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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #6
聖なる夜に

 シャンシャンシャンシャン
 どこからともなく聞こえてくる鈴の音。きらびやかなイルミネーション。
 浮き立つような空気に包まれた商店街を、二人で歩く。
「なぁ、澪。何が食いたい?」
 澪は少し考えた後、スケッチブックを広げた。
 『おすし』
「……そんなんでいいのか?」
 うんうんっ
 二回、元気に頷く。
「でもなぁ、クリスマスだろ。なにもクリスマスに寿司はねぇんじゃねぇか?」
 でもぉ、と俯く澪の頭に、ぽんと手を乗せる。
「ま、澪がそう言うんなら、いいか」
 わぁーい、と喜ぶ澪。
「よし、それじゃ今から寿司屋にいくぞ」
 俺はそう言って歩き出した。
 もうひとしきり、わーいと喜んだ後、澪もちょこちょことついてくる。
「でもなぁ」
 うん?
「あ、いや」
 俺の顔を覗き込む澪に、軽く手を振る。
 すると、澪はスケッチブックを広げる。
 『クリスマスなの』
「おう」
 『ケーキもいいの』
「そうだな」
 『お友達も呼ぶの』
「ああ、いいなぁ」
 俺がそう答えると、澪はぷくっと膨れた。
「なんだよ、おい?」
 だってだって。
 澪はいやいやと首を振る。
「上月さん、いじめちゃだめよ」
「そんなことしてない……。あれ?」
 声に振り返ると、深山さんがいた。
「お久しぶり、折原君、上月さん。元気だった?」
「ああ、久しぶり」
 ぺこり
 俺と澪は、それぞれの挨拶をした。

「まだ、澪ちゃんは彼と二人っきりのロマンチックなクリスマスは、早いかなぁ〜」
 話を聞いて、深山さんがからかうように言うと、澪は真っ赤になって俯いた。
 あう〜〜〜。
 俺は苦笑した。
「澪は賑やかなのが好きなんだよ」
「そこまで判ってるなら、何とかしなさいって」
 深山さんは笑った。
「でも、何とかって言ったってなぁ」
「今から、暇な人に声をかけてみるとか」
「うーん」
 俺は考え込んだ。流石に住井達に声をかけるようなチャレンジはしたくないし……。
 と、澪がくいくいと深山さんの袖を引っ張ると、スケッチブックを広げた。
 『暇なの?』
「え? ま、まぁね」
 深山さんは、髪をいじりながら明後日の方を見た。
「ま、暇って言えば暇かもね〜」
 にこにこ
「うっ……」
 澪の必殺技、“罪のない笑顔”にさらされ、深山さんは手を上げた。
「はいはい。どうせ、クリスマスを一緒に過ごしてくれるような彼氏なんていないわよ」
 澪はさらに笑顔になると、スケッチブックを広げた。
 『一緒にパーティーするの』
「でも、なんだか誘ってもらっても悪いかなぁ♪」
「澪、行くぞ。深山先輩、良いお年を」
 俺は澪の腕を引っ張った。慌てて深山さんが言う。
「あ、ちょっと! 判ったわよ。クリスマスパーティー、よかったら入れてくれないかしら?」
「ああ、構わないぜ」
 うんうんっ
 澪も二回頷く。
「でも、こう言っちゃ何だけど、深山先輩なら、誘ってくれる人って結構居そうだけどな」
「私はね。でも、可哀想な親友を放り出すわけにもいかないしね」
 苦笑すると、深山さんは俺に尋ねた。
「どこでやろうとしてるの?」
「ああ、うちでやるつもりだけど」
「もう一人、入れる?」
「深山さんの親友……って、もしかして?」
「多分、想像通りよ」
 俺は、考え込んだ。
「食糧の方が心許ないな」
「それは、私が何とかするから。お願い」
 深山さんにそこまで言われちゃ、仕方ない。
「ああ、判ったよ」
「だって! 聞いた、茜?」
 嬉しそうな声がした。……この声、まさか。
 視界の隅で、澪が嬉しそうにわーいとはしゃいでるのが見えた。俺はおそるおそる振り返った。
「柚木っ!」
「それじゃ、私たちもお邪魔するわね。よかったわ、今年はどうしようかと思ってたの。ね、茜」
「……浩平が迷惑そうです」
 茜が言った。おう、よく判ったな。
「大丈夫よ。澪ちゃん喜んでるもの。ね、澪ちゃん」
 うんっうんっ
 大きく二回頷く澪。俺は額を押さえた。
「わかったよ。2人来るも4人来るもこうなりゃ同じだ。ただし、食糧は持参してくれよ」
「まっかせといて。ねっ、茜」
「……いいんですか?」
 澪に訊ねる茜。澪はスケッチブックを開いた。
 『来てほしいの』
「……わかりました。それじゃ、行きます」
 ……あの、俺の意志は関係なしか?
「おっけー! あ、でも浩平君の家知ってるのって、浩平と澪ちゃんだけだったっけ。それじゃ、とりあえず、まずは食糧調達に行きましょう!」
「お前が仕切るな、柚木」
 俺は額を押さえた。それから、深山さんに訊ねた。
「みさき先輩って、すぐに来られるのか?」
「ええ、私が誘いに行くのを待ってるはずよ」
「わかった。んじゃ、俺も一緒に行くよ。澪は柚木と茜と一緒に買い物に行って、うちまで連れてきてくれ」
 わかったの、と頷く澪。
「んじゃ、そういうことで。行こっ、澪ちゃん」
「柚木、澪に変なこと教えるなよ」
「……大丈夫です。私が見てます」
「頼むぞ、茜」
「……はい」
「茜〜、私たち、親友よねっ」
「……そのつもりです」
 騒ぎながら歩き去っていく澪達を見送ってから、俺は深山さんに言った。
「んじゃ、俺達も行くか」
「ええ。……ほんとに、ごめんね」
 深山さんは、頭を下げた。俺は軽く手を振った。
「澪がそれを希望してるんでな」
「ね、折原君。前に私に言ってたわよね。上月さんのこと、妹みたいにしか見てないって。今も、そうなの?」
「……歩きながらにしませんか?」
 俺は、先に歩き出した。深山さんは、早足で俺と並んだ。
「ごめんね、変なこと聞くようで。でも、上月さんのこと、なんだか放っておくと危なっかしくて……」
「深山さんこそ、妹みたいに思ってるんだろ、澪のこと」
 俺が言うと、深山さんも苦笑した。
「そうかもね」
「結局、その延長なのかもしれないけどな。でも、俺は澪のことを、ずっと見守ってやろうって思ってる」
「……そう」
 深山さんは、笑顔で頷いた。
「あなただったら、安心できそう」
「そっか? 俺ってそんなに信頼できそうか?」
「これでも一応、演劇部の部長やってたのよ。人を見る目には、自信がありますから」
 澄まして言うと、深山さんはくすっと笑った。
「さて、早く行きましょ。みさき、きっと待ちくたびれてるわ」
「きっと、第一声は「雪ちゃん遅いよ〜」だな」
「そうね、きっと」
 俺達は、駆け出した。

 楽しいパーティーだった。
 そういう一言で片づけるのがもったいないくらい、いろんな事があった。
 茜がケーキを作ったり、みさき先輩が健啖振りを発揮したり、柚木と深山さんがビールの飲みくらべをやって二人ともひっくり返ったり。
 そんな中をちょこちょこと走り回りながら、澪も楽しそうだった。……たとえ、用意した寿司のほとんどをみさき先輩に食べられてしまっても。
 そんなパーティーも終わり、皆それぞれに挨拶して帰っていった。
 最後に残ったのは、俺と澪。
「さて、と」
 俺は、リビングの惨状を見て、苦笑した。
 澪が、くいくいと俺の袖を引っ張った。
「ん?」
 『かたづけるの』
「あ、いや。澪はいいって。今日はお客さんだしな」
 ふるふる
「そっか? じゃ、そこの食器を台所に運んでくれ」
 澪は嬉しそうに頷くと、食器を積み重ねて台所に運んでいった。
 ったく、一生懸命な奴。
 俺は苦笑した。
 不器用で、一生懸命で、怖がりで、建気で、そんな澪が、俺は好きで。
 ゴミをまとめて袋に入れ、軽く掃除機をかけると、リビングはなんとか見られるようになった。
 そういえば、澪が戻ってこない。何してるんだろう?
 俺は台所に入った。
 茜がケーキを作ったときの甘い香りがまだ残る台所。
 澪は食器を洗っていた。服が汚れないように、茜がしてたピンクのエプロンをつけ、俺が入ってきたのにも気付かないくらい、熱中して。
 俺は、椅子に逆に座って、背もたれに顎を乗せて、そんな澪の後ろ姿を見ていた。
 やがて洗い終わって、きゅっと水道を止めると、澪は振り向いた。そして俺を見ると、ちょっと恥ずかしそうな笑顔で、皿の方を指した。
 全部洗い終わったの。
「おう、サンキューな」
 俺は笑顔で言うと、その頭を撫でようとして、やめた。代わりに、来い来いと手招きする。
 きょとんとして、こっちに駆け寄ってきた澪を抱きしめて、キスをする。
「……」
 一瞬びっくりして、それからふにゃ〜となる澪が、愛おしかった。

 カチャ
 ドアを開けると、澪がほえぇ〜っと夜空を見上げた。
 俺も、同じだった。
 白い結晶が、空から静かに舞い降りていた。
「雪……」
 こくん
 俺達は、白い息を吐きながら、クリスマスの空から降りてくる、白い結晶を見上げていた。
「……なぁ、澪」
 うん?
 俺は、澪の手をそっと握った。そして、呟いた。
「俺、やっとわかった。白いクレヨンってさ、こういう時に使うんだよな、きっと……」
 澪は、黒い空から落ちてくる白い雪を、その手に受けとめた。そして、にっこりと笑った。
 その唇からこぼれる言葉が、俺には確かに聞こえていた。

"God's in his heaven,all's right with the world."

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