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カランカラン
To be continued...
「いらっしゃいませですぅ……。あれっ、またお兄さん」
「よっ」
千紗ちゃんに挨拶すると、俺は振り返った。
「ささ、遠慮せずに」
「はい……」
彩はこくんと頷いて、俺の後について店に入ってきた。
千紗ちゃんはきょろきょろしてから俺に尋ねた。
「大志さんは来てないんですか?」
「ああ」
「……がっかりですぅ」
傍目から見ても可哀想なくらい肩を落とす千紗ちゃん。
「まぁまぁ。それより2人だけど」
「あっ、はい。こちらへどうぞっ」
ぴょこんと顔を上げると、千紗ちゃんはすたたっと歩き出した。
奧のテーブルに向かい合って座ると、とりあえず俺の方から、今までの出来事をかいつまんで説明した。
「……というわけで、今は夏こみ向けの原稿を書くために、ここに戻ってきたってわけ」
彩はこくんと頷いた。
「彩の方は? まだやってるよね?」
「……はい」
小さく頷くと、彩はにこっと微笑んだ。
「私、好きですから……」
うんうん、いいよなぁ。
「そっかそっか。それで、夏こみ向けの原稿は?」
「昨日、終わりました……」
すごくうらやましいことを言う彩。
「いいなぁ。俺は今からペン入れなんだけど、アシスタントでもいてくれないと間に合いそうにないんだよなぁ……」
「……」
彩は俯いてしまった。
なんだか、愚痴を聞かせちゃったなぁ。
俺は話題を変えることにした。
「それより、今回でこみパが最後かもしれないって話は聞いてる?」
こくんと頷くと、彩は悲しそうな顔をした。
その顔を見て、俺ははっと思い当たった。
彩の得意なジャンルは創作系、つまり原作のないオリジナルものだ。当然、それを出展できる即売会は、“オリジナル可”の即売会でなければならない。
大志によると、現在の同人界は、圧倒的に“原作もの”、つまりパロディ、オマージュというものが多く、オリジナルものというジャンルはごく少数派なんだ。こみパは、規模の大きさからそんなオリジナルものでも吸収することができたんだが、今後は……。
俺は思わず立ち上がった。
「……和樹さん?」
「彩、やめないよな?」
「えっ?」
「こみパが無くなっても、同人をやめたりしないよな?」
「……」
彩は黙って、でもしっかりと首を振った。それから小さな声で言う。
「私、好きですから……」
……そうだよな。俺が心配するようなことはなかったんだ。
俺はほっとして、座り直して、頭を掻く。
「ごめんごめん。彩がやめるんじゃないかって心配しちゃったんだ」
「……私は、……ほしいです」
「え?」
声が小さくて聞き取れなかったぞ。
俺が聞き返すと、彩は顔を赤くして俯いてしまった。
なんだろう? まぁ、彩はもともと内気な娘だから、無理に聞き出すのもよくないよな。
俺はコーヒーを一口飲むと、ため息を付いた。
「それにしても、アシがいてくれないと……」
「お兄さん、また千紗がお手伝いしましょうか?」
後ろから千紗ちゃんが声を掛けてくれた。その瞬間、俺の脳裏にソロモンの悪夢が甦る。
……ソロモンってなんだか忘れたけど。大志に言わせれば“悪夢”の枕詞だそうだが。
んなことはどうでもいい。
千紗ちゃんが「また」と言うとおり、以前原稿を手伝ってもらったことがあった。結果は――聞くな。
本人の努力は認めよう。だが、さすがにこの緊迫した状況下で千紗ちゃんにアシスタントを頼むのは無謀過ぎる。
「どうしたんですかぁ?」
無邪気に訊ねる千紗ちゃん。俺は頭をフル回転させながら答えた。
「千紗ちゃんは……えっと、そう! ここのバイトがあるだろ!? 無理に手伝ってくれなくてもいいって。あはは〜」
「あ、それもそうですよね。ふみゅ〜ん、千紗残念ですぅ」
ここで「俺も残念だよ」なんて言い出すと、良い子の千紗ちゃんは、今度はバイトを休んででも手伝うと言い出しかねないので、俺は黙ってコーヒーを口に含んだ。
折良く、そこに客が入ってきた。千紗ちゃんが「いらっしゃいませですぅ」と声を掛けて、客を案内しにいく。
俺はため息をついてソファの背もたれに体重を預けた。
……あれ? 彩が何か言いたそうにしてるな。
「どうした、彩?」
「あっ、えっと、……いえ」
しまったぁっ! 彩が何か言おうとしているときには、先をせかすのは禁物だったのだ!
案の定、彩は黙ってしまって、テーブルに沈黙が降りた。
「ありがとうございましたぁ〜」
結局、その後2人とも黙ったままコーヒーを飲んで、喫茶店を出た。
「くぅ〜、外に出ると暑いなぁ」
「……あ、あの……」
歩き出そうとした俺に、彩が後ろから声をかけてきた。
「ん?」
俺が振り返ると、彩は、きゅっと拳を握って、俺に言った。
「わ、私でよければ、その……、お……」
「お?」
「お手伝い……させてもらえませんか?」
「……」
俺の手伝いって、つまり……?
「もしかして、俺のアシ、やってくれるの?」
こくこく
頷く彩。
確かに、彩が手伝ってくれるんなら、俺は助かる。非常に助かる。助かりまくってしまう。
「ありがとうっ!」
俺は彩の手をぎゅっと握った。
「あっ……」
ううっ、柔らかな手だ。
「あの……」
感動していると、彩が俺に小さな声で言った。
「もう、離してください……」
「えっ? あ、ご、ごめん!」
俺は慌ててその手を離すと、訊ねた。
「で、いつから頼める?」
「和樹さんは……?」
聞き返される。俺は頭を掻いた。
「そりゃ、今からでもお願いできればそうしたいけど……」
こくこく
「でも、そういうわけにも……」
言いかけて、彩が頷いているのに気付く。
「え? 今からでもいいの?」
こくこく
「でも、準備とかいろいろと……。え? 構わないって? それじゃぁ……ああっ!」
俺は立ち止まった。そして額をペシンと叩いた。
「肝心なことを忘れてた〜」
「?」
きょとんとしている彩に、俺は情けない顔で言った。
「漫画を描く場所も無いんだよ、実は。俺の家は今ちょっと使えないし、昨日まで使ってたところも使えなくなっちゃったし……」
彩は小首を傾げて訊ねた。
「え? どうして家が使えないかって? 実は、その、3人ばかり人がいるもんで……」
そこで、俺ははたと気付いた。
今、俺の家にはあさひとみらいと、そして瑞希がいる。そのために、俺は家で作業出来ない。
だが、よく考えてみよう。俺の家に瑞希がいるってことは、今は瑞希の家には誰もいないんじゃないか!
「よし、とりあえず場所確保の交渉だ。彩、時間はいいの?」
こくんと頷く彩。
「オッケー。じゃ、とりあえずは俺の家に行こう!」
俺は歩き出した。
「冗談じゃないわよっ! なんであたしの家まで明け渡さないといけないのよっ!」
家に帰って、彩をあさひに紹介してから、おずおずと家を貸してくれと切り出すと、案の定、瑞希は烈火のごとく怒り出した。
「いいじゃないか。ちょうど空いてるだろ?」
「空いてるけど空いてないっ!」
「なんだそりゃ? あのさ、別にあそこから出て行けとかそう言ってるわけじゃなくて、使ってない間貸してくれって言ってるだけだろ?」
「絶対嫌っ!」
……とりつくシマもないとはこのことか。
俺はため息を付いた。
「わかったよ」
「……わかったって、あてはあるの?」
瑞希が聞き返す。俺は肩をすくめた。
「こうなったら、ファミレスに道具を持ち込んで描くしかないな」
「え?」
「隅のテーブルに居座って、何時間もコーヒー一杯で粘るんだ。そして翌日には出入り差し止めをくらい、別の店へと流れていく。そしてそこでも出入り禁止になり、とうとう最後には、ファミレス業界のブラックリストに載ってしまって、二度と外食できなくなるんだ……」
「大丈夫ですよ、和樹さん。まだお寿司屋さんがありますから」
ピント外れなボケをかますあさひ。うーん、可愛い奴だ。
思わず抱きしめてぐりぐりしたくなったが、現在交渉中なので我慢する。
「はぁぁ〜〜。……判ったわよ!」
瑞希は、大きくため息をつくと、ウェストポーチから鍵を出して俺に渡した。
「はい」
「いいのか?」
「あそこまで言われたら貸すしかないでしょっ! あーっ、もう。あんたが大志よりも疫病神に見えてくるわっ」
「……それは悲しいぞ」
「いいから、汚さないでよねっ! それから、あたしの下着に手をつけたりしたら、簀巻きにしてベランダからぶら下げるからねっ!」
「俺としては中身の方に興味があるから……」
「奥さんや娘の前で親父ギャグ飛ばすなっ!」
スパァン
いきなりハリセンで殴られた。
「痛てぇっ! なんだよ、そのハリセンはっ!?」
「由宇ちゃんが借してくれたのよ。和樹がしょうもないこと言ったら、一発ぶっ飛ばせって」
「……由宇の奴ぅ、覚えてろ。ともかく、恩に着るぜ」
俺はありがたく鍵を借りると、部屋を出た。
玄関で靴を履いていると、あさひが追いかけてきた。
「和樹さん、がんばってくださいね」
「おう。あさひ、みらいのことは頼んだぜ」
「はい、任せて下さい。頼まれちゃいます」
小さくガッツポーズを取るあさひ。
むぅぅっ、もう辛抱たまらんっ!
そのままがばっと抱きしめようとしたとき。
ふぇぇぇっ、ふぇぇっ
「あら、みらい?」
あさひはくるっと振り返って、奧の方にぱたぱたと戻っていった。俺の腕はむなしく空を切り、自分を抱きしめる羽目になった。
……むなしい。
と、視線を感じて振り返ると、彩がじぃっと俺を見ていた。
「……もしかして、今の見てた?」
こくこく
「……見なかったことにしてくれない?」
ふるふる
……彩、以外と手強い。
カチャッ
鍵を開けて、瑞希の部屋に上がり込んだ。とりあえず、寝室に入ると何を言われるかわからないので、リビングを仕事場にすることにして、クーラーを付ける。
「彩、上がってこいよ」
「……お邪魔します」
小さな声で言うと、部屋に上がってくる彩。
俺はリビングに鎮座している大きめのテーブルに道具を広げると、とりあえずコンテを彩に渡した。
「ごめん、先に見せとけばよかったんだけど、これがコンテ」
「……はい」
彩は頷くと、ノートをめくり始めた。
彩がコンテを読んでいる間に、俺は表紙を描くことにする。
構図はこんな感じでいいな。よし、あとは色をつけていけば……。
「あ、あの……」
声を掛けられて、俺は振り返った。すると、彩が閉じたノートを俺に差し出した。
「あ、読み終わった?」
こくこく
頷く彩。俺はおそるおそる訊ねた。
「彩は、どう思った?」
結局詠美の評価は聞けなかったからなぁ。
彩は、言葉を選ぶようにゆっくりと答えた。
「いいと、思います」
「うし!」
思わずガッツポーズ。
「……安心、しました」
「え?」
ガッツポーズのまま聞き返す俺に、彩は微笑んだ。
「和樹さん、変わってないですから」
「変わってない?」
「……あ、えっと……」
彩は、ぽっと赤くなって俯いた。何となく俺も照れる。
「そ、それじゃそろそろ始めようぜ」
「はい」
彩は頷いた。
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あとがき
あさひのようにさわやかに その9 99/8/12 Up