キーッ
"God's in his heaven,all's right with the world."
駅前のロータリーに車を止めると、俺はサングラスをかけて、ドアを開けた。
雑踏のざわめきは、昔と変わらないが、駅前の様子は大分変わってしまったなぁ。
俺らしくもなく、感慨に耽っていると、不意に後ろから声が聞こえた。
「浩平〜〜〜っ!」
「お?」
振り返ると、あいつが手を振っていた。そのまますたたっと駆け寄ってくると、俺に飛びついてくる。
「おおっと!」
ボゴン
俺はそれを受け止めきれずに、ちょうど車との間にはさまってしまった。腰をしたたかドアにぶつけて、顔をしかめる。
「つつ〜〜」
「わぁっ、ごめんなさいっ」
「おまえなぁ……」
「だぁってぇ」
俯いて、上目遣いに俺を見上げる。
「逢いたかったんだもぉん」
「ったく」
俺は軽く頭をこづいた。
「お前ももう二十歳過ぎたんだろうが。いつまでも甘えてるんじゃ……」
「みゅ〜〜」
言ってる先から、俺の胸に鼻をすりつけてる。ったく、変わらねぇ奴。
ま、いいか。
「それじゃ、そろそろ行こうか、椎名」
「うんっ」
椎名は、顔をあげると、嬉しそうに車の反対側に駆けていった。
俺は、運転席に乗り込むと、助手席側の鍵を開けてやった。
ガチャッ
ドアを開けると、椎名が乗り込んでくる。
「狭い〜」
「文句言うなっ! 言うなら乗せてやらんぞっ」
「あ〜、冗談だよっ、冗談っ」
慌ててぱたぱたと手を振ると、それでも追い出されると思ったのか、素早くシートベルトを締めて、さらにそのシートベルトをぎゅっと握って、俺の顔色をうかがう椎名。
なんて言うか、相変わらず動物チックな奴だ。
ま、そこが可愛いところでもあるんだけどな。
「それじゃ、行くぞ」
「んっ」
俺は、ギヤを入れると、車をバックさせた。それからハンドルを切って、ロータリーから出る。
「さて、どこに行く?」
「てりやきゥ」
運転中ということも忘れ、俺は思わず椎名の方をまじまじと見てしまった。
「なんだとっ!?」
それから慌てて前に向き直り、ハンドルを切りながら言う。
「おまえなぁ……、歳を考えろとは言わんが、いくらなんでも……」
「食べたいんだもぉん。食べたい食べたいっ」
ぶんぶんと首を振って(抗議のつもりらしい)言う椎名。
俺はため息をついて、車をハンバーガー屋に向けた。
「へいへい。ドライブスルーでいいな?」
「うんっ。てりやきっゥ」
にこにこしてやがる。……わかりやすい奴。
車は市街を離れていく。
俺は、隣でてりやきを頬張る椎名の様子に苦笑しながら、ハンドルを握っていた。
「ったく。10個も買うか? 進歩のない奴だな」
「ふぁっふぇふぁっふぇ……」
「あ〜、わかったから、食べてからしゃべれ」
うん、とうなずくと、4つ目に取りかかる。まぁ、あの頃よりは量を食べられるようになったのが進歩といえば進歩か?
などと思っていると、不意に椎名が食べるのを止める。
「……もう、おなかいっぱい……」
「……あのな」
そう言いながら、ちらっと腕時計を見る。
……まだ、ちょっと早いよな。
心の中で、そう言い訳をしながら、椎名に言う。
「ちょっと、寄り道するぞ」
「ふぇ?」
俺は、分かれ道でハンドルを切った。
キィッ
山の上にある駐車場で車を止める。
椎名はシートベルトを外すのももどかしく、車から飛び出していった。
「うわぁ〜、いい風だよ〜、浩平〜〜」
声を上げながら、手を広げてぱたぱたと駆け回る。
俺は、車のボンネットに肘をついて、そんな椎名を見つめていた。
椎名は駐車場の端まで駆けていくと、俺を手招きする。
「浩平〜。すっごくいい景色だよ〜」
「そんなにはしゃぐなって」
苦笑しながら、俺は椎名の隣まで歩いていった。
「ほぅ……」
思わず声が漏れた。確かにいい景色だ。
街がミニチュアのように小さく眼下に見え、山は緑に染まって、空はあくまでも青い。
「よかったね、いい天気で」
「そうだな」
そう言いながら、ポケットから煙草を出してくわえる。
「あっ」
ピッ
俺の口から煙草が消えていた。
「煙草はだめっ!」
「なんでだよ」
「長生きしてもらわないと、嫌だもぉん」
そう言って、椎名は煙草を……どうすればいいのか困っているようだ。
「わかった。吸わないから返せ」
「ほんと〜?」
じろっと見てから、椎名はしぶしぶ俺に煙草を渡した。
「だめだよ」
「へいへい」
俺は肩をすくめて、煙草を箱に戻した。それから、深呼吸する。
「空気が美味いな」
「……浩平」
椎名は、俺の脇にぴとっとくっついた。
「ホントは、どこ行くの?」
「……」
俺は、しばらく、黙っていた。
風が、俺と椎名の髪を揺らした。
……ここまで来て、俺は何をしてるんだ?
「……墓参りだ」
「お墓?」
「……」
ポケットに手を突っ込んで、背を向ける。
「妹の……な」
さらに山を二つ越えたところにある、大規模霊園。その一角に、ひとつの墓があった。
俺は、その前に立って、ただ黙って墓石に刻まれた名前を見つめていた。
『折原美沙緒』
「妹……?」
墓石と俺を交互に見ながら、椎名が尋ねる。
「……ああ。ずっと前に……死んだんだ」
墓の前に屈んで、手を合わせる。
……20年近くぶりだ。ここに来たのは。
なにしろ、あの葬式以来だからな……。
ずっと、ここに来る勇気が出せなかった。
ここに来れば、みさおは死んだんだって。もういないんだって、自分で認めちまうような気がして……。
隣にいる、こいつがいなかったら、まだ、俺はここには来られなかっただろう。
俺は、ちらっと、俺の隣で同じようにかがんで手を合わせている椎名を見た。
それから、心の中で、墓石に話しかける。
こいつが、俺が選んだ娘だよ、みさお。
こいつがいてくれたから、俺はここにいるんだ。
だから、俺は……。
ごめん、みさお。でも、もう、いいよな?
「……繭」
「……え?」
目を閉じて、手を合わせていた椎名は、驚いたように目を開けて、俺を見た。
「な、なぁに?」
俺は立ち上がった。
「帰ろう」
「う、うん……」
椎名は、立ち上がると、もう一度墓にぺこっと頭を下げた。それから、俺の腕をつかんだ。
俺は、椎名を腕に掴まらせたまま、歩き出した。
ブロロローー
車は、駅に向かって走っている。
駅に着けば、椎名は列車に乗って、帰っていくんだよな……。
「……浩平」
「何だ?」
「どうして……、連れてったの?」
「さぁ……。何となく、かな」
「そっか……」
椎名は、助手席のシートに潜り込むようにして、前に向き直った。
「みさおに紹介しておきたくてな。お前のこと……」
「えっ?」
ぴょこんと、椎名がこっちを見る。
「……それより、てりやきハンバーガー食わないのか? なら俺にくれ」
「食べれるもん」
そう言うと、椎名は、ダッシュボードに転がっているてりやきの包みを開けた。それから、俺に差し出す。
「一つならあげる」
「おっ、サンキュ」
俺は、椎名の差し出したてりやきに食いついた。それから、腕時計を見る。
「なぁ、椎名。まだ時間、あるのか?」
「ん〜〜。ある〜〜」
ちょっと考えてから、頷く椎名。
「そっか。それじゃ、もう一カ所寄っていくか」
「どこ〜?」
「みゅーの所だ」
俺はハンドルを切った。
高台にある公園へと続く階段を上がるだけで、息が切れてきた。
俺は途中で止まって、一息入れる。
高校の頃は一気に駆け上がってたもんなのになぁ……。
「浩平〜〜〜!」
とっくにあがった椎名が、上で手を振っている。
「早く、早く〜」
「おまえなぁ。ちっとは年寄りをいたわれっ」
「浩平が遅いんだも〜ん」
そう言って笑うと、椎名は階段を駆け下りてきた。そして、俺の手を掴んで引っ張る。
「行こうよ〜」
「へいへい」
俺はしぶしぶ、階段を上り始めた。
公園の裏手の雑木林はそのままだった。だが、その途中にあったはずのみゅーの墓は、どこなのか判らなくなっていた。
ま、無理もないか。墓って言っても、単にみゅーを埋めた上に石をおいただけだったし、それにこれだけ年月が流れてるんだ。
「みゅー、いない……」
寂しそうにつぶやく椎名。今まで元気一杯だったのが、すっかりしょんぼりしている。
俺は、そんな椎名の肩を抱き寄せた。
「大丈夫だよ。みゅーは、ここにいる」
「えっ?」
「みゅーは、この山になったんだよ」
俺は、空いている方の手を大きく回した。
「みゅーーっ!」
椎名は大きな声で叫んだ。それから、耳に手を当てて、かすかに微笑んだ。
「みゅーの声がするぅ……」
「そうだろ?」
俺は椎名の肩を叩いた。そして、空を見上げた。
心配するなよ、みゅー。椎名は、こんなに元気だぜ。
……おめぇが生きている間に逢いたかったな。
「……それじゃ、そろそろ帰るか」
「……」
時計をちらっと見て、椎名は俯いて、頷いた。
駅の改札前。
椎名は、寂しそうに俺に抱きついた。
「今度、いつ逢えるぅ?」
「さぁな……」
俺が肩をすくめると、椎名は俺の胸に顔を埋めると、「ふぃふぃ」とよくわからない声をだした。
「なんだよ?」
「……みゅ〜〜」
そのままの姿勢で、椎名は俺の背中に腕を回して、ぎゅっと抱きしめた。
苦笑して、俺はそんな椎名の頭をぐいっと自分の胸に押しつけた。
「ほえ?」
顔を上げる椎名に、俺は屈み込んで、そっとキスをした。
「あっ……ん……」
ちょっとびくっとして、それからふにゃ〜っとなる椎名。キスをするといつもこうなるのがなんとも可愛い。
「もうっ、浩平のえっち……」
ちょっと赤くなると、椎名はぴたっと俺の胸に頬をすりつけた。
「なぁ……。今度はおまえの両親の墓参りに行こうと思うんだが……、どうだろう?」
「えっ?」
「ちゃんと、挨拶しないとな」
俺が言うと、椎名は一瞬きょとんとして、それから笑ってうなずいた。
「うんっ!」