「もう、すっかり秋だなぁ〜」
"God's in his heaven,all's right with the world."
「……はい」
公園。
俺は、茜と並んで歩いている。
「なぁ、茜」
「……はい」
「せっかくだから、手でも繋いでみるか?」
「……嫌です」
そう言って、茜は微笑む。
「恥ずかしいから、嫌です」
「……そっか」
俺は、頭の後ろで手を組んだ。
と、不意に茜が呟いた。
「……たいやき」
「え?」
「思い出しました」
そう言って、茜は俺を見た。
「たいやき、食べたいです」
俺も、思い出した。
そもそも、この公園に初めて来たのは、茜とたいやき屋に行こうとして道に迷ったときだった。
「……約束しました」
「そうだったな」
確かに、あのとき、「たいやき屋はこの次にしよう」と言ったんだっけ。
「それじゃ、行くか?」
「……はい。でも……」
茜は、そこで初めて微笑んだ。
「今度は、迷わないでください」
「おう、任せろ」
俺は胸を張った。
……迷った。
「おかしいなぁ。確か、こっちだったはずなんだが……」
俺は、首をひねった。後ろで、茜がため息混じりに呟く。
「……たいやき……」
振り返って、提案してみる。
「あのさ、茜。山葉堂のワッフルもいいよな?」
「たいやき」
キッパリと言う茜。その目が、俺に訴えていた。
俺は覚悟を決めた。
「わかった。こうなったら意地でも捜し出してやるぜ」
「……はい」
茜はうなずいた。
「……たしか、ここを曲がると……」
俺は、曲がり角を曲がった。
茜が呟く。
「……公園です」
そこは、出発点の公園だった。
と、いきなり俺の背中がぐっと重くなった。
「うわっ、なんだ?」
驚いて振り返ると、スケッチブックを抱えた小柄な女の子が、にこにこしながら立っていた。
「おっ、澪。久しぶりだな」
「こんにちわ」
俺と茜の挨拶を受けて、澪はスケッチブックを開いた。
『ひさしぶりなの』
「おう。今日はどうした?」
俺が訊ねると、澪はサインペンでスケッチブックに書くと、広げる。
『散歩なの』
「そうかそうか」
澪は、それから俺と茜を見比べて、次のページに文字を書いた。
『デート?』
「違います」
茜がキッパリ言う。俺が口を挟む隙もない。
「茜〜」
「たいやきを食べようと思って、たいやき屋を捜しているんです」
俺を無視して、言う茜。
たいやきと聞いて、澪の表情がぱっと明るくなる。
『たべたいの』
「それでは、一緒に捜しましょう」
茜が言うと、澪はうんうんとうなずいた。
それから、茜は振り返る。
「それでは、行きましょう」
「お、おう」
ま、いいか。
俺は肩をすくめ、茜と澪の後を追いかけた。
「ここにあった……はずだ」
俺が勢い込んで指さしたところには、小綺麗な喫茶店があった。どうみても、たいやきはメニューにはなさそうだ。
「……喫茶店です」
茜がいい、澪はうんうんとうなずいてから、ぷっと膨れて俺を見る。
『たいやき屋じゃないの』
「仕方ない。最後の手段だ」
俺は、ポケットの財布から、テレホンカードを抜きだした。
「どうするんですか?」
「長森に聞いてみる。あいつなら、俺とよく行動を共にしていたから、くだんのたいやき屋の行方も知っているに違いない」
「……」
「……」
茜と澪の視線が突き刺さる。あれは、「なぜ最初からそうしない?」という抗議の視線だ。
だが、俺にも床屋志望というプライドがあるのだ。……ま、この際床屋はあまり関係ないが。
トルルルル、トルルルル、トルッ
「はい、長森です」
「お、やっぱり休日に一人寂しく家にいたのか、長森」
「えっ? 浩平なの? どうしたの、一体。わたしんちに電話なんて」
びっくりした口調で訊ねる長森に、俺は答えた。
「おう。実はお前のスリーサイズについて聞きたいという全国からの投書がな」
「えっ? わたしのスリーサイズなんて聞いてどうするんだよ〜」
「そりゃぁだな……」
言いかけたところで、肩をトントンと叩かれた。振り返ってみると、茜がじっと俺を睨んでいた。
「あ〜、それじゃ用件にはいるんだが」
「あ、うん……」
「中学校の頃かな、よく行ったたいやき屋があっただろ?」
「うん。あんこが尻尾まで入ってて美味しかったよね〜」
「あの店って、どこだっけ?」
「えっと、確か……」
長森の言葉を聞いて、俺は振り返った。それから受話器に向き直る。
「ばかっ」
「えっ? な、なんだよ〜、いきなり」
「そこには喫茶店しかねぇぞっ」
「だって、移転しちゃったんだもん」
「なぬ?」
道理で、行き着けないはずだ。
「どこに移転したんだっ?」
「隣町の駅前だったと思うけど、移転してからは行ってないから、わかんないよ〜」
「ええい、この役立たず」
「浩平こそ、無茶苦茶だよ〜。大体、今日は里村さんとデートなんでしょ? 私なんかと電話してていいの?」
「その茜のご指名で、たいやき屋を捜してたんだよ、ばかっ。……って、なんで茜とデートだって知ってるんだ、長森っ?」
「デートじゃありません」
ぼそっと耳元で茜が言う。
「あれ? いま里村さんの声がしなかった?」
「気のせいだ。それよりも、ほかにたいやき屋はないのかっ?」
「えっとね……、確か商店街にあるけど、あんまり美味しくなかったなぁ。尻尾にあんこ入ってないし……」
長森との電話を切ると、俺は茜と澪に事情を説明した。
「……というわけでだな、美味しくないたいやきを食べるか、あくまでも探索を続けるかという二者択一を迫られているわけなのだが……」
「山葉堂のワッフル」
茜がぽつりと言った。澪がうんうんとうなずく。
「たいやきじゃないのか?」
「仕方ないです」
そう言って、空を見上げる茜。確かに、もう夕焼け空である。
「そっか。それじゃ、山葉堂にレッツゴー!」
「……はい」
俺達は、商店街に向かった。
“本日のワッフルは全て売り切れました。またのご来店をお待ちしております”
「……」
「……」
店の前に張られた貼り紙を前に、佇む茜と澪。その背中が寂しそうである。
茜はゆっくりと振り返った。
「おい、俺を責めるなよ。第一、山葉堂に行こうって言ったとき、たいやきの方がいいって言ったのは茜だからな」
「……わかってます」
こくりとうなずくと、茜は俺に尋ねた。
「今日も、由紀子さんは遅いのですか?」
「ああ、多分」
「それなら、行きます」
「ああ。ってどこへ?」
「浩平の家に」
茜はそう言うと、澪に訊ねた。
「上月さん、遅くなってもかまいませんか?」
うんうん、と嬉しそうにうなずく澪。って、どうなってるんだ?
「あの、茜さん?」
俺が訊ねると、茜は俺に向き直った。
「台所を借ります」
「台所って、まさか……」
「はい」
茜はうなずいた。
「ケーキを作ります」
「今からか?」
「食べたいときが作るときです」
キッパリと言う茜。澪も嬉しそうにうんうんとうなずく。
「というわけで、浩平は材料を買いに行ってください」
「……はい」
シャカシャカシャカシャカ
金属製のボールに入れた小麦粉と卵を、手際よく混ぜ合わせる茜。
「澪さん。砂糖を500グラム」
わかったの、とうなずくと、澪は袋から砂糖をはかりの上にどさっと乗せる。
「しかし、長森が料理作るときなんて、かなり適当にやってるのに、さすが茜だな。はかりまで使うとは」
俺が誉めると、茜は砂糖を入れてまぜながら、言った。
「お菓子を作るときは、レシピ通りにする必要があるからです。料理の時なら、私もはかりなんて使いません」
そうなのか。知らなかったな。
「それより……」
茜が不意に、椅子に座っている俺を見た。
「なんだ?」
「……邪魔です」
「あう」
俺はリビングで待つことになった。
やがて、台所から甘い香りが漂ってきた。
その時、俺は怖ろしいことに気付いた。
茜は超がつく甘党である。俺もそれなりに甘党だが、茜には勝てない。その茜が作るケーキ……。
落ち着け、落ち着け折原浩平。さっき茜も言ってたじゃないか。お菓子はレシピ通りにつくるものだって。それに昔、茜が作ったクリスマスケーキは、そんな殺人的な甘さじゃなかった……っけ?
いかんっ! なにせもう1年以上前の話で、その時の味はもう忘れてしまったっ!
俺は、隣で週刊誌を読んでいる柚木に訊ねた。
「なぁ。あの時のクリスマスケーキってそんなに甘くなかったよな」
「あの時って……」
柚木は、週刊誌から顔を上げると、ちょっと考えてからポンと手を打った。
「ああ、ここで宴会やったときのね」
「そうそう」
「あはは〜。あのときあたし酔っぱらってたから覚えてないわ」
「そういえば、あの時おめぇと澪はでろんでろんに……」
……ちょっと待て。
「おい、柚木」
「なぁに?」
柚木は、いかにも「私には罪がないのよっ」という無邪気な笑顔を浮かべて、俺に聞き返した。
俺は、言った。
「俺と茜がデートしているときに、脈絡なく出てくるのはまだ許そう。だが、どうして俺の家におめぇがいるんだ?」
「なによぉ。いたっていいじゃない」
ぷっと膨れる柚木。
「それとも何? みーちゃんはよくて詩子ちゃんは駄目なんて偏狭なこというの?」
……みーちゃんって、澪のことかい?
「そうじゃなくてだな、どうしておめぇがここにいるのかってことをだな……」
「私が呼びました」
不意に、後ろから茜が言った。柚木がにこにこしてうなずく。
「そう。呼ばれたのよ」
「茜、台所はいいのか?」
「オーブンに入れて焼いています。あとは時間まで放っておいても大丈夫です」
そう言うと、茜は頭に被っていたふきんを取った。澪が、相変わらずの長さの茜の髪を「ほぇ〜」という表情で見つめている。
それに気付いた茜は、澪に訊ねた。
「また、編んでみますか?」
澪は嬉しそうにこくこくとうなずくと、茜の髪を解いて編みはじめた。
「何が面白いんだろうねぇ」
「女の子の特権よ」
くすっと笑いながら、柚木が言う。
何となく悔しいので、俺は茜に言った。
「なぁ、俺も編んでやろうか?」
「嫌です」
間髪入れずに言い返された。後ろで柚木がくすくす笑ってやがる。くそ。
澪が茜の髪を編み上げるのとほとんど同時に、台所の方でチーンと音が鳴った。
「出来たようです」
そう言って立ち上がると、茜は澪に礼を言う。
「ありがとう」
澪はふるふると首を振って、満足そうに笑った。うん、前よりはましだな。でもやっぱり左右で長さが違うぞ。
澪もそれに気付いて、あう〜と悲しそうに俯いた。茜はその頭を撫でた。
「大丈夫ですよ。ね、浩平」
「おう。バッチリ似合ってるぞ、茜」
茜は曰く言い難い表情をした。
しばらくして、茜は紅茶のセットを持って戻ってくる。その後ろから、ケーキを乗せた皿を満載したお盆を持って、澪が続く。
ま、妥当だな。ケーキは落としても大した被害はないが、紅茶の入ったティーカップを落とすと、被害は甚大だ。
などと思う間もなく、予想通りリビングの入り口にけつまづいて転ぶ澪。
ぼふっ
ケーキはものの見事に俺の顔面に命中し、トッピングされていたクリームがべったりと顔についた。……思った通り甘い。
「キャハハハハ」
手を打って大笑いする柚木。澪は慌ててふきんを持って駆け寄ってくると、ぺこぺこと頭を下げた。
「大丈夫だって。気にするな、澪」
俺がふきんで顔を拭きながら苦笑いを浮かべると、澪はあう〜と俯いた。テーブルにティーセットを並べた茜が、慰めるように澪に言う。
「大丈夫です。浩平ですから」
……どういう意味なんだ?
さっきのお返しです。
そりゃないだろ。
視線で会話する俺と茜。なんか通じてるし。
「さって、と。食べよ、食べよ!」
柚木が言って、俺達はケーキを満腹になるまで食べた。
柚木と澪が帰っていった後、台所で皿洗いをする俺と茜。
「ま、なんだかんだいって、楽しかったよな、茜」
「……はい」
茜はうなずいた。それから、不意に手を止めて、俺をじっと見る。
「ん? なんだ、茜?」
「……なんだか、信じられなくて」
そう呟くと、茜は目の前の蛇口に視線を戻した。そこからは、ひっきりなしに、水が流れ落ちている。
「幸せすぎて……」
「心配するなって。もう、どこにも行かねぇよ」
俺は、洗い終わった皿を拭きながら、わざと陽気に言った。
茜は、また俺に視線を向ける。
カチャ
俺は、皿を置くと、言った。
「永遠なんて、なかったんだ。ただ、あると思い込んでいただけでさ」
「……そうですか」
静かに答えると、茜はまた、皿を洗いはじめた。
「1年間かけて、出た結論は、それだったんですね」
「そういうこと」
俺は、茜から洗い終わった皿を受け取って、拭いた。それから、言う。
「なぁ、次の日曜なんだが、山葉堂のワッフル、食いに行くか?」
「……行きます」
茜は、きゅっと水道の蛇口を閉めると、にこっと微笑んだ。
「食べたいですから」