「あ、祐一さん」
das Ende
アパートの階段を下りかけていた俺は、途中で振り返った。
玄関から佐祐理さんが顔を出して、手招きをしている。
「ん? どうしたの?」
「あの、ちょっと」
キョロキョロと辺りを見回す佐祐理さん。
何事なんだろう?
俺は首を傾げて、それからもう一度階段を駆け上った。
佐祐理さんはもう一度、家の中を振り返ってから、小声で言った。
「今日のことですけど」
「今日?」
「はい。放課後、祐一さんをお迎えに行きますね」
「は?」
俺は聞き返した。いや、聞き返そうとした。
でも、その前に佐祐理さんが俺に訊ねた。
「それで、祐一さんは何かもう決めましたか?」
「いや、多分決めてないと思う」
佐祐理さんはぽんと手を打って喜んだ。
「良かった。それじゃ、佐祐理と一緒のものにしませんか?」
「ああ、それでいいぞ」
「はい、それじゃ決まりですね」
「……ところで佐祐理さん」
「あっ!」
佐祐理さんは振り返ってから、あわてて俺を家の外に押し出した。
「舞が起きちゃいましたよ〜。それじゃ、迎えに行きますから、帰っちゃわないでくださいね〜」
「あ、ああ……」
言われるままに家の外に押し出され、そしてばたんとドアが閉まった。
俺は首をひねりながらも、学校に向かって歩き出した。
「……というわけなんだが、何だと思う?」
「くー」
「寝るなぁっ!」
バコッ
昼休み、食堂の一角を占拠したいつものメンツに、俺は今朝の佐祐理さんの話をしていた。
「そんなこと言われても……。祐一がわかんないものを、わたし達がわかるわけないよ」
俺にどつかれた頭を押さえながら答える名雪。
「ま、そりゃそうだ」
「だったら殴らないでよ〜」
「いや、殴るのに良さそうな頭だったから」
「ううっ、香里〜、祐一がいじめるよぉ〜」
「あ〜、よしよし」
泣きついた名雪の頭を撫でながら、香里は俺に言う。
「相沢くんも、もうちょっと名雪に優しくしてあげなさいよ。もう一緒に暮らしてるわけでもないんだから」
「わたしもお母さんも、いつ戻ってきてもいいんだけどね」
「ったく、水瀬さんの所を出たと思ったら、今度は倉田先輩や川澄先輩と同棲とは、なんてうらやましいヤツなんだお前はっ!」
「……死になさい、脳味噌ぶちまけて」
ずばしゅぅぅぅぅぅぅ
瞳を金色に光らせた香里が、北川を葬ってから、俺に視線を向ける。
「わっ、やめろ香里っ! 不可視の力を使うんじゃないっ!!」
「そうだよ香里。わたしなら大丈夫だよ。祐一にイチゴサンデーおごってもらうから」
「そういう問題じゃないだろっ!」
ようやく香里をなだめて、ちょうどメシも食い終わったところだったので、俺達は教室に戻ることにした。床に倒れている北川は、……まぁ、どうでもいいや。
途中で部室に寄るという香里と別れて、名雪と二人で歩く。
「……祐一」
「ん?」
「ホントに、戻ってくるつもりはないの?」
不意に言う名雪。
俺は肩をすくめた。
「約束したからな」
「約束?」
「ああ。……ずっとそばにいてやるって」
あのとき。
俺は舞に誓ったんだ。
「……やっぱり、すごいよ」
名雪がぼそっと呟いた。
「えっ? 何がだ?」
「祐一に、そんなに真剣な顔させるなんて、すごいなって思ったんだよ」
そう言って、名雪は笑った。
「うん。もう言わないよ。だけど、いつでも好きなときに戻ってきていいから、それだけは覚えておいてね」
「……ありがとよ」
俺は、いとこの髪をくしゃっとかき回した。
「きゃっ! も、もう。なにするんだよ〜」
口では文句を言いながらも、名雪はうれしそうに笑った。
ごめんな、名雪。お前の想いには、気付いていたけど。
でも、だめなんだよ。
名雪は俺がいなくても、一人で生きていける。でも、あいつは……、舞には、俺が必要なんだ。
キーンコーンカーンコーン
チャイムが鳴って、名雪がやってきた。
「祐一っ、放課後だよっ!」
「いや、いちいち知らせに来なくても……」
言いかけて、ふと気付いた。
そういえば、今朝佐祐理さんが……。
「まずいっ!」
ガタン、と椅子を蹴飛ばして立ち上がる。が、時既に遅し。
「あっ、祐一さん。ちょうど帰るところだったんですね〜。ちょうどいいタイミングですよ」
私服のまま、俺の机のところまでやってきた佐祐理さんは、いつも通りの笑顔だった。
ちなみに、佐祐理さんが着ているのは、ジーンズにセーター、その上からコートである。佐祐理さんのキャラクターにはちょっとミスマッチ気味な格好だが、意外にも似合っている。というよりも、佐祐理さんの着こなしのセンスがいいんだろう。
予想外の闖入者に教室中がざわめく。そりゃそうだろう。教室なんていうところは、学年が違う人が来ただけでも騒ぎになるっていうのに、私服の人が堂々と入ってきたのだ。しかも佐祐理さんは、割と有名人らしいからな。
俺はため息を付いて、佐祐理さんの腕を取った。
「とにかく出よう」
「あ、はい」
「じゃ、また明日な、名雪」
「うんっ。……って、明日は日曜だよ〜。明後日ね」
心なしか寂しそうに、名雪は微笑んで手を振った。
学校を出たところで、俺は佐祐理さんを引っ張ってきた手を離した。
「はぇ〜、祐一さん強引ですね〜」
「いや、そうじゃなくて……」
説明しようかと思ったけど、やめた。その代わりに訊ねる。
「で、今日は何をするんだい?」
「えっ? 佐祐理と一緒に選んでくれるんじゃないんですか?」
いや、だから何を?
俺の顔を見て、佐祐理さんは悲しそうな表情になった。
「もしかして、祐一さん……。やっぱり佐祐理と選ぶのはいやなんですか?」
「いや、そうじゃなくて……」
「よかった。佐祐理が嫌われたのかと思っちゃいました〜」
いや、だから何のために買うのか判らないんですってば。
「去年のアリクイさんはちょっと汚れちゃったけど、でも舞はとっても喜んでくれましたから。きっと、今年はもっと喜んでくれますよ〜」
佐祐理さんは笑顔で言った。
その瞬間、いろんな情景が俺の頭の中を駆けめぐった。
深夜の校舎、血まみれの佐祐理さんとぬいぐるみ、抱きしめた舞の体、そして……。
……そうか。
今日は、1月29日。舞の誕生日。そして……。
もう、あれから1年たつのか……。
「……祐一さん?」
佐祐理さんの声に、はっと我に返った。
俺の顔をのぞき込む佐祐理さん。
「どうかしたんですか?」
「あ、いや」
俺は、笑顔で答えた。
「いいものがあると、いいよな」
「はいっ」
佐祐理さんは大きくうなずくと、腕まくりした。
「佐祐理、がんばって探しますよ」
「よし、俺も負けないぞ」
商店街に入ってから、俺達は二手に別れて探し回った。
そして30分後。
「……結局またここか……」
「いいじゃないですか」
俺達は去年と同じ店の前に立っていた。
去年、例のアリクイのぬいぐるみがあった場所に、今年はべつのものが鎮座している。
「……確かに、これよりも大きなぬいぐるみはなかった。けどなぁ……」
「今年も来たようじゃな」
いきなり、すぐ背後で声がして、俺は飛び退くように振り返った。
「出たな、じぃさん」
「あ、おじいさん、こんにちわ〜」
佐祐理さんはぺこりと頭を下げた。
俺はため息を付いて訊ねた。
「で、今年のこれはなんなんだ?」
「何に見えるかね?」
聞き返されて、俺はもう一度じっくりと見てみた。そして答える。
「怪獣」
「はぇ〜、怪獣さんですか〜」
「ふぉっふぉっふぉっ、まぁ近いかもしれぬな。これはコモドオオトカゲじゃよ」
「こもどーる?」
「体長1.5メートル。時速40キロの速度で地面をはい回り、ウサギなどの小動物をばりばりと食う、世界最大のトカゲじゃ。どうじゃ、可愛かろう?」
「だから、そのどこに可愛く思える要素があるんだっ!」
そう言ってから、俺ははっとして佐祐理さんを見た。
「佐祐理さん、まさか……」
「あの、おじいさん。もしかして、このぬいぐるみ、人気ないんですか?」
「ないのぉ。まったくもって哀れなほどにない」
「おい、佐祐理さん……」
「祐一さん、これにしましょう!」
……去年と同じパターンだった。
カチャ
ドアを開けると、真っ暗な部屋の中から、音が聞こえてきた。
ぐしゅぐしゅ
「……舞?」
パチッ
電気のスイッチを入れると、部屋がぱっと明るくなる。
その一番奥の角に、舞が体育座りをして顔を膝に埋めていた。
時々、鼻をすすり上げる音が聞こえる。
そのとき、初めて気付いた事があった。
俺と佐祐理さんが二人だけで一緒に行動してたのは、3人で暮らすようになってから初めてだった。
「ごめん」
「……」
舞は顔を上げた。目が真っ赤だった。
「祐一も……佐祐理も……いなかった」
「ああ、ごめん」
俺は舞の体を引っ張り起こした。
「でもさ、俺は帰ってきたぜ」
「……うん」
最後に一つ、しゃくり上げると、舞は俺の肩に自分の頭を乗せた。
「それに、今日は舞が主役だからな」
「私が……?」
「ああ。佐祐理さんっ!」
大声で呼ぶと、佐祐理さんがコモドオオトカゲのぬいぐるみを背負って入ってきた。
「舞〜、ただいま〜っ!」
「……」
真っ赤な目で、きょときょととぬいぐるみと佐祐理さんと俺を交互に見比べる舞。
佐祐理さんは、そのぬいぐるみをよいしょとおろして、舞に差し出した。
「はいっ、舞。佐祐理と祐一さんのプレゼント」
「え?」
「19歳、おめでとう!」
「……」
舞の表情が、不意にくしゃっとゆがんだ。
「……ふぇっ……」
「舞?」
「ふぇぇぇぇぇん」
立ったまま、泣き出した舞を、俺はもう一度抱きしめた。
「おめでとう、舞」
「うくっ、うっ……」
「嬉しくて泣くのは、我慢しなくたっていいんだ」
俺は、舞の後頭部を優しく叩きながら言った。
「はぇ〜。それじゃ佐祐理は、お食事の準備してますね〜。ごゆっくり〜」
笑いながら、佐祐理さんはキッチンの方に入っていった。
うーむ。気を回されてしまった。
「舞……」
「もし……祐一が良ければ……。もう少し……」
きゅっ、と、俺の背に回された舞の手に力が入る。
「……ああ」
俺も、舞の背中に手を回した。
「準備できま……。はぇ〜、まだラブシーンしてたんですね〜」
夢の終わりに、勇気を持って現実に踏み出した少女。
その旅はまだ、始まったばかりだけど。
少女はもう、立ち止まることなく、歩いていく。
そして俺は、どうやら、その少女と一緒の旅路を、これからも続けていけそうだ。
それは、長い旅のほんの通過点に過ぎないけれど、
でも、とりあえずここまでこられたお祝いと、そしてこれからもよろしくっていう想いを込めて、
もう一度言おう。
Happy Birthday、舞。
「あっ、いやっ、そういうわけじゃ……」
「……はちみつくまさん」
「こら、舞っ!」
「あはは〜、ごゆっくり〜」
あとがき
ふと気付いて、あわててコンビニに牛丼を買いに行って、食べながら書きました(笑)
明日はサンクリですけど、お金がないし寒いので家の中で寝てるつもりです。
After 1 years 00/1/29 Up