「あ、相沢くん」
"風の辿り着く場所"
das Ende
授業が終わって、さぁ帰ろうかと立ち上がったところで、不意に香里に呼び止められた。
「どうした? デートならいつでも受け付けるぞ」
「相沢ぁっ! 貴様に友情の文字はないのかぁっ!」
なぜか北川が立ち上がって文句をつけてくる。
「香里はオレのだっ! 相沢、いかに友情を誓い合ったおまえといえど……」
「死になさい。内臓ぶちまけて」
ずばしゅぅぅぅぅぅっ
……毎度毎度、北川も懲りないやつだ。
オレはため息をついてから、ふと気づいて慌てて手を振った。
「冗談だっ! 冗談だからその視線をこっちに向けるなぁっ!」
「……それならいいけど」
香里の金色の目が元の栗色の目に戻り、風もないのにふわりと浮いていた髪が、ぱさりと肩のまわりに落ちる。
オレは大きく息をついた。
「ったく、心臓に悪いじゃないか」
「大丈夫だよ。祐一、心臓に毛が生えてるから」
今まで見守っていたらしい名雪が、笑顔で話しかけてきた。
「それにしても、何の用なんだ?」
「あなたが話を混ぜっ返すから訳が分からなくなったんじゃない」
香里は額を押さえて言った。
「それは悪かった。……ときに、なぜそわそわしてるんだ?」
さっきから香里の様子が落ち着かないのに気づいた俺は訊ねた。
「早く話を済ませないと、あの子が来ちゃうからよ」
教室のドアの方をちらちらと見ながら、香里は言った。
「あの子って、栞か?」
「ええ。あ……」
がらっと教室のドアが開いて、栞がぴょこんと顔を出した。俺達の姿を見て、笑顔でちょこちょこと駆け寄ってくる。
「祐一さん、おねえちゃん、名雪さん、こんにちわ」
「おう」
「こんにちわ、栞ちゃん」
「……」
俺と名雪がそれぞれの返事をする中、香里だけは額に手を当ててあちゃぁという顔をしていた。
それに気付いた栞が、香里の顔をのぞき込む。
「どうかしたの、お姉ちゃん?」
「……なんでもないわ。それじゃ、相沢くん、栞をよろしくね」
「おう。さて、姉の公認も得たことだし、よろしくしてやるぜ、栞」
「やだっ、なにをよろしくするんですか?」
怯えたように、鞄を胸に抱いて後ずさる栞。
俺はにやりと笑った。
「そりゃぁ、いろんなことをさ。未知の快楽を教えてやるぜ、栞」
「その前に、祐一の方が未知の快楽に目覚めたりしてね」
名雪がのんびりした声で言う。俺は慌てて香里の方に向き直った。
「待てっ! だから不可視の力モードはやめろっ!」
部活があるという香里と名雪と別れて、俺達は商店街に繰り出した。
あちこちの店を見て回った後、いつも通り百花屋に入る。
「……祐一さん、相談したいことがあるんですけど、聞いてくれますか?」
フルーツパフェのクリームをスプーンですくいながら、栞が言った。
「全高50メートルの雪だるまを作ること以外なら」
「そんなこと言う人は嫌いです」
ぷっと膨れて、栞はスプーンを口に入れた。
「そうじゃなくて、お姉ちゃんのことなんです」
「香里の?」
「はい。実は……」
栞は、スプーンをパフェの器に戻して、アイスクリームをすくった。
「私、なんだか最近お姉ちゃんに避けられてるみたいな気がするんです」
「香里に?」
「はい。気のせいかな、とも思うんですけど……。今日だって」
「今日?」
「はい。今朝家を出るときに、一緒に帰りましょうって言ったら、そっけなく「今日は部活だから、相沢くんと帰りなさい」って」
栞は俯いた。
「もしかして、私の病気が再発したりしたんでしょうか?」
「んな馬鹿な……」
一笑に付そうとした俺だったが、栞が顔を上げないのに気付いて慌てた。
「あ、そりゃ俺もそんなことはないって思うけど、あ、いや、そうじゃなくて、栞が病気になるなんてそんなわけなくて、だから俺としてはだな、その、なんていうか、栞には……。栞?」
「はひ?」
スプーンをくわえたまま顔を上げる栞。俺の表情に気付いて、スプーンを口から出して言った。
「とっても美味しいです〜」
「アイスを食っとったんかいっ!」
びし、とツッコミを入れると、栞は額を押さえて涙目で俺を見た。
「ううっ、ひどいです、祐一さん」
「ともかく、だ」
俺は肩をすくめた。
「香里には明日、俺が聞いてやるから心配するな」
「ほんとうですか?」
「俺の目を見ろ。俺が今まで栞に嘘をついたことがあったか?」
「いっぱいあります」
くそ、間髪入れずに返事しやがって。
「おごってやろうと思ってたけどやめた」
「わぁっ! 冗談ですよっ、祐一さん」
慌てて俺の腕を引っ張る栞。
「キスしてくれたら許す」
「わっ、そ、そんな恥ずかしいことできませんっ」
ぽんと真っ赤になって俯く栞。
本当に表情がくるくる変わって、見てて飽きない。
「ま、ともかくだ。心配するなって」
「はい」
それでも最後は笑顔で、栞は頷いた。
というわけで、翌日。
授業の合間の休み時間に、俺は香里に声をかけて廊下に連れ出した。
「……ということを、栞が言ってたぞ」
「……そう」
香里は、ふぅとため息をついた。
「あの子ったら、しょうがないんだから」
「で、香里。本当のところはどうなんだ?」
「ん……。確かにちょっと避けてたかもね。それは認めるわ」
「どうしてだ? まさか、本当に病気が……」
「まさか」
肩をすくめて、香里は俺に視線を向けた。
「もしそうなら、今度は私は逃げないわよ。あなたがあのときそうしたように」
「それなら、どうして?」
「昨日言いかけたことなんだけどね……」
そう言ってから、香里は廊下の左右を見回して、俺の耳に口を寄せた。
「あのね……」
放課後。
「祐一さん、おねえちゃん、名雪さん、こんにちわ」
「こんにちわ、栞ちゃん」
今日は、返事をしたのは名雪だけだった。なにせ、俺も香里もその場にいないのだから、返事のしようがない。
「あれ? 名雪さん。祐一さんとお姉ちゃんは?」
「えっ? あれ? どこに行っちゃったのかな? わたしには全然わからないよ〜」
「……名雪さん、なんか変です」
「そんなことないと思うよ〜。あ、そうだ。栞ちゃん、ちょっと付き合ってくれないかな?」
「えっ? で、でも……」
「いいからいいから」
「……やっぱり不安なんだが」
「私もそう思うけど、名雪以外に頼める人がいないんだからしょうがないでしょ?」
俺と香里は商店街を歩いていた。
「それにしても、そんなことじゃないかとは思ってたけど、やっぱり忘れてたのね。……栞の誕生日」
「いや、忘れてたわけじゃないぞ。思い出せなかっただけだ」
「同じじゃない」
呆れたように言うと、香里はため息をついた。
「あなたが将来、私の義弟になるかもしれないかと思うと、ちょっと目眩がするわね」
「今のうちから義姉さんって呼んでやろうか?」
「お願いだからやめて」
香里は苦笑した。俺も苦笑してから、訊ねる。
「それで、誕生日の当日はどうするか決めてるのか?」
「先にみんな家に帰ってて、あの子が帰ってきたところで、家族揃って「おめでとーっ」ってやるのはどうかしら?」
「それはやめた方がいい。あいつが帰る途中で襲われて、それが原因で家庭崩壊して、おまえは殺されかけるのがオチだぞ」
「……なんの話よ、それは?」
「さぁ。電波がそう囁くんだ」
「……まぁいいけど」
香里はもう一度ため息をつき、歩き出した。
「ともかく、名雪があの子を足止めしてる今のうちに、プレゼント買ってきなさいよね」
「香里は買わないのか?」
「あたしはもうとっくに用意してるわよ。今日はケーキの注文をしに行くだけなの」
「へいへい。それじゃ適当に見繕って……じゃない! 誠心誠意、最上級のものを粉骨砕身の覚悟で探索して参りますっ」
「よろしい。じゃね」
そう言い残して、颯爽と歩いていく香里。
俺は肩をすくめて、その反対方向に歩き出した。
「……」
ふと足を止めたのは、画材店の前だった。
去年、ここで栞への贈り物を買ったんだよな。
そう、あのときは……。
「あゆのヤツ、元気にしてるかな」
「ダメ元…って言うのが気になるけど…うんいいよ、ボクで良ければ相談に乗るよ」
「…プレゼントする相手って、栞ちゃん?」
「これくらい朝飯前だよ…」
ふと、空を見上げて呟いた。それから、思い直して画材店のドアをくぐろうと……。
「……!?」
不意に後を、あの羽根が通り過ぎたような気がして振り返ったけれど、そこには誰もいなかった。
俺は苦笑して、改めてドアをくぐった。
そして、2月1日。
「よう、栞」
1年の教室を出ようとした栞を呼び止める。
「わっ! び、びっくりしました」
鞄を胸に抱くようにして、栞は大きく息をついた。それから俺を見上げる。
「どうしたんですか、今日は?」
「いや、何となく俺の方から迎えに来たくなってな。今日は部活は?」
「はい、大丈夫ですよ」
笑顔で頷く栞。
「そっか。なら、一緒に帰ろうぜ」
「……なにか企んでないですか?」
上目遣いに俺を見る栞。
「俺がいったい何を企むと言うんだ?」
身振り手振りを加えて熱く語ると、栞はさらに疑わしそうな顔をして俺を見る。
「……変です。第一、初めてじゃないですか? 祐一さんの方からここまで来たのって」
「栞。長い人生、何があっても不思議じゃないんだぞ」
俺がもっともらしく言うと、栞は初めて笑って頷いた。
「わかりました。それじゃ一緒に帰りましょう」
校門を出たところで、俺は方向を変えた。
「今日はちょっと遠回りして行かないか?」
「構わないですけど……。何かあるんですか?」
「まぁな。いいからいいから」
栞の腕をとって、歩き出す俺。
「きゃっ。もう、祐一さん強引ですっ」
そう言いながらも、栞は俺に着いてきてくれた。
「ここは……」
「ああ……」
俺達は、雪で覆われた公園に立っていた。
1年前、俺と栞が最後の別れを交わした、あの公園。
「そうでした……。もう、1年たったんですね……」
栞は、一面の雪に覆われたその場所に足を踏み入れた。それから、情けなさそうな声で俺を呼ぶ。
「祐一さん、冷たいです」
「なんだよ、去年はちょうどいいなんて言ってたくせに」
「あのときは熱があったからです。見てないで助けてくださいよ〜」
「しょうがないなぁ」
俺は栞の手をつかんで引っ張ろうとした。
「えい!」
「えっ!? わわっ!」
ボスッ
いきなり栞に手を強く引っ張られて、俺は栞と一緒に雪の上に倒れ込んだ。
「これで、去年と同じですねっ」
「つめてぇっ! あのなっ、栞っ!」
「はい」
すぐ横で、白い少女が微笑んでいた。
「……栞、風邪引くぞ」
「平気です。祐一さんに看病してもらいますから」
「俺だって風邪引く」
「それじゃ、一緒に看病してもらいましょう」
なんとも情けない会話だけど、でもそれは、あのときできなかった会話。
そう。未来があるって確信できるから、できる会話。
「そうだ。プレゼントがあるんだ」
俺は体を起こして、鞄をさぐった。
「えっ? 何ですか?」
栞も体を起こす。
「去年と同じものになったけどな。ほら、去年やったやつ、もう全部使っただろ? だから、今度は今年の分だ」
俺は、空と同じように青い表紙のスケッチブックを、袋から出して、栞に渡した。
「……誕生日、おめでとう」
「ありがとうございます……」
栞はそのスケッチブックを胸に抱いて、俺を見上げた。
「祐一さん……」
「何だ?」
「うれしいときは……泣いてもいいんですよね?」
「……ああ」
俺は、栞をそっと抱き寄せた。
「泣いてくれないと困る。俺が先に泣くわけにいかないからな」
「……はい」
雪の中、俺達はずっと抱き合っていた。
「それで、一緒に風邪引いて入院してたら、世話ないわね」
冬が終わり、春が来て、
凍り付いた時間が流れ出したとき。
来るはずのない時が、あるはずのない瞬間が、そこに存在して、
春が来て、夏が来て、秋が来て、そして白い冬が来て、
まだそれが続いているのなら、
奇跡は、すぐそこにある。
「うるせ。大体、栞はまだしも、俺までなんで風邪で入院せにゃならんのだ?」
「そんなこと言う人は嫌いですっ。約束したじゃないですか、一緒に看病してもらおうって」
「水まくらっ、水まくらっ」
「名雪、お前嬉しそうだな。……っくしょい」
「はぁ。おかげで美坂家の誕生日パーティーは台無しよ」
「……悪かったな」
「……いいのよ。それが、栞の望んだパーティーなんだから」
「ありがと、お姉ちゃん」
「ありがと、お義姉ちゃん」
「……まだ死に足りないようね、相沢くん?」
俺は苦笑して、窓の外に視線を移した。
世界中溢れる思いに
風が向いてる
ずっとこんなことを繰り返して
さよならのない旅をする
Lyrics by KEY
Composed by SHINJI ORITO
あとがき
ふと気付いて、あわててコンビニにバニラアイスを買いに行って……というのは冗談です(笑)
結局サンクリに出かけました。朝の7時から並んでいる途中、モバイルマシン・リブレット100「春日野美穂ちゃん」でこの話を書いていました。ちなみに後書きは、家に帰る電車の途中で書いています。
去年バッテリー交換して、考えてみると初出撃になるんですけど、流石にバッテリーの持ちはそこそこのようです。
サンクリでは、某掲示板で話題にされていたところに行ってご挨拶しようかとも思いましたけど、突然のこのこといって「晴海姉ぇです〜」とか言ってもわけがわからないだろうからやめました(笑)
次回から、御邪魔してもいいところは事前に「遊びに来てください」とでも言ってくれると嬉しいです、はい(笑) あ、いや、別に私が遊びに行ったところで、なんにもないんですけど(苦笑) でも、友達があんまりいないので寂しいんですよ〜(爆笑)
なんだかわけがわかんなくなったので、今回はこれまで(笑)
PS
とらハの同人誌が全然なかったのは寂しかったです(笑)
After 1 years 00/1/30 Up 00/2/1 Ver.2