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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #17
おかえり、だいすきなひと

 青空の中、桜の花が舞い散っている。絶好の入学式日和って奴だな。
 俺は、校門の脇に置いてある「入学式」の立て看板を見上げながら呟いた。
 どうやら式も終わったらしく、三々五々、新しい制服に身を包んだ生徒達が出てくる。
「よぉ、椎名」
 その生徒達に混じって校門から出てきた椎名を見つけ、俺は軽く手を挙げて声をかけた。
 一瞬、怪訝そうな顔をして辺りを見回した椎名は、俺に気付いてぱっと表情を明るくし、駆け寄ってきた。
「こうへー♪」
 そのまま、ぱふっと俺に抱きつく。おれはよしよしと頭を撫でてやりながら訊ねた。
「入学式は終わったか?」
 うんっ
「ちゃんと大人しくしてたか?」
 う……、うんっ
「ほんとかぁ〜?」
 う……。
「ちょっとだけ」
 やれやれ。
「先生に怒られたか。しょうがないやつ」
 うーっ
 ちょっと膨れて俺を見上げる椎名。
「がんばったもぉん」
「そうだな」
 俺はもう一度、その頭を撫でてやった。気持ちよさそうに目を細める椎名。
「はうーーっ」
 本当に小動物みたいなやつ。

 俺が“えいえんのせかい”から戻ってきて、しばらくたっていた。
 ちょうど、椎名の卒業式に間に合った俺。だが、あれ以来椎名とは逢っていない。
 “えいえんのせかい”から戻ってきた俺が、その後処理に忙殺されていた、ということもある。なんせ、1年もどこかにふらっと行方不明になっていたわけだ。由起子さんや長森を始め、皆が俺のことを思いだしていてくれたのは助かったが、何処に行っていたかの説明だけでも大変だった。
 だけど、椎名に逢わなかった理由は、それだけじゃない。
 ……どうしていいのか、判らなかったんだ。
 確かに、また椎名と逢いたいと思っていた。多分、椎名もそう思っていてくれた。だから俺は帰って来られた。
 だけど、帰ってきたら帰ってきたで、それからどうすればいいのか判らなかったのだ。
 だから、逢いに行かなかった。
 だけど……。

「ええーっ!? それじゃ繭とずっと逢ってないの?」
「……ああ」
 俺が頷くと、長森は呆れたような怒ったような、複雑な顔をした。
「ダメだよ、それじゃ。繭、寂しがってるよ」
「そう言われてもなぁ……」
「明日、暇だよね」
 唐突に長森に言われて、俺は頷いた。
「まぁ……」
「明日ね、繭入学式なんだよ。だから、お祝いするから、浩平が繭を呼んで来て」
「俺が?」
「うん。わたし達はハンバーガー屋さんで待ってるから」
「それじゃ長森が迎えに……」
「ダメだよって言ってるじゃない。浩平が行かないと意味がないんだもん」
 きっぱりと言われてしまった。長森の奴、自分のことはともかく、他人が絡むと強情で折れようとしないからなぁ。
「へいへい、判りました」
 俺が頷くと、長森は満足げに頷いた。
「それでいいんだよ。さて、七瀬さんも呼ばなくちゃ」
「七瀬も?」
「うん。だって、繭って七瀬さんとも仲良かったじゃない」
 長森は頷くと、もう一度俺を見た。
「ちゃんと迎えに行くんだよ」
 念を押されては頷くしかないだろう。

 というわけで、俺は椎名を呼びに来たというわけだ。
「さて、それじゃ」
 と、俺が言いかけたところで、声が聞こえた。
「もーっ、繭ちゃん! さっさと走って行かないでよぉ!」
 その声に顔を上げると、ぜいぜいと息をついている女の子がいた。顔を上げて、初めて俺に気付いたようで、ちょっとうろたえる。
「あ、えっと……」
「みあちゃん」
 椎名が声をあげた。俺をちらっと見上げ、その娘を見て、結局俺にしがみついたままだった。
 ……なんかわかりやすい奴だ。
「こ、こんにちわ」
 ぺこりと頭を下げると、その娘は俺を見た。それからぽんと手を打つ。
「そういえば、卒業式の時も逢いましたよね」
 それで、俺も思い出した。確か、椎名の友達になってくれた娘で……。
「みあちゃん、だったよね?」
「えっ? あ、はい。増葉みあです」
 ぺこりと頭を下げるみあちゃん。ううむ、輪っかの髪型といい、さすが椎名と友達になるだけあって個性的な娘のようだ。
「おっと、そういえば紹介がまだだったっけ。俺は折原浩平。こいつの……」
「知ってますよ。彼氏、なんですよね」
「うんっ♪」
 思わず赤面する俺の胸にしがみついたまま、椎名が嬉しそうに頷く。
「ま、まぁ、彼氏兼保護者ってところだけど。それより、今日はこれから何か予定ある?」
「え? いえ、別に。繭ちゃんと遊びに行こうかなって思ってたんですけど、繭ちゃん折原さんといる方がいいみたいだし……」
「うんっ」
 ……椎名、お前少し親友の気づかいも判れよ……。って、まだ無理かな。
「いや、俺と長森……って、こいつの世話してやったことがある俺の友達だけど、そいつらと集まってお祝いしてやろうと思ってるんだけど、よかったらみあちゃんも来ないか?」
「長森さんですか? あ、知ってます。時々繭ちゃんとこに遊びに来てましたから」
 こくこくと頷くみあちゃん。それから俺に尋ねる。
「でも、いいんですか? あたしがお邪魔して」
「全然。まぁ、椎名の慰労会みたいなもんだからさ」
 俺は椎名の頭をぽんぽんと叩きながら言った。
「確かにそうですよねぇ〜。繭ちゃん、じっとしてるの苦手だから、今日もご苦労様って感じで」
 そう言って笑うみあちゃん。
「よし、決まりだ。行くぞ椎名っ」
「うんっ」
 ……よく考えると、肝心の椎名の了解を取ってないような気がするが、まぁいいや。

 ウィーン
「いらっしゃいませ」
 ハンバーガーショップに入ると、椎名が「わぁ」と顔を輝かせながらカウンターに駆け寄っていく。
 俺は店内を見回して、なにやらしゃべっている長森と七瀬の姿を見つけて声をかけた。
「待たせたな」
「あ、浩平。遅かったね〜」
「もう、乙女を何分待たせる気よ」
 にこにこしている長森と、ぷっと膨れる七瀬に軽く手を振ってから、俺はカウンターに慌てて駆け寄った。
 案の定、椎名が注文している。
「てりやきと、てりやきと、なげっととてりやき……」
「ちょっと繭ちゃん、そんなに注文しても食べられないよっ!」
「食べれるもぉん! てりやきと、ぽてとのおおきいのとてりやき……」
「やめいっ! あ、すみません、今のキャンセルしてくださいっ」
 俺は店員に言うと、不満そうにうーっと俺を見上げる椎名と、苦笑しているみあちゃんに、先に席の方に行って貰うことにした。

 とりあえずセットを3つとてりやき3つ(椎名用)をトレイに乗せて席に行くと、椎名はご機嫌だった。そして、それに反比例して七瀬は不機嫌だった。
「ううっ、忘れてたわ……」
「みゅ〜っ♪」
 椎名は七瀬のおさげにじゃれついており、長森はというと、みあちゃんとなにやら仲良く話をしている。
 俺はトレイをテーブルに置くと、声をかけた。
「椎名、てりやきだぞ」
「わぁ」
 椎名は嬉しそうにてりやきに駆け寄る。七瀬のお下げを掴んだまま。
「ぐわぁっ! こらっ、髪の毛引っ張ったまま走っていくなぁっ!」
「七瀬、相変わらず元気そうだな」
「あのねぇっ! この娘なんとかしなさいよっ!」
「そう言うな。椎名も喜んでるんだからガマンしろ」
「みゅ〜」
「ったく。そのセットよこしなさいよっ!」
「あ、俺のセット! 何をする七瀬っ!」
「乙女のヤケ食いよっ!」
「みゅ〜っ♪」
 早速てりやきの包みを解いて頬張る椎名。
「あ、こら椎名。制服が汚れるぞ。今回は自前の制服なんだからな」
「あたしの制服ならよかったっての!?」
 また七瀬がなにかぶつぶつ言ってるが、俺は無視して椎名に尋ねた。
「美味いか?」
「うんっ!」
 にこにこしながら答える椎名。
「そっかそっか。今日は入学祝いだ、好きなだけ食えよ」
「うんっ」
「よしよし」
 また頭を撫でてやる。
「本当に仲が良いんですね。折原さんと繭ちゃんって」
「そうなんだよ〜」
 横で長森とみあちゃんが話している。
「でも、折原さんと長森さんが幼なじみ同士って知りませんでした」
「あれっ? 言ったこと無かった?」
「ええ。っていうか、長森さんから折原さんのこと聞いたことなかったような……」
 小首をかしげるみあちゃん。
 俺は苦笑した。長森が俺のことをみあちゃんに話してなかったのは、俺が“えいえんのせかい”に行っていたせいで、椎名以外は皆、俺のことを忘れ去っていたからなのだが、まぁそう言うわけにもいかないだろう。
「長森のやつ、よほど俺が椎名に取られたのが悔しかったんだな」
「ええーっ? そんなことないよぉ。わたし別に悔しくなんてなかったもん」
「わぁ、やっぱりそうだったんですか? すごぉい、まるでトレンディドラマみたい〜」
「違うよぉ、もうみあちゃんまで〜」
 苦笑すると、長森はホットミルクの入った紙コップを両手で包み込んだ。
「わたし、ずっと、浩平には誰かがついてないとダメなんだって思ってたんだよ……。だから、その誰かが出てきてくれるまで、わたしがついててあげなくちゃって……。でも、浩平は繭の世話をしてるうちに、誰かがついてなくても大丈夫になっちゃったんだよね」
「……」
「だからね、繭には感謝してるんだよ。浩平って、繭を育ててるつもりだったかもしれないけど、わたしから見てると、浩平だって繭に育てられてたって部分があったんだもん」
「ほえ?」
 突然自分の名前が出たので、てりやきから口を離してきょとんとする椎名。
 しかし、長森がそんなふうに俺を見てたとは……。いや、いつも「世話してくれる人がいないと心配だよ」と言ってたのは覚えてるんだが、俺が椎名に育てられてると見てたとは。さすが猫好きだけあるな。って、関係ないか。
「そうなんですか?」
 みあちゃんが興味津々と言う感じで、俺と椎名を見比べながら聞き返す。
 長森はうんうんと頷いた。
「うん、そうだよ。だって浩平、すっごく丸くなったもん」
「俺、太ったのか?」
「もう、浩平ってば。違うよ〜。人間的にって意味だもん」
 ぷっと膨れる長森。
 まぁ、そうかもしれないな。椎名と付き合うには、短気じゃやってられないところがあるし。
「そうなんだ。よかったね、繭ちゃん」
 みあちゃんに言われて、また「ほえ」という顔をする椎名。俺は苦笑してその頭を撫でた。
「いいから、食え」
「うんっ」
 笑顔で頷いて、またてりやきに戻る椎名。お、4つめじゃないか。成長したな。

 結局4つ半食べたところで、椎名は「おなかいっぱい」になったので、俺達はハンバーガー屋さんを出た。
「さてと、あたしはもう帰るとするわ。この娘が相変わらずなのも確認できたし」
 七瀬が伸びをしながら言った。
「それじゃわたしも帰ろうかな。みあちゃんもこっちよね。一緒に帰ろ」
「そうですね。それじゃ繭ちゃん、また明日、学校で逢おうねっ」
 みあちゃんは椎名の手を握ってぶんぶんと振った。
「うんっ」
 椎名もぶんぶんと振り返し、それから顔を合わせて笑った。
「それじゃ浩平。繭ちゃんちゃんと送ってね」
「お、おう」
「じゃ〜ねぇ〜!」
 長森は手を振ると、みあちゃんと並んで歩いていった。
 ……よく考えると、長森の家は俺の家の近所じゃないか。なんで俺と一緒に帰らないんだろう?
 気を利かせたってことか。長森のくせに。
 俺は振り返った。
「それじゃ、帰るか、椎名」
 ……
 椎名は、俺の服を握ってじぃっと俺を見上げる。
 そっか。
「よし、それじゃちょっと寄り道していくか」
 そう言うと、椎名は笑顔になって頷いた。
「うんっ!」
「何処に行きたい?」
 俺が訊ねると、少し考えてから椎名は言った。
「みゅーのとこ」
「みゅーのとこって? ……ああ、学校の裏山か」
 少し考えて思い出した。あそこにみゅーの墓があるんだよな。
「みゅーに逢いに行くのか?」
「ううん」
 椎名は首を振った。
「しずかなとこにいきたい」
「静かな所、か……。よし、行くか」
 俺はポケットに手を突っ込んで歩き出した。後から椎名がちょこちょことついてくる。

 俺達は、学校の裏山に来ていた。
 椎名と初めて逢った場所。
 みゅーのいるところ。
「もう、すっかり春だよな」
 俺は、木漏れ日に目を細めながら呟いた。
 まだ冬の気配を残しながらも、雑木林は、柔らかな緑色をまとい始めている。
 椎名は、俺の背中に頬をすりすりとすり寄せている。
 相変わらず、小動物みたいな奴だ。
「なぁ、椎名」
 振り返る。
 ほぇ? という顔で俺を見上げる椎名。
 俺は前に向き直ると、空を見上げた。
「……ゆっくり、行こうや」
「ゆっくり?」
「そ。ゆっくり」
「わかった」
 こくりと頷く椎名。
 1年前。
 あのとき、消えると判っていた俺は、急ぎすぎていたかもしれない。
 今度は、ゆっくりやろう。
 時間は、俺達の前に、無限と言っていいほどあるんだ。
「それじゃ、行こうぜ」
「こーへー……。うんっ」
 椎名は頷いて、差し出した俺の手をぎゅっと握った。そして、不意に俺の顔を見上げた。
「ん? どうした?」
「……おかえり」
 椎名は微笑んだ。
 ああ、そっか。そういえば、まだ言ってなかったっけ。
「ただいま、繭」

 抱きしめた繭の体は、とても小さくて、でも、とても暖かだった。

"God's in his heaven,all's right with the world."

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