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Kanon Short Story #13
プールに行こう3 番外編2
それは土曜日のことでした。
私たちは、食堂か相沢さんの教室で、みんなでお昼を取るのが半ば習慣のようになっていました。その日も、食堂で、倉田先輩と美坂さんの作ったお弁当を囲んでいました。
慣れというのは恐ろしいものです。最初は、真琴に万一にも何かあったら、と思って、とりあえず目の届く範囲にいるために参加していたのですが、最近は真琴ももう心配しなくても良いはずなのに、私はみんなと一緒に食事をしているのです。
少し前までなら、こんな状況は思いもよりませんでした。
私も、何かが少しずつ変わっているのでしょうか?
「……ところで、だ」
不意に相沢さんが言いました。
「天野、午後は空いてるか?」
みんなで喫茶店に行こう、という話かと思って、私は頷きました。
こういうのも悪くない、と、最近は思い始めていましたし。
「ええ、まぁ」
相沢さんは大きく頷きました。
「よし。それじゃ、これからみんなで天野の家に遊びに行こう」
「えっ?」
天野さんちに行こう
「……本気なんですね?」
駅まで来たところで、私は振り返って確かめました。
「おうっ!」
「やっぱり天野さんにはお世話になりましたから」
「真琴も行くのっ!」
「……」
みんなの返事を聞いて、小さくため息をついてから、私は券売機の上にある路線表を指しました。
「美山の駅で降りますから」
「えっと、……350円ね」
香里さんが頷きました。それから栞さんに訊ねます。
「栞、回数券あったかしら?」
「ちょっと待ってくださいね」
栞さんはポケットを探って、切符を出しました。
「はい、350円の回数券です」
「相変わらず四次元だな、栞」
「そんなこと言う人嫌いですっ。祐一さんは自分で切符買ってくださいっ」
「わっ、冗談だ冗談っ! 謝るから切符くれっ!」
その様子を眺めていると、後ろから真琴が背中にぴょんとのしかかってきました。
「み〜しおっ。どうしたの?」
「……いえ。それより真琴」
「なに?」
「……気をつけてくださいね」
「何を? ああーっ! 祐一っ、栞の頭撫でるんなら真琴も撫でてようっ! ありがとね、美汐。教えてくれてっ」
私にそう言ってから、ばたばたと相沢さんの方に走っていく真琴。
……そういう意味で言ったのではないんですけれど。
大騒ぎしながら改札を抜けて、電車に乗り(その時も真琴が騒いだのは言うまでもないです)、4つ向こうの駅で降りました。
いつもの帰り道ですが、みんなが一緒だと……。
「えへへっ、これで真琴も一つおとなになったのよっ」
「あのな、電車に乗るだけで大人になれるかっ!」
「うぐぅ、そうなの祐一くん?」
「ま、新幹線に乗って一人前だな」
「そうだったんだ。知らなかったよ」
「こら、間違った知識を植え付けるんじゃないわよ」
……騒がしいだけかもしれません。
と、川澄先輩と楽しそうにおしゃべりをしていた倉田先輩が、私に話しかけてきました。
「天野さん、今日はお招きいただいて、ありがとうございます〜」
「……いえ」
頭を振ると、私は立ち止まりました。
倉田先輩と川澄先輩も、立ち止まります。
「どうしたんですか?」
「……」
倉田先輩は、まだ……。
「……いえ、なんでもありません」
でも、倉田先輩が何も言わないのなら、私が口を出すべきではないでしょう。
それに……。
「おーい、どうしたんだ、3人とも〜」
私たちが立ち止まっていることに気付いた相沢さん達が、立ち止まって私たちを待っています。
「あっ、すみません。ほら、行きましょうか」
明るく言って、倉田先輩は歩き出しました。
川澄先輩が、すぐにその隣りに並びます。
「舞、この辺りは木が多いね〜」
「空気が美味しいから、嫌いじゃない……」
「あはは〜。そうですね」
倉田先輩には、川澄先輩がついていますから。今の川澄先輩なら、きっと倉田先輩を……。
しばらく歩くと、目の前に石段が姿を現します。
その上に見える鳥居を見上げて、相沢さんが訊ねました。
「もしかして、天野の家って、神社か?」
「はい、そうですけど」
「……なるほど、あれはコスプレ衣装じゃなくて、自前だったのか」
「……」
まぁ、相沢さんの言うことに一々反応してたら身が持ちませんけど。
私は、他の人の方に向き直りました。
「みなさんは大丈夫ですか? もし上れそうにないなら、女坂の方に案内しますけど」
「おんなざかってなに?」
あゆさんが首を傾げると、倉田先輩が答えてくれました。
「こういう急な石段は、女の人やお年寄りが登るのはきついじゃないですか。でも、そういう方達だって、お参りしたいでしょう? そのために、ゆるやかな坂道を造ってあるんですよ」
「栞はそっちの方がいいわね」
「お姉ちゃん、いつまでも病人扱いしないでくださいっ」
栞さんがぷっと膨れました。
「私、もう健康なんですからっ」
「ふふ。そうだったわね。ごめんね」
「それじゃ行きましょう」
栞さんはそう言うと、石段を上がり始めました。
私は、続いて上がろうとした相沢さんに声をかけます。
「相沢さん、体力は温存してください」
「……どういうことだ?」
「すぐにわかります」
「……そう、いう、ことかっ、天野っ」
「ごめんなさい、祐一さん」
相沢さんの背中におぶさった栞さんが、すまなさそうに声をかけます。
思った通り、栞さんは途中で動けなくなってしまいました。
他の人は、わりとすいすいと上がっていきます。私の見たところ、途中でへばりそうもないので一安心です。
「はぇ〜、さすがに大変ですね〜」
「……大丈夫?」
「うん。佐祐理はこう見えても体力あるんですよ〜」
小さくガッツポーズをしてみせる倉田先輩。
どうやら、次に体力が切れそうなのは、相沢さんか、香里さんのようです。
「……うぐぅ、ボクも疲れた……」
ああ、あゆさんがいました。
「祐一くん……」
「こういうとき、『背中の羽根は伊達じゃないっ』とか言って飛んでいくんじゃないのか?」
「うぐぅ、そんなことしないもんっ」
「天野、あとどれくらいだ?」
「そうですね……。ここで、だいたい半分ですか」
「……うぐぅ」
「あゆさん、がんばってくださいねっ」
「……栞、俺の背中でそんなこと言っても説得力無いぞ」
「そんなこと言う人は嫌いです」
「ほらっ、あゆちゃん。ふぁいとっ、だよ」
あゆさんの後ろに回って、背中を押し始める名雪さん。
「わっ、名雪さんっ! わっわっ!」
「祐一っ、先に行ってるよ〜っ」
そう言いながら、名雪さんはあゆさんを押して駆け上がっていきました。
それを見送りながら、ため息をつく相沢さん。
「相変わらず、無駄に体力の余ってるヤツだな……」
「……」
「ん、何だ天野? 俺に惚れたのか?」
「絶対にそれはないですから安心してください」
そう答えながら、私は駆け上がっていった名雪さんを見上げました。
名雪さんが、今週に入ってから、微妙に相沢さんへの接し方を変えている……というよりも、どう接したものかと戸惑っている感じがします。
まぁ、当事者同士で解決すべきことで、私が口を出すことでもないですし、それに真琴の事もありますからね。
「おーいっ!! 祐一〜っ、美汐〜っ!」
上の方から、その真琴に呼ばれて、私たちは再び石段を上がっていきます。
「つ、ついたぁ〜」
「お疲れさまです」
私一人のときの3倍ちかく時間を掛けて石段を登り終わると、相沢さんは背中から栞さんを下ろして、そのままその場に座り込んでしまいました。
と、真琴がぺたっと相沢さんの背中に引っ付いて、笑いました。
「えへへ〜っ」
「ああっ、何をするんですかっ!」
慌ててそれを引き離しにかかる栞さんと、離れてはならじとしがみつく真琴。
「なにようっ。今までずっと栞がひっついてたから、こんどは真琴の番ようっ」
「それは違いますっ!!」
相沢さん本人は、というと、疲れきったせいか何も言わずにぼーっとしています。
……こういうとき、私はどうすればいいんでしょうか?
私が考え込んでいると、不意に後ろから声が掛けられました。
「やぁ、美汐。皆さんはお友達かな?」
「あ、兄さん」
振り返ると、八汐兄さんでした。境内の掃除をしていたようで、いつもの淡い水色の宮司服に、箒を手にした格好です。
と、兄さんの眉がしかめられました。
「……君」
「えっ、俺ですか?」
相沢さんが、自分を指すと、兄さんは頷き、箒の柄をさっと突きつけました。
「答えたまえ。まさか、美汐とお付き合いさせて欲しいと言いに来たんではないだろうな?」
「……へっ?」
「私も無粋な人間ではないが、色恋などは純な美汐にはまだ早い。どうしてもと言うなら、私を倒したうえで、まずは交換日記から始めてもらうぞっ!」
「ちがうわようっ! 祐一は真琴のなのっ!!」
真琴が相沢さんにぺたりと張り付いて言い返しました。
「……なに、違うのか?」
「うぐぅ……違うもん。祐一くんはボクの……」
「あゆさんっ、どさくさ紛れに変なこと言わないでくださいっ! 祐一さんは私の……」
「ほらほら、舞も負けてないで言っておいでよ。祐一さんは舞のですって」
「……」
ぽかぽかっ
目の前の騒ぎを見ていた兄さんは、肩をすくめて私に言いました。
「どうやら、私が誤解していたようだな。彼は女難の厄落としに来たのか」
「……違います」
「ここでお待ち下さい。着替えてきますから」
居間に皆を通して、そう断って私は廊下に戻りました。
自室に向かう途中で、お祖父様とすれ違います。
「美汐、居間の方が騒がしいようだが、何かあったのかね?」
「あ、はい。友人が来ておりますので」
「そうか、美汐のご学友がいらっしゃっておられるのか。それでは、一言ご挨拶申し上げて来ねばな」
一つ頷いて、お祖父様は居間の方に歩いていきました。
私はそのまま部屋に戻ると、着替えるために制服のボタンを外していきます。
あまり関係はないですが、この制服は上下が一体化していて着替えるのが楽なので気に入っています。……務めの関係上、すぐに着替えないといけないことも多いものですから。
閑話休題。
脱ぎ終わった制服をハンガーに掛けているとき、不意に嫌な予感がしました。
私、ああいう仕事をしてますから、結構予感は当たるほうです。
なんだろう、と胸に手を当てて考えていると、いきなり居間の方向からすごい音がしました。
あっ、しまった。
私は、嫌な予感の理由に思い当たりました。
私が継ぐまで、天王蒼穹流退魔道の当代として魔物退治を生業としてきたお祖父様は、当然、大の魔物嫌いなのです。
そんなお祖父様が真琴を見て、平静でいられるはずがありません。兄さんは気付かなかったようですが、お祖父様なら一目で真琴の正体を見破り、退治しようとするでしょう。
慌てて部屋を飛び出そうとして、着替えてる最中だったのを思い出して、私は手早く着替えました。それから居間に向かって走ります。
「お祖父様」
戸を開けながら声をかけると、お祖父様は既に愛弓“疾風丸”を引き絞っていました。
「あ、あうーっ」
狙いの先には真琴。しかも、あうあう、と呻くだけで、身動き一つ取れない様子なのを私は見て取りました。
まさか、と思って他の人を見ると、みんな、床に倒れたり、座り込んで壁にもたれたりという格好のまま、まったく身動き一つしません。
間違いなく、お祖父様が“不動”の術を使ったようです。
この術を使うと、普通の人間は意識を失い、その間に何が起こっても、それを知ることすら出来ません。
お祖父様はこの術を使って、一般の人間にはまったく知られないうちに魔物を狩るのを得意としていたのです。
今も、部屋にいる他の人は、みんな意識を失っているようです。ただ、妖狐である真琴だけが、かろうじて意識を保っているようですが、その真琴も動くことが出来ないでいます。
「この妖狐め、よくも美汐の友に化けおって! 今退治てくれるわっ」
私は、ため息をつきました。やはり、老人は考え方が固いのですね。
真琴が私の姿を見て、必死に口を開きます。
「た、たすけ……て」
「命乞いか、見苦しい。魔の存在めっ、今、消滅させてやるわっ!」
ぼうっと、光が矢に宿りました。
いけない、あれは……。
「一の矢、“翔”っ!」
止める間もなく、矢が放たれました。一直線に真琴の眉間目掛けて飛んでいきます。
「ゆ、ゆういちぃぃぃっ!!」
悲鳴を上げる真琴。
その瞬間、真琴の前に赤い影がさっと飛び出しました。そして、銀色の光が弧を描き、矢を跳ね飛ばします。
カキィン
澄んだ音がして、矢は天井に突き刺さっていました。
「なっ!?」
お祖父様が息を飲みました。
「こんこんきつねさん、いじめる者は許さないから」
素早く間に入った川澄先輩が、手にした剣で矢を空中でたたき落としていたのでした。
私は、大きく息をつきました。
老人は気が短いのを忘れていました。川澄先輩がいてくれてよかった。
それにしても、さすが川澄先輩です。お祖父様の術が効いていないなんて。
「莫迦なっ! どうして人間がっ!」
叫びつつも、二の矢をつがえようとしたとき、川澄先輩の次の斬撃が襲いかかりました。
とっさに防ごうとするお祖父様。でも、それよりも川澄先輩の方が早いです。
ブツン
大きな音を立てて、“疾風丸”の弦が切れました。そう、川澄先輩は最初から弓の弦を狙っていたのです。
弦が無ければ、弓はただの棒です。お祖父様は川澄先輩をにらみつけました。
「くっ! き、貴様は何者だっ!? ただ者ではあるまいっ!」
「……私は、魔物を狩る者、だったから」
川澄先輩は、微かに微笑みました。
そして、私に視線を向けます。
私は頷きました。川澄先輩も頷くと、剣で空中をひと薙ぎします。
と同時に、皆を動けなくさせていたお祖父様の“気”が、ふっと破れました。
「……あ、あれ?」
きょときょとする相沢さんに、真琴が飛びついていきました。
「あうーーーっ、祐一ーーっ、怖かったよう〜〜っ」
「わぁっ、なんだ、一体?」
「わぁぁ〜〜〜ん」
泣きながら相沢さんの胸にむしゃぶりついている真琴。……あ、今、私に向かってぺろっと舌を出しました。演技してますね、真琴?
「おのれっ。美汐、魔物ぞっ! なにをしておる、早う討てっ!」
怒鳴るお祖父様。みんなはぽかんとしています。私はため息をついて、お祖父様に言いました。
「お祖父様、真琴は私の大切なお友達です」
「なんじゃと?」
お祖父様はみるみる真っ赤になりました。そして、私を怒鳴りつけます。
「美汐っ! お前は我らが務めを何と心得るっ!!」
「お祖父様……」
と、不意に後ろから声がしました。
「あら、みんな。どうしたの、こんなところで」
「えっ?」
お祖父様のあまりの剣幕に口を挟むことができなかったみんなが、その人を見て一斉に声を上げました。
「秋子さんっ!?」
「お母さん!?」
私から話を聞いて、秋子さんはお祖父様に向き直りました。
「事情は判りました。この子は、御心配には及びませんよ」
そう言って、真琴の頭を撫でる秋子さん。
「いや、しかし、魔のものですぞ」
「それをおっしゃるなら、八百万の神のほとんどが魔になってしまいますわ」
「……し、しかし……」
「それに、この子は私の娘ですから」
そう言うと、秋子さんはお祖父様に視線を向けました。
「この子に手を下すと言うなら、私もあなたの敵となります」
「……」
不承不承、という感じでお祖父様は黙ってしまいました。
秋子さんは微笑みました。
「時代は変わっています。私たちの時代とは違って、これから共に生きていく、そんな時代になっているのかもしれませんね」
「……水瀬殿には、かないませんな」
お祖父様は苦笑して、私に視線を向けました。
「我らが務めは、判っておるな?」
「牙無き人の牙となりて、理不尽に必勝すること、ですね?」
「その通り。それが判っておればよい。……真琴、というたか?」
「……う、うん」
名前を呼ばれてびくっとしながら頷く真琴に、お祖父様は頭を下げました。
「すまなんだな」
……その時、私が一番びっくりしていたかもしれません。お祖父様が、真琴に頭を下げるなんて。
そのまま去っていくお祖父様の背を、私はしばらく見送っていました。
「ほら、ちゃんとお礼を言わないとだめだよ」
名雪さんに背中を押されて、真琴はおずおずと川澄先輩に頭を下げました。
「あう、えっと……あ、ありがと……」
「……気にしないで」
素っ気なく答える川澄先輩。
「うん、それじゃ気にしないねっ」
「莫迦」
ごつん、と真琴の頭を叩くと、相沢さんは川澄先輩に笑顔を向けました。
「なんにせよ、助かった、舞」
「うん」
あ、川澄先輩が微かに赤くなってますね。
それを敏感に感じ取ったらしく、真琴と栞さんとあゆさんの3人はちょっと面白くなさそうです。
名雪さんは、どうせまた寝てるのでは……、と思って見てみると、そんな相沢さんをじっと見つめていました。
「それじゃ、今日はお邪魔しました」
「美汐〜、また明日ね〜っ」
手を振りながら石段を下りていくみんなを見送っていると、不意に後から声を掛けられました。
「いい友達が出来たみたいだな、美汐」
「……兄さん?」
振り返って、私は答えました。
「私も、そう思ってます」
Fortsetzung folgt
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先頭へ
あとがき
プロバイダのcgiサーバの不調でご迷惑をおかけしております。
お詫び代わりに、この作品をお納め下さると幸いです(笑)
リクエストがありましたので、みしちゃんこと天野さんの家庭訪問の巻です。
ちょうど、本編の最終回のプールに行く前日になりますね。
なお、みしちゃんの実家の設定は、完全にこちらのオリジナルですので誤解されないように。念のため。
メインマシンの「佐祐理さん」がマザーボードを交換して「ニュー佐祐理さん」になりました(笑)
さらに40Gのハードディスクを装備。現在のところ、まだハードディスクの内容をコピー中ですけど、とりあえず安定動作してくれればいいな、と。
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