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ONE 〜into the Bright Season〜 Short Story #11
春のお嬢さん

 サワサワッ
 すっかり暖かくなった風が、ピンク色の花びらを揺する。
 茜は、心なしか嬉しそうに、満開の桜を見上げていた。
「あっかね〜ちゃん」
 俺が声をかけると、嫌そうに振り返る。
「……そんな呼び方をしないでください」
「どうして?」
「すぐに真似をする人がいます」
「あっかね〜ちゃん」
 後から声が聞こえてきた。茜が「ほら」という顔をする。
 俺は振り返った。
「柚木、その呼び方は俺だけの特権だ」
「硬いこと、言いっこなしっ。ね、ね?」
 柚木がにこにこしながら言った。その後ろで澪がうんうんと笑顔でうなずく。
 ……って、ちょっと待て。
 柚木は、いつもどこからともなくわいて出てくるからいいとして、澪がなんでここにいるんだ?
 俺の表情を読みとったらしく、茜が淡々と言った。
「私が呼びました」
 『呼んでもらったの』
 うれしそうにスケッチブックを広げる澪。
 俺と二人っきりのお花見じゃなかったのか?
 みんなのほうが楽しいですから。
 目で会話を交わす俺と茜。
「ちょっとちょっと、この詩子さんをほっといて、なぁに見つめ合ってるのよ〜」
 柚木が割り込むと、茜は珍しく、ちょっとむっとした表情になった。
「あら〜、茜ったら、そんなに怒ることないじゃないの〜」
「……」
 茜が無言でいると、柚木はかくっと肩を落とした。
「ホントに強情なんだから。わかったわよ。後でパタポ屋のクレープでもおごるわよ」
「山葉堂のワッフル……」
「それは折原君におごってもらいなさい」
「……はい」
 ちょっと待てい! 勝手に話を進めるなっ!
 という俺の心の叫びもむなしく、いつの間にかそういうことになったらしく、茜は俺に視線を向けると、微笑して頭を軽く下げた。
 ……ま、いいか。

 バサッ
 俺は、ちょうどいい樹の下で、ビニールシートを広げた。
「おっじゃまぁ〜
 『おじゃまするの』
「よし、これでいいぞ……って、どうしてさっさと上がる、お前らっ!」
「あがるって言ったじゃない」
 さっさと上座を占拠して座り込みながら言う柚木。澪もうんうんとうなずく。
「そりゃ聞いたけど、いいとも何とも言ってないだろ?」
「いいじゃない、それくらい」
「よくないっ!」
「……浩平。もう無駄です」
 後から、茜が静かに言った。そのおかげで、なんとか冷静に戻ることができた。
「もういい。勝手にしてくれ」
 俺が言うと、澪がわーいと両手を上げた。早速スケッチブックを広げる。
 『お花見するの』
「おう、そうだな」
 俺もシートに上がり込んだ。後ろで茜が、靴を揃えて脱いでいる。

 カパッ
 茜が重箱の蓋を開くと、澪はわぁと感心してのぞき込んだ。
 俺も感心した。
「これ、茜が?」
「はい。昨日のうちに作っておきました」
 朝は起きられませんから、と付け加える。
「んじゃ、いっただきまぁす!」
 素早く柚木が箸を突っ込む。
「あっ、こら柚木っ!」
「へっへぇ〜。早い者勝ちよ」
 そう言って、にこにこしながら卵焼きをほおばる柚木。と、その顔が引きつった。
「あっ、茜っ」
「はい?」
「水」
「……どうぞ」
 茜は水筒を出した。……水にしては白っぽいぞ、それ。
 柚木はそれを飲んだ。そして、そのままあさっての方向に吹き出す。
 ぶーっっ
「なっ、なによこれっ!?」
「甘酒です」
 平然と答える茜。
「で、どうしたんだ、卵焼きがどうかしたのか?」
 聞きながら、俺も一つほおばった。そして理解した。
 ……甘い。
「……あの、茜さん」
「はい」
「これ、卵焼き?」
 こくりとうなずくと、茜は上品に一つの卵焼きを口に運んだ。そして幸せそうに噛みしめる。
「美味しいです」
 俺と柚木は何となく顔を見合わせた。
「失敗ね」
「ああ、失敗だ」
 ……待てよ。コレを弁当だと思うからいかんのだ。お菓子だと思えば、耐えられないこともないんじゃないだろうか?
 もう一つを口に運ぶ。
 噛みしめる。
 ……うん、卵焼きじゃなくて、ワッフルの親戚か何かと思えば耐えられなくもない……かもしれない。
 そう思って、澪の方を見る。
 澪は、まだどれを食べようかと迷っているようだった。どうやら栗きんとんに決めたらしく、箸ですくって口に運ぶと、嬉しそうな顔で虚空を見上げている。
 うん、確かに栗きんとんなら、最初から甘いとわかってるからなぁ。衝撃はなかろう。
「……どうしました?」
 茜に尋ねられて、俺は慌てて返事をした。
「あ、いや、茜の卵焼きは美味いなぁと」
「そうですか」
 ちょっと嬉しそうに微笑む茜。俺の胸痛みまくり。
 ええい、ままよ。
 俺は、別のタッパーに入れてあった赤飯おにぎりを口に運んだ。
 ふむ、これは結構まとも。
「お茶くれ、茜。渋い日本茶が嬉しいぞ」
「甘酒しかありません」
 ……うわぁ。

 とりあえず、4人がかりで重箱を空にして、俺達はのんびりとしていた。
 俺はビニールシートに寝転がって、空を見上げていた。
 桜の花びらがはらはらと散っている。こうしていると、まるで空から桜の花びらが降ってくるようだ。
「……隣、いいですか?」
 茜の声がした。俺はそっちに視線を向けた。
「ああ。柚木と澪は?」
「寝てます」
 茜はそう言って、視線を脇に向けた。そこでは、柚木と澪がすーすーと寝息を立てている。
 まぁ、結構甘酒飲んでたからなぁ。
 俺は身体を起こした。
「なぁ、茜。頼みがあるんだが」
「……嫌です」
 茜はいきなりそう言った。俺は憮然とする。
「せめて話を聞いてから答えてくれ」
「面倒ですから」
 そう言いながらも、茜は俺の隣に座った。それから、小首を傾げて俺の顔をのぞき込む。
「……話さないんですか?」
「じゃあ、言うけどさ。……膝枕してくれないかな?」
「……」
 茜は、黙って俺を見つめた。
「気持ちいいと思うんだ」
「わかりました」
「嫌なら別にいいんだけ……。え?」
 あっさりと許可されて、俺は思わず耳を疑った。
「えっと……」
「しないんですか?」
「いや、する、する」
「どうぞ」
 ちょこんと正座した茜の膝に、頭を乗せた。
「気持ちいいですか?」
「ああ。柔らかくてふにふにしてて」
「……なんだか、言い方がエッチっぽいです」
「そっかな? ……でも、惜しいなぁ」
 俺は目を閉じながら呟いた。
「これで、耳かきでもしてくれれば最高なのに」
「しましょうか?」
「へ?」
 思わず聞き返すと、茜は脇にあったバッグを開いて、中から耳かきを取り出した。
「あの、茜さん? どうして耳かきなんて持ってるんだ?」
「……なんとなくです」
 ちょっと頬を赤くして、茜は言った。それから、俺に言う。
「それじゃ、向きを変えてください」
「……痛くしないでね
「……やめます」
「わぁっ、ごめんごめん。はい」
 俺は頭を横向きにした。

 こちょこちょ。
「うひゃひゃっ、くすぐったいっ」
「動かないでください」
 そう言うと、茜は耳かきの後ろの綿毛を耳の中にいれて、こしょこしょと回した。
「うひょ〜ほほほ」
「……変な声を上げないでください。終わりましたから」
 最後にふっと耳に息を吹きかけて、茜は言った。
「あ〜、気持ちよかった。茜、将来耳かき屋にならんか?」
「そんなわけのわからないものにはなりたくありません」
 ぽんぽんと耳かきを弾きながら、茜は答えた。
 俺はそのフワフワの部分を見て、尋ねた。
「ずっと前から気になってたんだが、そのふわふわの部分って何て言えばいいんだ?」
「梵天ですか?」
「そうそう、そのぼんて……っていうの?」
「……はい」
 こくりとうなずく茜。……なんでそんなこと知ってるんだろ?
 ま、いいか。
「反対側を掃除しますから、逆を向いてください」
「ああ」
 俺は逆側に向き直った。
 そして、じぃっとこっちを見ていた柚木と澪と、目が合った。
「……」
「……」
「……」
 一瞬の沈黙の後、柚木がにこにこしながら片手を上げた。
「やっほぉ〜」
 澪はというと、うにゃ〜〜と真っ赤になりながら俺達をじっと見ている。
 なんだか、見せ物のパンダになったような気分だ。
「あ、どうぞあたし達にはおかまいなく。ね〜、澪ちゃん」
 うんうん、と頷く澪。
「あのなっ、おまえらっ」
「動かないでください」
 ぎゅっと頭を押さえられてしまった。ちらっと茜を見ると、なぜか真剣な顔をしている。そう、まるで山葉堂の新作ワッフルを買いに行くときのような顔。
「だって、柚木が」
「いいのいいの。茜は集中したら他のことは気にしないタイプだから」
 ヒラヒラと手を振る柚木。
 結局、柚木と澪が“暖かく”見守る中、茜に耳かきをしてもらう羽目になった。ほのぼのムード激減である。

 その後、逃げ回る柚木を追いかけ回して、顔に落書きなんてしてたので、ずいぶんと遅くなってしまった。
 公園を出る頃には、もう真っ暗になっていた。
「んじゃ、あたしは澪ちゃん送ってから帰るわ」
 分かれ道で、柚木はそう言って、澪の肩をポンと叩いた。澪は頷いて、俺にスケッチブックを見せた。
 『   』
「悪い。暗くて読めない」
 俺が言うと、澪はあう〜、としばらく考えて、それから俺にぎゅっと抱きついた。
「そっか。またな、澪」
 俺が言うと、澪はうんうんと頷くと、俺から離れて、ぺこっと頭を下げた。
「それじゃ、行こ、澪ちゃん」
 そのまま、歩き去っていく柚木と澪。
 二人の姿が闇の向こうに消えるまで見送ってから、茜は歩き出した。
 その後に俺も続く。
「今日は、楽しかったな」
「……はい」
 今日のこの雰囲気なら、いけるかも……。
 俺は、咳払いをすると、切り出してみた。
「なぁ、茜。手でもつないでみようと思うんだが……」
「……恥ずかしいから、嫌です」
 茜はそう言って、微笑んだ。
 柔らかな夜風が、どこからともなく、桜の花びらを運んできた。
 静かな、春の夜だった。

"God's in his heaven,all's right with the world."

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