああ」
「アイスクリーム屋さんは?」
「いるぜ」
「……おんなじだね」
「そうだな」
「それじゃ、私、アイスクリーム買ってくるね。浩平は、ここで待ってて」
 そう言うと、みさきは立ち上がった。
「ああ。今度こそ、食べさせてもらうぜ」
「うん。任せてよ」
 みさきは、こくりとうなずくと、アイスクリーム屋の方に歩いていった。途中で振り返る。
「抹茶とバニラ、どっちがいい?」
 俺は答える。
「抹茶は売ってないみたいだぞ。チョコレートならあるけど」
「そうなんだ。……私、好きなのに」
「みさきに嫌いな食べ物なんてないだろ?」
「そんなことないよ。らっきょだけは食べられないんだ」
「それ以外は、何だって食べられるんだろ?」
「それで、浩平はバニラだよね?」
 思いっ切り話を逸らしてるな。
「ああ、我慢できないからな」
「それじゃ、私はチョコミントにするよ」
 それだけ答えると、みさきはアイスクリーム屋に向かって、元気に歩いていく。
 俺は、それを見送った。
 みさきの後ろ姿が見える。それが、嬉しかった。

 みさきは戻ってくると、嬉しそうに言った。
「ほら見て、おじさんにひとつおまけしてもらったよ。新発売のラズベリー味なんだって」
「そっか。よかったな、みさき」
「ね、これ私が食べていいのかな?」
「ああ。みさきの戦利品だもんな」
「はい。これは浩平の分だよ。あ……、えと、どっちがバニラなのかな? あはは、わかんないよ。……はい、浩平が……選んで……えぐっ」
「ああ」
 俺は、立ち上がると、アイスクリームを握ったまま泣きだしたみさきを、抱きしめた。
「ごめんな、みさき」
「浩平……うぐっ、ひっく、……ふぇっ」
 静かに嗚咽を漏らすみさきを、俺はそっと抱きしめていた。
「大丈夫。もう俺はここにいるよ。どこにも行かない」
「ホントだよね、浩平、ずっと一緒にいてくれるんだよね?」
「ああ。ずっとだ」
 これも一つの、永遠の盟約。
 でも、これは違う。ありふれた日常を積み重ねること。それが、俺とみさきの選んだ“永遠”なんだよな。

「くすん。ごめんね、浩平。……ありがとう」
 もう一度、くすんと鼻を鳴らしてから、みさきは笑顔に戻った。
 そんな笑顔を見てると、ついからかいたくなる。
「みさき、随分泣き虫になったんだなぁ〜。昨日から泣きっぱなしじゃないか」
「もう。そうしたのは、浩平だよ〜」
 みさきは拗ねて、アイスクリームを後ろに隠した。
「そんな事言うなら、アイスクリームあげないよ」
「降参、降参。私が悪うございました」
「よし」
 笑って、みさきは両手に持ったアイスクリームを掲げて見せた。
「どっちがバニラかな?」
「こっちだな」
 俺は、みさきの手からバニラを取った。そして笑う。
「春先でよかったぜ。夏だったらとっくに溶けてたところだ」
「もう、意地悪だよ〜」
 また、拗ねて膨れるみさき。その手にしたチョコミントを、俺はぺろっと舐めた。
「あっ、今私のアイスクリーム舐めたでしょ」
「我慢できなかったんだ」
「もう、ずるいんだ〜」
 また拗ねるみさき。
 俺は、笑いながらベンチに腰を下ろした。
 みさきも、ベンチに腰を下ろした。手をパンパンとはたいている。……って、アイスクリームはどうしたっ?
「うん、美味しかったよ〜」
「……あの、みさき? 確かアイスクリーム2つ持ってたよな?」
「うん。チョコミントとラズベリー」
「……もしかして、もう食べました?」
「うん。これ以上浩平に食べられちゃ大変だって思ったから、急いで食べちゃったよ」
 ぺろっと唇を舐めながら、先輩はにこにこ笑った。
 俺は素直に感嘆しておくことにした。……他にどうしようがある?
 みさき先輩は、ポケットから紙袋を出した。中からオルゴールを出すと、蓋を開く。
 綺麗な音色が、鳴り始めた。
「ずっと、一緒だよね……」
「ああ、ずっとだ」
「……うん」
 桜の花びらが、ひらひらと舞い落ちて来る中、俺とみさきは、肩を寄せ合って、オルゴールの奏でる音色に聴き入っていた。

"God's in his heaven,all's right with the world."

♪ BGM:『追想』- on MusicBox -
♪  ONE〜輝く季節へ〜 (c)Tactics より
♪  Arranged by Uziki(Uzk Music Factory)

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