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Kanon Short Story #13
プールに行こう3 番外編

 祐一が元気ない。
 昨日から、あたしが何を話しても「ああ」とか「うん」とかしか言ってくれないし、いつもみたいに頭撫でたりしてくれない。
 なんとなくわかる。こういうとき、どうしなくちゃいけないかって。
 でも……。
 それは、あたしの……。


倉田さんちに行こう


「あ、真琴」
 ほーむなんとかが終わって、出てもいい時間になった。すぐに部屋を出ていこうとしたあたしを美汐が呼び止める。
「え?」
 早く祐一のところに行きたいけど、美汐も大事だから立ち止まって振り返る。
「何、美汐?」
「相沢さんのところに行くのですか?」
「うん」
 あたしが頷くと、美汐は首を振った。
「今は、行かない方がいいと思いますよ」
「なんで?」
「きっと、今は一人にして欲しいと思ってるでしょう」
 まだ、真琴は人間のことがよく判らない。だから、それを教えてくれる美汐は大切な人。
 でも、祐一のことはよくわかってるもん。
「そんなことないよっ。行ってくるっ!」
「あっ、真琴」
 美汐の言葉を背中で聞きながら、あたしは外に飛び出した。冷たい床を走って、階段を駆け上がる。……つい手を使って走りそうになるけど、それは人間らしくないって美汐が言うから我慢して。
 祐一の部屋に飛び込むと、きょろきょろと見回す。
「あれ? 真琴ちゃん。どうしたの、そんなに慌てて」
 なんとかって名前の人が話し掛けてきた。
「えっと、祐一は?」
「ああ、相沢ならついさっき帰ったぜ。惜しかったな、真琴ちゃん」
 何が面白いのか、唇を笑いの形に曲げながら片目をつぶるその人間。
「あう……」
「わっ、ど、どうしたの?」
「……祐一……いない」
 痛い。
 また、あのときのことを思い出してしまうから。
 こんなに痛いなら、思い出したくなかった……。
「ご、ごめん。俺なんか悪いこと言ったの?」
「……っ!」
 あたしはくるっと背中を向けて、祐一の部屋を飛び出した。
 どんっ
「きゃっ」
 誰かにぶつかったけど、そんなことは無視して、そのまま走る。

「はぁはぁはぁ」
 この体は、走るためには都合良くできてない。走ることも出来る、っていうだけで、狩りをするために必要なものは備えてない。
 風が吹いていた。
 風だけは、あの頃も今も同じ。
 金網越しに下を見る。
 広い、固い地面を、人間が歩いている。
 祐一、どこ?
 逢いたい……よ。
 ガチャ
 後ろで金属の音。びくっとして振り返ると、知ってる人間が、そこからこっちを見ていた。あたしの姿を見て、笑っている。
「あ、ここにいたんですね〜」
「えっと……」
 なんて呼んでたっけ……。確か……。
「さゆ……り」
「はい、佐祐理です」
 あ、そうか。
 微かに香ってくる匂い、さっき祐一の部屋から飛び出した時にぶつかった人間の匂いだった。ほんのりとした花の匂い。
「びっくりしましたよ〜。真琴さん、凄い勢いで走って行っちゃうんですから」
「えっと、……ごめんなさい」
「あ、佐祐理は別に怒ってなんてないですよ。ただ、どうしたんだろうなって思って……」
 と、そのとき、それとは別の匂いがする事に気付いた。
 思わず後ずさりすると、背中が金網に当たってがしゃんと音を立てる。
「ふぇ? どうしたんですか〜?」
「……も、もしかしているのっ!?」
 そのまま金網に沿ってずりずりと離れながら訊ねる。
「いるのって? あ、舞ですか? 舞なら下で待ってますよ」
「……」
 ほっと全身の力を抜く。多分、さっきの匂いはその人に移った匂い。
「はぇ、もしかして真琴さん、舞のこと嫌いですか?」
「うん」
「……ふぇ」
 あう、なんか泣きそうな顔してる。
「舞は真琴さんのこと大好きなのに、真琴さんが舞のこと嫌ってたら舞が可哀想ですよ」
「そ、そんなこと言われたって……」
 と、不意に普通の顔に戻ってぽんと手を打った。
「あ、そうだ。それじゃこうしましょう。今日は真琴さん、佐祐理の家に来てください」
「……えっ?」
「舞も呼びますから、今日は一日一緒にいて、仲良くなって下さいね」
「……ちょ、ちょっとっ!!」
「それじゃ、佐祐理は舞を呼んで来ますね。舞ーっ」
 そのまま、身を翻して階段を駆け下りていく。あたしは慌ててその後をおっかけた。
「待ってよーっ! あたしはがっ」
 ばたーん
 次の瞬間、あたしは冷たいドアに思いっきり鼻をぶつけてた。
「あう……」

 ……どうして、こうなってるの?
 あたしはふかふかのソファに半分体を埋めながら、部屋をきょろきょろと見回していた。
「真琴、あんまりきょろきょろ見回すものではないです」
 隣で紅茶を飲んでいる美汐が、あたしを見ないで小さな声で言う。
「あう……ごめん」
「最初は謝らなくてもいいです。謝るのは二度目から」
 そう言うと、美汐はカップをお皿の上に置いて、にこりと笑った。
 美汐の笑う顔は、なんだかこっちまで嬉しくなるから好き。
 でも……。

 あの後、あたしは重いドアをやっと開けて(本当は引っ張るドアをしばらく押してたことは、祐一にばれるとまた馬鹿にされるから秘密)、階段を駆け下りた。
 匂いを辿っていけば、佐祐理を追っかけるのは簡単だったから、すぐに見つけることができた。
 でも、その隣にもう舞がいたので、あたしは思わず足を止めた。ホントはそのまま逃げようとしたけど、舞がぱっとこっちを見たので、見つかってしまったのを悟ったあたしは逃げられなくなってしまったのだ。……あの舞、あたしと同じくらい感覚が鋭い。やっぱり苦手。
「あっ、真琴さん。こっちですよ〜」
 ぱたぱた手を振る佐祐理。舞がじーっとこっちを見てる。うう怖い。祐一どこ?
「大丈夫ですよ〜。ね、舞?」
「……」
 無言でこくりと頷く舞。それが怖いのにぃ。
「それじゃそういうわけですから、今からでも……」
「あうっ、えっと、あのっ、あっそうだ! 美汐が……」
「天野さん、ですか?」
「うん。あたし美汐と約束してるっていうか、えっと、美汐と一緒でないとだめだからっ」
「そうですか〜。残念です〜」
 ちょっとしょぼんとする佐祐理。舞は……と思って見ると、相変わらず表情変わらないからよくわからない。
 と、とにかく今が逃げるチャンスっ。
「そ、そんなわけで……」
「あっ」
 不意にぽんと手を打つ佐祐理。ってなにようっ!
「それじゃ天野さんもお誘いすればいいんですね〜。舞はどう思う?」
「それでかまわない」
「そうだよね〜。それじゃ真琴さん、一緒に天野さん誘いに行きましょう」
 えっ? ええっ?
 あたしが目を白黒させてる間に、いつのまにかあたしの手を握った佐祐理が、そのまま引っ張って歩き出した。
「わっ、な、なにっ?」
「行きますよ〜っ」

 ……で、肝心の美汐ったら、断ってくれると思ってたら、あっさり「いいですよ」なんて言っちゃって、気が付いたらあたしたちは佐祐理の家に来てた。
 ……おっきな家だなぁ。祐一の家の何倍あるんだろ?
 でも……。なんか、おっきいだけって感じがする。祐一の家って、上手く言えないけど、なんかこう暖かい感じがするんだよね。この家って、それがなくて……なんか寒い。
「お待たせしました〜」
 カチャとドアが開いて、佐祐理が入ってきた。途端に、今までの寒さがふっと消える。
 それで判った。家のあったかさって、そこに住んでいる人のあったかさなんだ。きっと、この家であったかいのは佐祐理だけで、佐祐理はこの家全部をあったかくは出来ないってこと。祐一の家は、祐一も秋子さんも名雪もみんなあったかくて、それで家全体があったかいんだ。
 でも、今の祐一は……。
「や、やっぱりっ、あたし祐一のところ行かなくちゃっ!」
 あたしは立ち上がった。そして、佐祐理の開けたドアから外に飛び出した。
「あっ、ちょっと真琴さんっ!」
 後ろで佐祐理が声をあげたけど、そんなの構っちゃられない。

 家まで走って、玄関から入ろうかと思ったけど、ベランダから行った方が早そうだったから、ジャンプしてベランダに飛び乗った。……やってみると結構簡単。今度からこうしようっと。
 窓ガラスごしに、祐一の頭が見える。
 今行くよ、祐一。
 ガラスに手をかけたとき、不意に気付く。
 祐一だけじゃない。……この匂い、甘い匂いは、名雪だ。
 名雪が、祐一の部屋にいる。祐一と一緒にいる。
 なんで?
 その時、中から声が聞こえてきた。
「……祐一」
「え?」
「祐一は、あゆちゃんのことが好きなんでしょ?」
「……なっ」
 なにっ、なによそれっ!?
 名雪の声が聞こえてくる。
「わたし、知ってるよ。あゆちゃんが、祐一の初恋の人だったって」
 祐一がすこししてから、言い返す。
「でも、だからって、今もそうだとは……」
「聞いて」
 名雪の声が、祐一の声を遮る。そして……。
「わたしね、ずっと祐一のこと、好きだったよ」
 !!

 気が付くと、あたしは商店街にいた。
 目の前を、人が流れていく。

 他の人なんてどうでもいいと思ってた。
 でも、名雪は……。
 なんで、どうして名雪が……祐一のこと好きなの?
 栞やあゆが祐一を好きなのは知ってる。あたしの方がずっと好きだって思ってるから、気にしてない。
 だけど、名雪は? わかんない、名雪がどれくらい祐一を好きなのか。だから、不安。
 どうしよう。あたし、どうすればいい?
 これが、人間になったってこと? だったら、あたしは……。

「真琴」

 名前を呼ばれた。あたしの、人間の名前。
 振り返ると、あいつがいた。無表情で危なくて、でもあたしを助けてくれたあいつ。
「……佐祐理が、待ってるから」
「……うん」
 あたしは、頷いた。そしたら、なんだか目から熱いものが溢れてた。ほっぺたを伝わって落ちていく。
 と、そのほっぺたを、指が拭った。
「泣かないで。……悲しいの、嫌いだから」
「……悲しくないもん」
「……そう」

「あっ、お帰り、舞、真琴ちゃん」
 佐祐理の家の門のところまで来たら、佐祐理がたたっと駆け寄ってきた。
「随分遅かったよね。心配したよ。ね、天野さん」
「……はい」
 その後ろから来た美汐が頷いた。そして、あたし達を見て微かに微笑む。
 佐祐理もにっこり笑った。
「仲良くなったんですね〜。佐祐理は嬉しいですよ〜」
「あ」
 言われて気が付いた。あたし、舞の手を握ってた。
 慌てて離すと、ぶんぶんと手を振る。
「そ、そんなわけないんだからねっ!」
「あはは〜。夕御飯の用意も出来てますよ〜。今日は舞も大好きな天ぷらですよ〜」
「天ぷら、相当に嫌いじゃない」
 ……もう聞いてないし。

 ちゃぷん
「……ふ〜」
 佐祐理の家のお風呂は、祐一の家と違ってものすごく広かった。
 美汐と一緒に入って、しばらくばしゃばしゃ遊んでたけど、ちょっと疲れたので一休み。
「……真琴」
「うん?」
 声をかけられて、あたしは美汐の方を見た。
「どしたの?」
「川澄先輩と、何か話をしたんですか?」
「……ちょっとだけね」
「……そうですか」
 ぱしゃ
 美汐はお湯をすくって顔を洗った。それから、天井を見上げる。
「たまには、いいものですね」
 と、入り口ががらがらっと開いて、佐祐理と舞が入ってきた。
「お邪魔しますね〜。ほら、舞も」
「……うん」
「あ、真琴ちゃん! 舞が洗ってあげるって」
「へ?」
「ほら、いらっしゃいな〜」
 佐祐理がとたたっと近寄ってくると、あたしをお湯の中から引っ張り上げた。
「ななな?」
「はい、ここに座って。舞、シャンプーここにあるよ」
「うん」
「え、ええっ?」
 べしょ
 いきなり頭にシャンプーかけられて、しゃかしゃかとかき回された。
 わっ、目に入るっ!
「あはは〜、気持ち良さそうですね〜」
 違うわようっ! 目に入るとやだから動けないだけようっ。
「あ、ほら、舞。ちゃんと耳の裏も洗ってあげないと」
「うん」
 あうーっ、耳に泡があわわっ。
「あ、耳がぴくぴくしてますね〜。可愛い〜」
「……こんこんきつねさん」
「……お二人とも、あんまり遊んでると真琴が可哀想です」

 ざばーっ
 ぷるぷるっと体を震わせて、水を飛ばすと、大きく息をつく。
「はぁ、死ぬかと思ったぁ」
「それじゃ、次は体を洗いましょうね〜」
「……はい?」
 思わず聞き返すと、佐祐理はにっこり笑顔で笑った。
「女の子なんですから、ちゃんと体を洗わないといけませんよ〜」
「い、いいわようっ、それくらい自分でやるんだからっ!」
「でも、舞がやりたいって……」
 思わず舞を見ると、片手にスポンジ、片手に石鹸持ってこっちをじーっと見てる。
 ……やっぱり逃げよう。
 そう思って、そろそろと移動しようとしたとき、佐祐理が言った。
「それに、祐一さんもきっと綺麗な方が好きだと思いますよ〜」
「……お願いします」

「あうーっ、やっぱりやめときゃよかったよう」
 あの後、舞に石鹸ぬるぬるにされたりくにゃくにゃされたりして、あたしはすっかり疲れ果ててお風呂から上がった。歯もしっかり磨かれたし……。口の中がすーすーするぅ。
 廊下を歩きながら、佐祐理が舞に訊ねる。
「舞はいつもの?」
「……」
 こくりと頷くと、舞はそのまますたすたっと出ていった。多分、またいつもの学校だと思う。あたしはもう夜の学校で舞に逢いたくないので、そのまま見送る。だって危ないもん。
「それじゃ、天野さんと真琴ちゃんは、こっちの部屋使ってくださいね」
 そう言って、佐祐理に案内された部屋には、大きなベッドが並んでいた。
「倉田先輩はまだお休みにならないんですか?」
「佐祐理は舞が帰ってくるまで待ってますから」
「そうですか。それではお先に失礼します。……ほら、真琴もちゃんと挨拶しないと」
「あ、うん。おやすみ」
「はい、おやすみなさいませ」
 パタン、とドアが閉じた。
「それじゃ、寝ましょうか」
「うん、そうだね」
 あたしはベッドに飛び乗った。わっ、すごく跳ねる。
「わっ、ほら美汐っ、ぷわんぷわんだよっ。ぷわん、ぷわんっ」
「……真琴、やめなさい」

 暗くて静かな部屋。
 あう、眠れないよう。
 ベッドが柔らかすぎて、枕も違うし、第一いつもと匂いが違う。
「……眠れないのですか?」
 不意に隣のベッドから美汐が言った。
「あう……。うん」
「そうですか……」
「あ、そうだ。美汐、なんかお話ししてよっ! お話しっ」
「……面白い話じゃなくてもよければ」
「うん、美汐の話ならなんでもいいよ」
「それでは……」
 美汐の声が、少し途切れた。
「……こんな話です……」

「……それで、一人残された娘は……。真琴?」
「……すぅ、すぅ」
「……眠ってしまいましたか。……おやすみなさい、真琴」

 翌朝。
 曲がり角で待っている。
 足音が聞こえてきた。声も聞こえる。
「ったく、なんでこんなに遅れるんだ?」
「不思議だね」
 タイミング合わせて、3、2、1、
 あたしは飛び出した。
「祐一っ、おはよっ!!」

Fortsetzung folgt

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あとがき
 本編が行き詰まったので番外編です(笑)
 えーと、本編でいうと、ちょうどEpisode.36〜38の間にあたりますかね。
 ……考えてみたら、マコピー一人称SSなんて初めて書いた気がする(笑)
 とりあえず、まだ人間になったばっかりで、いろんなコトを勉強中のマコピーです。温かく見守ってやってください(笑)

PS
 この話の中では、真琴が「あたし」という一人称を使ってます。
 普通しゃべってるときは「真琴は〜」と自分の名前を呼んでいる事が多いのですが、同じく自分の名前を呼んでいる佐祐理さんも、地の文では「私は〜」と言ってるのと同じことだと思ってください。

 プールに行こう3 番外編 00/7/23 Up 02/3/10 PS

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