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ようやく印刷所から解放された俺と瑞希は、ふらふらしながら外に出た。
To be continued...
途端に、熱波と蝉時雨が俺達を出迎える。
「……はうぅ〜っ、太陽が黄色く見えるぅ〜」
「ダニー、グレッグ、生きてるかぁ〜」
「誰がだによ……。はう、殴る元気もない」
「とりあえず、帰って寝ろ」
「うん、そーする〜」
キコキコ……
自転車を漕いで帰る瑞希を見送って、俺も家に向かって歩き出した。
ううっ、明日は夏こみ本番だっていうのに、何をしてるんだ、俺は……?
結局、あの大騒ぎで彩に礼も詫びも言えなかったしなぁ。
多分、明日逢うからその時に謝るか。
そんなことを考えながら、のたのたと歩道を歩いていると、不意に車のクラクションが鳴った。
プップーーッ
……俺はちゃんと歩道を歩いてるぞ。文句を言われる筋合いはねぇ。
そう思って歩き続けると、もう一度クラクションが鳴る。
プップーーッ
なんだ、一体? もしかして、ここが歩道だと思ってるのは、実は俺だけなのか?
慌てて振り返ると、うぉ、赤いスポーツカー、しかもオープンカーだ。
その運転席に座っているのは、サングラスをかけたショートカットのお姉さん。
と、彼女が声をかけてきた。
「千堂かずき君。お久しぶり」
「……は?」
知り合いにこんな派手な人いたっけ?
俺が戸惑っていると、彼女はサングラスを外した。
その顔を見て、俺はやっと思い出した。
「編集長!?」
「ようやく思い出してもらえたみたいね」
苦笑気味に微笑むその人は、マルチメディア展開で有名なマニア向けマンガ雑誌、コミックZの辣腕編集長、澤田真紀子さんだった。
ちなみに、実は南さんの先輩だっていうことは結構後になって知った。この業界、広いようで狭い。
「今帰りかしら?」
「ええ、まぁ……」
「それじゃ、ちょっとお話しがあるんだけど、乗って行かない? 話が終わったら、家まで送るわよ」
特に断る理由も無かったので、俺は頷いて助手席に座った。
「さぁ、どうぞ」
「どうぞって……」
俺は、テーブルに並べられた皿を見回した。
疲れもあってボーッとしている間に編集長に連れてこられたのは、どうやら高級料亭とかいうところらしかった。
「それでは、ごゆっくり」
そう言って仲居さんが襖を閉めると、俺と編集長は座敷に2人きりで取り残された。
「まずは、どうぞ」
「で、でも、いいんですか? 俺がこんなのご馳走になって。あとで割り勘なんて言われても……」
なにせ、ポケットの財布には3000円しか入っていない。
編集長はくすっと笑った。
「心配しなくてもいいわよ。出版社の経費で落としちゃうから」
「……ゴチになりやす!」
一通り、普段庶民の生活では口に出来ない高級料理を堪能した後、おそるおそる聞いてみる。
「あの……」
「どうしたの? ああ、ここに誘った理由ね」
「いえ、これ包んでもらえますかね? あさひにも食べさせてやりたいんで」
編集長は、まじまじと俺を見て、ぷっと吹き出した。あう、ちょっと貧乏くさかったか?
「くすくすくす……。ご、ごめんなさい。ちょっと聞いてみるわね」
そう言って、編集長は襖を開けて仲居さんを呼んだ。二言三言会話を交わして、振り返る。
「帰るときに持たせてくれるって」
「すみません」
俺は頭を下げて、改めて訊ねた。
「で、俺を誘ったホントの理由ってのは、なんですか?」
「知り合いと旧交を温めるため……じゃ理由にならないわよね」
「南さんじゃないんだから、そんなの信じませんよ」
我ながらひどいことを言ってるような気もするが、南さんはそういう人だ。
……今頃、くしゃみしてるかもしれない。
「ま、そうよね」
編集長も結構ひどい。
でも、そうすると……なんだろう?
内心で首を傾げる俺に、編集長は言った。
「こみっくパーティーが、今回で終わりになるってことは知ってるでしょう?」
「あ、はい。それは聞いてます」
だから、俺も参加することにしたんだし。
「……こみっくパーティーを、継続させることが出来るとしたら?」
「え?」
編集長は俺の顔を見て、ため息をついた。
「やっぱり。あなたは、何も聞いてないのね」
「……俺が、ですか? 誰からです? 何をですか?」
「その様子じゃ、これもまだ見てないでしょう?」
そう言って編集長は、鞄から分厚い電話帳を出した。
いや、電話帳じゃない。それは……
「夏こみの、カタログですか……?」
「ええ、そうよ」
確かに、見てない。
確かに、カタログが既に何週間も前から売ってるのは知ってる。だけど、あの状況でカタログを買うのは自殺行為に等しい。
カタログには、サークルカットが全サークル分掲載されている。それを見るだけで結構時間がかかるのだ。
「西館の方の出し物を見て」
「西館……っていうと、企業ブースの方ですよね?」
「ええ」
編集長は頷いた。
「企業ブースと、イベント会場があるわ。そのイベント会場の出し物よ」
「……っ!!」
俺は、目を疑った。
そのページには、イベント会場のタイムスケジュールが掲載されている。
そこには、大きく文字が書かれていた。
桜井あさひコンサート
「……な、なんの冗談ですか? やだな、編集長。今更こんな冗談、誰も喜びませんよ」
「冗談ではないわ。これが、こみパを存続させる、起死回生の一手なのよ」
編集長は言った。
「この状況下でこみパを存続させる、最後に残された手なの」
「……説明してください」
俺の声は、細かく震えていた。
「こみパがここまで追い込まれた最大の問題は、少なくとも表向きには、こみパの安全性が確保できない、という一点なのよ。そして、安全性が確保出来ない理由は、安全対策に割く予算が少ないこと」
「でも、それは……」
「まぁ、黙って聞いてくれるかしら?」
編集長はそう言うと、苦笑した。
「それで、予算をつけるためにはどうすればいいか? サークル参加費を上げる、という手もあるけれど、それは結局自分の首を締めかねない。それは判るわね?」
「……ええ。同人誌の単価に上乗せする、というのは無理でしょうから、サークルが負担するしかない。参加費が高い即売会からは、撤退するサークルも出てくるでしょう。この場は乗り切れるとしても、いずれ衰退していきかねない……」
「さすがね、千堂君。的確な読みだわ。それで、もう一つの手が出てくるわけよ。つまり、スポンサーを付けること」
「……でも、それでは同人誌の精神が……」
「同人誌の精神とやらを掲げて突き進んだ結果が、今の状況よ」
編集長は、厳しい顔をして言った。
「結局、空気を入れすぎた風船は、破裂するか、空気を抜くかしかないのよ」
「……」
「それでね、私の所属している出版社が、社のイベントとしてこみパを存続させていくことに名乗りを上げた、というわけ。でも、出版社も会社組織。無駄なことにお金は出せないわ」
編集長は、一拍置いて、スケジュールを指でトン、と叩いた。
「そこで、今回のこみパで、いかにこみパが集客力があるかを証明して、会社のお偉方にお金を出してもいいって思わせなくちゃならないわけよ」
「……で、あさひのコンサートを……?」
「彼女には、去年の春こみでのコンサートの実績があるわ。それ以後、彼女ほどの集客力を持つ声優アイドルは出てこなかったしね」
でも、あさひは、俺との生活を選んだんじゃなかったのか?
「あさひは……。あさひはこの話を……?」
「もちろん、知っているわ」
編集長は頷いた。
俺は立ち上がった。
あさひに直接問いたださないと!
「待ちなさい!」
そのまま障子を開け放とうとした俺を、編集長の鋭い声が止めた。
「あさひさんの気持ちも考えなさい」
「あさひの……気持ち?」
俺は振り返った。
編集長は、視線を落とした。
「私も、無理強いをするつもりはなかった。でも、これはあさひさんの方が望んだのよ」
「信じられません! あさひに直接確かめますっ!」
そう言い残し、俺は外に出た。
鍵を開けて、自分の部屋に久しぶりに戻ると、みらいを抱いたあさひが出迎えた。
「あ、お帰りなさい、和樹……さん」
声が尻すぼみに小さくなったのは、俺が怖い顔をしていたからだろう。
そして、俺が怖い顔をすることに、心当たりがあったから。
「……話は、聞いた」
俺は、バッグを脇に置き、もらってきた折り詰めをちゃぶ台に乗せると、そのまま座った。
「……ごめんなさい、和樹さん。勝手に、こんなことしちゃって……。でも……」
「でも?」
「でも、こっちのミルクの方がDHAが配合されているって書いてあったから……」
「……ミルク?」
思わず聞き返す俺に、あさひは脇にあった粉ミルクの缶をテーブルに乗せた。
「前使ってたやつから、これに変えたんです。ごめんなさい、和樹さんに相談しようかなって思ったんですけど、忙しそうだったし……」
「それぐらいのことで怒るわけないだろう」
俺はため息を付いて言った。
「そうなんですか?」
「ああ。みらいの為を思ってやってくれたことなんだろ? それに忙しかったとはいえ、あさひやみらいの事を放り出していた俺も悪かった。ごめんよ、あさひ」
「和樹さん……」
あさひはにこっと笑うと、目を閉じた。俺はそんなあさひを抱き寄せて、その唇に……。
「じゃないっ!」
「きゃっ!」
「ぐっ、うわーん、わぁーーん」
眠っていたみらいが泣き出した。慌ててそのみらいをあやすあさひ。
「よしよし、大丈夫ですよ〜。お父さんですからねぇ〜。和樹さんっ!」
「ご、ごめん。よしよし、みらいもごめんねー」
……威厳丸つぶれ。
ようやくみらいが泣きやんでもう一度眠ってから、俺はあさひに訊ねた。
「夏こみでコンサートを開くって、本当なのか?」
「えっ? あ、はい」
こくりと頷くあさひ。
「どうしてだ? もう歌わないって言ったじゃないか」
俺が詰め寄ると、あさひは静かにかぶりを振った。
「違います」
「……え?」
あさひは、俺をじっと見つめた。
「和樹さん。あなたを好きだって気持ちを守りたい。だから、あたしはアイドルを辞めたの」
「……ああ」
「でも、今、和樹さんが大好きだった場所が、無くなろうとしている。そして、あたしにはそれを止めることができるかもしれない……」
「あさひ……」
「そのためだったら、あたしは頑張る。頑張らなくちゃダメなんだって思う」
そう言うあさひは、輝いて見えた。
そう。あの最後のコンサートの時のように。
「だから、歌おうと決めたの。今回だけは……」
「……ごめん、あさひ」
俺は、あさひを抱きしめた。
「きゃっ、か、和樹さん?」
「あさひ、強くなったな……」
俺がそう言うと、あさひは首を振った。
「それを教えてくれたのは、和樹さんだもん」
俺達は、ずっとそうして抱き合っていた。
そして、翌日。
いよいよ、夏こみが始まる。
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あとがき
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