「……ん?」
"God's in his heaven,all's right with the world."
目が覚めた。時計を見る。
……もうすぐ昼じゃないか。また、良く寝たもんだな。
苦笑しながら、隣ですやすやと眠っている茜の肩を揺すった。
「おーい、茜さ〜ん」
「……はい」
茜は、半分目を開けた。
「……何時ですか?」
「もうすぐ、昼だぞ」
「……はい」
身体を起こすと、小さく欠伸をする茜。解いている髪がさらっと流れる。
俺はもう一度苦笑した。
「だめだな、俺達が一緒に寝ると。二人とも朝が弱いと、どうにもならん」
「……はい」
「あ。だからって、別々に寝ようなんて提案は却下だぞ」
「……はい」
「……あの、茜さん?」
「……はい」
「英語で高いことをなんて言う?」
「……はい」
「……よし、それじゃ目覚めの一発やろうぜ」
「嫌です」
なんだ。起きてるんじゃないか。
と思ったが、茜を見ると、目がとろんとしている。
いつもの茜もいいが、こういう寝惚けた茜もまた捨てがたい。
とはいえ、このままじゃどうもならんな。
俺は起きあがると、カーテンを開けた。
カシャッ
部屋の隅々まで、明るい光が照らし出す。
「……まぶしいです」
ちょっと顔をしかめる茜。
「まぁまぁ。それより、いい天気みたいだしさ。どこかに出かけないか?」
「嫌です」
そう言って、毛布の中に潜り込む茜。
俺は寝間着代わりに着ていたトレーナーを脱ぎながら、いかにもがっかりしたように言った。
「そっかぁ、残念だなぁ。一緒に山葉堂のワッフルを食べようかなって思ってたのに」
「行きます」
速攻だった。
カチャ
ドアの鍵を閉めて、俺は振り返った。
「よし、いいぜ」
「それでは、行きましょう」
そう言って、歩き出す茜。
俺は、走って茜と並んだ。
今日の茜は、暖かそうなピンクのセーターに白いプリーツスカート、頭にはピンクのベレー帽。
「茜っ、可愛いぜっ」
思わず感きわまって叫んでしまうと、茜はぽっと赤くなって俯いた。いかにも恥ずかしそうだ。
「恥ずかしいです」
実際に言われてしまう。
「でも、事実だからなぁ」
「そうですか」
無表情に答える茜。でも、ほんの少しだけ微笑んでいるのは、気分がいい証拠だ。
やがて、行く手に山葉堂が見えてくる。
「……混んでるな」
「……はい」
やはり、日曜のお昼時である。混んでいないほうがおかしい。
「やめるか?」
「嫌です」
うっ。茜の目が燃えている。やる気満々のようだ。
しょうがないな。
「よし、それじゃ並ぶか」
「はい」
俺達は、列の最後尾に並んだ。
「なんだか、冬コミで新刊を出した壁サークルに並んでる気分だ」
「……なんですか、それは?」
「……いや、忘れてくれ」
「はい」
そんな会話をしながら、列が短くなるのを待つ。
その日はそれでも運良く、茜お目当ての極甘ワッフルを手に入れることができた。
「それじゃ、俺の家に帰って食うか?」
「嫌です」
あっさり言われた。
「なんで?」
「私まで食べられたくありません」
ちょっと赤くなって、俯き加減に言う茜。
よっぽど初体験のときのことが忘れられないと見える。ま、そんなもんか。
「でも、寒いぞ」
「……いいえ」
「今、一瞬間があったぞ」
「そんなことありません」
茜はそう言うが、寒いものは寒い。
俺は両手を上げた。
「今日は手を出さないから、俺の家で食べよう」
「……本当ですか?」
「大体、昨日の夜に散々やったじゃないか。そこまで俺は絶倫じゃないぞ」
俺がそう言うと、茜はじろっと俺を見た。う、視線が冷たい。
「やったのは、浩平です」
「……いや、まぁそれはそれでいいんだけど」
これ以上この話を続けると泥沼のような気がしたので、強引にうち切る。
「でも、家なら紅茶が付くぞ」
「……わかりました」
少し考えて、茜はうなずいた。
というわけで、俺達はワッフルの袋を抱えて家に帰ってきた。
俺はすぐに、エアコンのスイッチを入れた。
「ふぅ、寒い寒い。やっぱりもう冬だなぁ」
「……はい」
そう言いながら、茜はお茶を煎れるために台所に消えた。既に勝手知ったるなんとやらで、うちの台所に何があるかは長森の次に詳しいんじゃないだろうか?
ちなみに、俺も由起子さんも台所のどこがどうなっているかは今一把握できてないのが現状である。
しかし……。
俺は、机の上に置いてあったワッフルの入っている紙袋を開けた。
ほわっと甘ったるい香りがする。
そういえば、茜は今でも練乳を持ち歩いているんだろうか?
「……どうしました?」
後から茜の声がした。振り返ると、お盆に湯気の出ているカップを乗せた茜が立っている。
「いや、別に。さ、食おうぜ」
「はい」
茜は、俺の前にコーヒーカップを出すと、自分の前にはティーカップを置いた。それから、紙袋からワッフルを出して、皿に並べると、練乳の小瓶をその脇に置いた。
……やっぱり持ち歩いていたのか。
「なぁ、茜さん」
俺が声をかけると、茜は「なんですか?」という視線で俺を見た。
「あ、いや。大したことじゃないんだが、その練乳、いつも持ち歩いてるのか?」
「……はい」
あっさり答えると、自分のワッフルに練乳をかけ始める茜。
「……さいですか」
大した情熱だ。……あれ?
ふと、気になったので聞いてみた。
「茜って、甘いもの好きだよな?」
「はい」
即答である。
「……で、甘いものそんなに食べて太らないのか?」
……。
……。
……。
たっぷり30秒ほどしてから、茜は俺を見た。
「……はい」
「そっか。いや、長森なんか1年に4回はダイエットだ〜って騒いでるんでな」
ちなみに嘘である。まぁ、七瀬なら騒ぎかねんが。
「体質なんです」
……きっと、と視線を落として付け加える。
「でも、やっぱり、カロリーをとりすぎたら、適度な運動が必要だぞ」
俺は腕組みしてうんうんとうなずいた。
「というわけで……」
「絶対に嫌です」
「俺が運動を手伝って……」
言い終わる前に言われてしまい(しかも茜の最上級の拒否だ)、俺はもそもそとワッフルを食べる作業に戻った。
ワッフルを全部食べ終わると、茜はほっぺたに手を当てて、ほっとため息をついた。満足したらしい。
「美味しかったです」
「それはよかった」
そう答えながら、俺は窓の外を見た。
白いものがちらちらしている。
「あれま、寒いと思ったら雪か」
「……はい」
俺と茜は、しばらく黙って、窓の外をちらつく白い結晶を見つめていた。
「……冬ですから」
茜がぽつりと言った。
「そうだな。冬だな……」
「……はい」
しばらくして、雪はどうやら本降りになってきたようだった。
「こりゃ、積もりそうだな。……茜、そろそろ帰ったほうがいいんじゃないか?」
「……はい」
庭が、だんだん白く彩られていく。……いや、白く塗りつぶされていく、って言ったほうがいいのかな?
あまり雪が降らないこの辺りじゃ珍しい風景だ。
「帰らないのか?」
「寒いですから」
茜はそう言って、微笑んだ。
「よし、俺が暖めてやろうか?」
「嫌です」
「あ、そう……」
茜は、窓ガラス越しに、白く染まる世界を見つめていた。
俺は、その隣に立つと、尋ねた。
「雪は嫌いか?」
「……いえ」
じっと、外を見つめたまま、茜は答えた。
「寒くなければ、嫌いじゃありません……」
「そっか……」
「……すべてを、白くしてくれますから」
茜は呟いた。
茜の吐く息で、窓ガラスが微かに曇る。
「すべてを隠してくれますから……」
「……そうかもな」
俺は、そっと茜の肩を抱き寄せた。茜は逆らわずに、俺の胸に身体を預けた。
「……キス、してもいいか?」
「……」
何も言わない茜。
「嫌か?」
「……私は、嫌だったら、嫌と言います」
そう言うと、茜は俺に顔を向けると、目を閉じた。
俺は、その唇に、そっと口づけた。
ワッフルの甘い味がした。
外では、雪がしんしんと降り積もっていた。
明日はきっと、積もってるだろう。
そうしたら、雪だるまをつくろう。
俺は、そう思った。