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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #13
お正月のお嬢さん

 俺達の正月は、相変わらず無茶苦茶である。
 というわけで、今年も俺の部屋では住井達が一升瓶と共に転がっていたりする。
「おいっ、折原っ」
 寝ていたと思った住井が、いきなり身体を起こして俺に尋ねた。
「何だよ?」
「お前、里村さんと付き合ってもうずいぶんになるよなっ」
「ああ、そうだな」
「で、上手いこといってるのか?」
「くっくっくっ。俺と茜はもう他人じゃないんだ」
 言っておくが、俺も住井も酔っぱらっている。しらふでこんなこと言えるわけがない。
「なんだとぉーーーっ」
 いきなり、こたつの反対側で寝ていた沢口が起きあがった。
「俺は南だっ! それよりも、ホントに里村さんと、やったのかっ!?」
 ぐいっと迫る沢口。
 俺は余裕の笑みを浮かべてVサインをした。
「ちなみに処女だったぞっ」
「くっそぉ! 俺にそこの一升瓶よこせっ!」
「ほれっ!」
 住井が渡した一升瓶を、沢口はラッパ飲みした。一気に飲み干して、ぐいっと口を袖で拭う。
「畜生、どうして里村さんがこんなやろうと……」
「もしかして沢口、お前……」
「俺は南だっ!」
 と。
 ピンポーン
 チャイムの音が鳴った。
 由起子さんは正月早々だというのに仕事に出かけてしまって、今はいない。
「……俺か?」
 自分をさして訊ねると、皆深々と頷いた。
 面倒だな。長森を呼びだして応対させるか?
 ピンポーン
 電話に手を伸ばしかけたところで、もう一度チャイムが鳴った。
 仕方ない。
 俺はため息を付くと、立ち上がった。
「それじゃ、皆の衆、さらばだっ」
「おうっ、骨は拾ってやるぞっ」
「玉砕しちまえっ!」
 皆の熱い声援を受けて、俺は部屋を出た。
 寒い廊下に出て、少しは頭がすっきりした。
 正月早々に家に来るなんて酔狂な奴は……、そうか、長森か。ちょうどよかった。部屋まで連れてきて酒の酌でもさせるか。
 そう思いながらドアを開けると、そこには茜によく似た長森が立っていた。
「よう、長森。よく来たなぁ。まぁ、あがれ」
「……もしかして、酔っぱらっているんですか?」
 茜によく似た長森は、茜によく似た声で言った。
「おうっ、酔っぱらってなんていないとも言えなくもないかもしれないぞ」
「……」
「いいから、あがれって」
 俺は長森の肩に手を回して引っ張り上げた。長森はため息をついて、俺の後について来た。

「一同の者、待たせたなっ!」
 俺はドアを開けて叫んだ。そして長森を前に出す。
「連れてきたぞっ」
「あれ? 里村さんっ!?」
 慌てて立ち上がる沢口。
「俺は南だっつーの!」
 ……。
「ちょっと待て、沢口」
 俺はなおも何か言いたそうにしている沢口を止めると、長森をくるっとこっちに向かせた。それから、もう一度後ろを向かせる。
「……くるくる回すのは、やめてください」
 長森が文句を言うが、とりあえず無視して住井に聞く。
「なぁ、住井。こいつは誰だ?」
「……」
 一瞬、沈黙が部屋を満たした後、住井は頭を掻いた。
「七瀬さんか?」
「俺は長森だと思ったんだが。沢口は里村に見えるのか?」
「どう見ても里村さんだっ! それに俺は……」
「まぁ、待て」
 俺はしばらく腕組みして考えた後、訊ねた。
「で、お前は本当は誰だ?」
「……」
 長森は深々とため息を付いた。そしてきびすを返す。
「帰ります」
「……冗談の通じない奴だなぁ」
 俺は肩をすくめた。
「折原の冗談をまともに受けられるのは長森さんくらいだろうなぁ」
 後ろで住井が何か言っているが無視して、俺は訊ねた。
「で、どうしたんだ、茜?」
「ああっ、呼び捨てにしてるのか貴様っ!」
「うるさいぞ沢口!」
「……詩子に呼び出されました」
「柚木に?」
 思わず俺が聞き返すと同時に、いきなりチャイムの音が鳴り響いた。
 ピンポンピンポンピンポンピピピピピピンポン
「だぁーっ!」
 俺は思わず叫びながら、階段を駆け下り、玄関を開ける。
「あ、いたいた。茜来てるぅ〜?」
 にこにこしながら、柚木が顔を出す。そして、茜の靴を見つけて俺に言った。
「もう来てたんだ。それじゃ上がらせてもらうね〜」
「待てっ、その前に説明を……」
「あ〜、みんなもいたんだぁ。お久しぶり〜」
 俺が言いかけている間にも、さっさと上がり込んだ柚木が、部屋から顔を出している住井達を見つけて手を振っている。
「お、柚木さんか。汚いところだけど、上がって……って、もう上がってるか。とりあえず、こっちこっち」
 住井が手招きをしている。
「茜もいるの?」
 身軽に階段を駆け上がりながら訊ねる柚木。答えるように、茜も顔を出す。
「……はい」
「おっけー!」
「オッケーじゃないだろっ!」
 階段の下で一人叫ぶ俺の声が、むなしく響くのだった……。

 男どもだけならまだしも、茜と柚木を収容するには俺の部屋は狭すぎるので、仕方なく場所をリビングに移すことにした。
「へぇ〜、それじゃ年末からずっと泊まり込みなんだ。いいなぁ〜」
「来れば良かったのに。柚木さんならいつでも歓迎だぜ」
「そっか〜。それじゃ今日からおじゃましようかな」
 にこにこしながら言う柚木。俺は慌ててそれを止めた。
「ダメだ、帰れ!」
「帰れってよ、茜〜」
「茜には言ってないわい!」
「なんでよ〜、けち〜」
「そう言う問題か! って、沢口、茜に何飲ませてるっ!?」
 ふと気づくと、沢口が茜に純米酒を勧めている。
「……」
「さ、ぐっと行こう、ぐっと」
 升になみなみと注がれた酒をじっと見ていた茜は、俺をちらっと見る。
 いいんですか?
 ……とりあえず、付き合いだ。すまん。
 ……はい。
 頷くと、茜はくいっと升を傾けた。
 こく、こく、こく……。
 白い喉が動き、酒を飲み干していく。
「おおっ、いい飲みっぷりだねぇ、里村さん」
「あっ! 茜だけずるい〜。あたしも飲む〜!」
「よし、それじゃみんなで飲もうっ!」
 俺が止める間もなく、酒盛りが始まってしまった。

 数時間後。
「キャハハッ、みんなお酒弱いのねぇ〜」
 すっかりハイになって笑っている柚木の周りには、男達が倒れている。
 まぁ、茜達が来るずっと前から飲み続けてたからなぁ。無理もなかろう。
 俺は茜の方を見た。
 しかし、茜は相変わらず酒に強い。沢口がやたら勧めていた分、柚木よりも飲んでいるはずだが、ちょっと赤くなっている程度である。
「それで、茜」
「はい」
「俺の家まで、何しに来たんだっけ?」
「それはれ〜」
 柚木が赤い顔を俺の前に突き出した。
「茜がね、折原君も誘って初詣に行こうって行ったのだよん」
「初詣?」
「……はい」
 茜はこくりと頷いた。
 初詣、かぁ。もう何年も行ってないな。最後に行ったのは、長森に引っ張られていった中学1年のときだったか?
「よし。行こうか?」
「はい」
 こくりとうなずくと、茜はすっくと立ち上がった。続いて柚木も立ち上がり……かけて、こける。
「ひゃらら、世界が回ってるぅぅ」
「……詩子……」
「お前は飲み過ぎだ。そこで寝てろ」
「そーするぅ〜」
 そのままソファに寝そべると、柚木はすーすーと寝息を立て始めた。
「お、おいっ、寝るなぁっ、眠ったら死ぬぞぉっ!!」
「無理です。詩子は一度寝ると起きませんから」
 茜はあっさりと言うと、俺に尋ねた。
「浩平、行かないんですか?」
「うーん」
 俺は少し考えた。
 ま、いいか。
「よし、行こう」
「……はい」
 茜は頷いた。

 近所の神社にやってくると、流石にすごい混雑だった。
 思わず鳥居のところで立ち止まると、それを眺めてしまう。
「すごい人出じゃないか」
「……お正月ですから」
「まぁ、そうだな。で、茜。あそこに行くのか?」
 俺が改めて訊ねると、茜は困ったような顔をした。
 茜も人混みは嫌いなのである。茜が人混みをものともしないときは、甘いものが絡むときだけだ。
「……どうしましょう?」
「せっかくここまで来たんだし、行くか」
「……はい」
 こくりとうなずくと、茜は俺のセーターの袖を掴んだ。
「うん?」
「こうして、掴まっていていいですか?」
「それより、手を繋いだほうがいいと思うんだが……」
「恥ずかしいから、嫌です」
 ……この格好の方が恥ずかしいような気もするんだが、茜がそう言うなら仕方ない。
「それじゃ、しっかり掴まってろよ」
 そう言うと、俺達は人混みの中に突入した。

 人混みに揉まれながらも、なんとか最前列までたどり着いた俺達は、賽銭を放り込んでとりあえず手を合わせただけで、逃げるようにその場を離れた。
 ようやく、境内の、多少は身動きできるまで人の減った(それでもまだまだ大量にいるが)ところまで出てきて、お互いに顔を見合わせて一息つく。
「死ぬかと思った」
「……はい」
 何となく可笑しくなって、笑うと、茜も微笑みをみせた。それから、不意に鼻をぴくっと動かす。
「いい匂いがします」
「ん? そうだな、今日は境内に屋台も出てるから……」
 言いかけた時には、既に茜は歩き出していた。俺は慌ててその後を追いかける。
「おーい、茜さ〜ん」
「こっちです」
 そのまますたすたと歩いていく茜。

 茜が立ち止まったのは、やっぱりと言うかなんと言うか、たい焼きの屋台だった。
「おっ、たい焼きか」
「美味しそうです」
 おっちゃんが鉄板を開けると、湯気と共にたい焼きが姿を現す。
「お嬢さん、買ってかない?」
「はい、買います」
 おっちゃんの言葉に二つ返事で答える茜。
「まいどありぃ。いくつだね?」
「18です」
「違うっ、いくつ買うかって聞いてるんだよっ! おっちゃん、2つで十分ですよぉ」
 俺が慌てて口を挟む。
「……」
 茜は無言で俺に視線を向ける。……うっ。
「……おっちゃん、3つにしてくれ」
 俺は茜の「悲しそうな視線」に負けて、たい焼きを一つ追加した。

 暖かいたい焼きの入った紙袋を抱えて、それなりに幸せそうに歩く茜。
 神社の大鳥居をくぐって出たところで、俺は訊ねた。
「で、真っ直ぐうちに戻るか?」
「……嫌です」
 あの惨状を思い出したのか、途端に嫌そうに顔をしかめる茜。
 俺も、まぁあそこに戻って住井や沢口との酒盛りに戻るよりは、こうして茜と一緒にいた方が数万倍いいに決まっている。
「それじゃさ、あの公園に行くか」
「……寒いです」
 そう言うと、茜は俺の顔を見上げた。
「でも、構いません」
「そっか」
 俺達は、公園に向かった。

 公園のベンチに並んで座ると、茜は紙袋からたい焼きを出すと、俺に渡した。
「どうぞ」
「サンキュ」
 まだ熱いたい焼きを、頭からかぶりつく。甘い。
「……美味しいです」
「そうだな……」
 しばらく、黙ってたい焼きを食べる。
 俺がさっさと食べ終わると、茜はまだ半分くらいしか食べていなかった。
 俺は、何となく空を見上げた。
「いい天気だな……」
 青空が広がっていた。
 ……しみじみと、平和だな。
 すぐそばに茜がいて、なんていうか、生きててよかったと実感する時だ。
「なぁ、茜さんや」
「……はい」
 返事に続いて、がさがさと紙袋を開く音。どうやら1尾目は食べ終わったらしい。
「幸せって感じ、しないか?」
「……はい」
 一拍置いて、茜の返事。
「幸せです」
 静かな声。
「あなたが、いてくれるから……」
「……へへっ」
 なんとなく照れくさくなって、俺は鼻をこすった。
「茜には、感謝しないとな」
「……はい」
 茜がいなかったら……。俺はあの“えいえんのせかい”から戻ってくることは出来なかっただろう。
 それは確かだ。
「なぁ、茜さん」
「……はい」
「キスしない?」
「……嫌です」
 あっさりと言われてしまった。俺は苦笑する。
「そっか」
「はい」
 そして、しばらく沈黙。でも、気まずい沈黙じゃなくて、むしろ心地よい沈黙だった。

「……お待たせしました」
 紙袋を丁寧に畳みながら、茜が言った。
「おう。美味かったか?」
 立ち上がりながら、俺は訊ねた。
「はい。とても美味しかったです」
 茜はかすかに微笑んだ。
 茜も立ち上がると、ふと気付いたように、俺に言った。
「浩平、口にあんこが付いています」
「ん? そっか?」
「取ってあげますよ」
 茜は俺の顔に自分の顔を近づけた。それから、言う。
「こういうとき、男の人は……」
「俯いてくれるものです、か?」
 俺はそう言いながら、俯いた。
 茜の舌が、俺の唇をぺろっと舐める。そして……。

 今年のファーストキスは、あんこの味がした。

"God's in his heaven,all's right with the world."

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